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Life about Melbourne and Ito
Tetsuta's Blog
メルボルン暮らし、伊東暮らし
豪メルボルン在住の筆者渡辺鉄太がメルボルンと静岡県伊東市の二股くらしについて書きます


同行二人の身延山久遠寺
2025年6月8日 今回日本に半年ぶりで帰ってきて、まず最初に身延山の久遠寺に行った。同行二人、と言っても弘法大師ではなくて、カミさんとだ。カミさんは仕事で先に帰国していて、私と日本滞在が一週間ほど重なったので、それなら伊東にだけいないで、ちょっとだけどこかへ行こうとい...
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カウラまで (2回目):
ワンガラッタからカウラまで、ひとっ走り ワンガラッタからカウラまで400キロ、およそ4時間半のドライブ。オーストラリアは平らな大陸ですが、自動車で地表に張りついて走っていくと、平らな大地にも起伏があることが分かります。時速100キロで走っていくわけですが、僕の古いスバルにも速度コントロールが付いているので、アクセルから足を離しても車は同じ速度で勝手に走ってくれます。そうすると、大地の起伏もまるで海のうねりを船で乗り越えていくような気分。 ワンガラッタを朝7時に出発、ハンドルを軽く握って車を飛ばしていたら、昼過ぎにはカウラへ着いてしまいました。メルボルンとシドニー間のヒューム・ハイウェーは道が良いので、400キロのドライブも楽ちんです。早速日本庭園へ向かいます。曇りなのに結構暖かく、まずは外のテラスでコーヒーを飲みながら、素晴らしく手入れの行き届いた庭園を眺めました。明日の紅葉祭に備えて、庭園のスタッフや庭師がテントの設営などに走り回っています。コーヒーを飲むと支配人のシェーンさんが庭を一周案内してくれました。12エーカーもある日本庭園に来た
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カウラまで (1回目)
2021年5月7日 ニューサウスウェールズ州のカウラという町まで行ってきました。カウラはメルボルンから真北に700キロほど、車で9時間。シドニーからも西へ300キロ、4時間かかります。 (Yarra Valley) カウラは人口1万人ほどの田舎町で、行ったのは初めてです。そこまで行った理由は、カウラにある日本庭園で行われる紅葉祭りに招かれ、5月5日「こどもの日」に紙芝居をすることになったからです。私は「オーストラリア紙芝居協会」というグループに属していて、時々学校や図書館に招かれて紙芝居をすることがあります。今回は、地元の子どもたちに英語で紙芝居を行って欲しいという依頼でした。 カウラにどうして日本庭園があるかと言うと、ここには第二次対戦中に戦争捕虜の収容所があった場所で、日本やイタリアの捕虜が入っていたことに縁があるからです。1944年8月5日、収容所から日本兵捕虜が集団脱走を試み、230名余りが命を落としたという悲しい歴史があります。その230名はカウラに埋葬されましたが、戦後もカウラのオーストラリア在郷軍人会が墓地の管理を引き受けて
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ブリスベンまで 。 あるいは、空港ですごす優雅な日曜日
2018年9月30日 息子の所属するサッカーリーグの決勝戦を観戦するため、クイーンズランド州ブリスベンに4泊5日間行くことになった。息子は州代表チームのフォワードとして出場する。ブリスベンまで、息子はチームメイトたちとカンタス航空で飛び、私と女房はタイガー航空という格安会社で行くことになった。2時間半の空の旅。どちらも朝7時ごろ発の便なので、空港に5時半に着くように、まだ暗いうちに起きて、えっさかほっさか家を出た。ところが出たとたん、うす暗い山道で、でっかいカンガルーが、よろよろと道のまんなかに登場。突然だったので、急ブレーキを踏んだが間に合わず、「ドーン!」と接触!「ああ、やっちゃった」と、すぐに車を止めてカンガルーはどこかと見渡したが、姿が見当たらない。どこかにそのまま走り去ったらしい。何とタフなやつ!幸い、車のフェンダーもつぶれてない(みたいだったが、暗くてよく分からない)。これが人間だったらシャレにならないが、急ぐので空港へ。 空港では、長期パーキングへ車を入れ、出発ターミナルへ。もうチームメイトたちが集まっている。息子をチームに預け、私
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タイ、バンコク訪問記(2)
2017年6月17日 紀伊国屋書店で立ち読みをしそこなった初日 バンコクで5月の中旬に開催された、IBBY国際児童図書評議会のアジア大会に出席した私は、その間たくさんの子供の本の作家や翻訳家や編集者や図書館員と言った人たちと行動を共にした。 その中の一人に、売れっ子の児童文学作家で、文学賞の受賞者であるMさんがいた。私は初対面であったが、初日の朝ごはんの後だったか、彼女とホテルのロビーで立ち話をした。そのとき私が、「メルボルンには日本語の書店がないんですよ。だから、私は日本語の本に飢えているんです」というようなことをなぜか彼女に訴えた。するとMさんは、美しい大きな目をさらに見張って、「えー、うそー、本当ですか? ひどーい」というようなことを言った。私は、「本当なんですよ。だから、バンコクでは、ぜひ日本語の本を買いこんで帰りたいんです」と言った。 タイには金色のお寺がたくさんある するとMさんは、「それなら、ホテルの向かいの伊勢丹には紀伊国屋書店がありますよ」と親切に教えてくれた。私はそれを聞くと、もういても立ってもいられなくなり、IBBY国際児童
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バンコクで、国際児童図書評議会アジア会議に出席の記
2017年5月22日 5月初旬、初冬のメルボルンから晩夏のバンコクに飛んだ。IBBY国際児童図書評議会アジア会議に出席するためだ。大会は三日間、その間アジア諸国や他の国からやって来た児童書関係者による研究発表、事例発表、ワークショップなどが行われる。私も、オーストラリアで過去17年間主宰してきた、日本語児童文庫の軌跡について話すべく、原稿を携えてやって来た。 出た時は雨のメルボルン 空港から出て電車に乗り、バンコク中心街の駅で降りた。駅からホテルまで2キロほど、スーツケースを引っ張って歩いた。初めてのバンコクだが、「懐かしい」光景が満ち溢れている。夜の10時というのに、狭い歩道に溢れるたくさんの人たち。裸電球の灯る小さなお店。その奥でミシンを踏む女性。路上の屋台。荷物をたくさん積んだ自転車を引く男。たくさんのオートバイ。60年代の日本のどこかの街中を歩いているような錯覚がする。インドネシア、マレーシア、インドでも、そんな既視感に襲われたことがある。 バンコクの街には、貧富の差も数多見受けられた。路地裏のゴミの間に蠢く人影。夜遅いのにそこらを走り回
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メルボルン、シドニー往復2000キロのドライブ
2016年10月20日 春休み、メルボルンの自宅からシドニーの北側ナラビーンという町まで、片道930キロのドライブ旅行に行ってきた。これまで一日で走った最長距離は、南オーストラリアのモーガンからメルボルンまでの830キロなので、今回が自己最長記録となった。 シドニーへ行った訳は、息子の鈴吾郎(りんごろう、13歳)がサッカーのビクトリア州代表チームに入ったので、その観戦だ。こう書くとまるで「甲子園」に出たみたいだが、それほどではなくて、あくまで彼が所属している「教会リーグ」という地域リーグの中でのことで、オーストラリア中学生サッカーの最高峰ということではない。トーナメントは、全部で5日間の総当たり戦。ひとチーム毎日2、3試合を行う。今回出場は、南オーストラリア、ニューサウスウェールズ、クイーンズランド、そしてニュージーランドの各代表だ。 でも、一応州代表だから鈴吾郎の鼻息は荒い。そして、その鈴吾郎のサッカーを支えてきた母親チャコの鼻息も同じくらい荒くなった。だから、ちょっと遠いけどシドニーまで行ってみますか、ということになった。...
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オークランド、調布、そして宇都宮まで
2016年9月20日 オークランドの唐揚げ弁当 7月にインドでカレーやピザを食べ、クアラルンプールで北海道ラーメンを堪能した私は、8月の半ばには、ニュージーランド、オークランド中心街のフードコートで、トリ唐揚げ弁当などを食べているのだった。 ここではIBBY国際児童図書評議会という、絵本の世界会議に出席した。唐揚げ弁当を食べたのは、ある日の昼、急いでホテルに戻って自分の発表するポスターの仕上げをする必要があり、昼飯を食い損ねそうになって急いで近くのスタンドで買い求めたのだった。 世界的な学会に登場、壁新聞同様の私のポスター でも、これがなかなか当たりで、ご飯も暖かくておいしく(ごま塩がかかっていた)、唐揚げも揚げたて、その上ちゃんとみそ汁付き。今どきの日本の弁当屋よりも気が利いているかもしれない。難を言えば、唐揚げの下に敷いてあったレタスの量が恐ろしく多く、マヨネーズもなくて、食べるに往生したことだ。 ニュージーランドで、他に美味しかったのはビールだった。 IBBY大会に出席していた日本人で、元国会図書館に勤めていたM山さんというおじさんは、「て
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インド、マレーシアへ (インド、その2)
2016年9月12日 この七月から旅行づいているのか、インドにも行ったし、その途中でマレーシアのクアラルンプールにも寄った。その後メルボルンに戻って、二ヶ月たたないうちにニュージーランドのオークランドへ行き、その足で8月の日本に帰国した。日本ではM城さんという友人の好意で、彼の調布のマンションに滞在させてもらい、その間に宇都宮に行った。 (この項では、インドとマレーシアについて書く)。 インドのピザ インドで行ったのは、南部ケララ州のコーチンという港町だが、そこは香辛料の輸出で有名な場所で、今でも胡椒やターメリックや生姜や、あらゆる香辛料の問屋が港の通り沿いに軒を並べている。港には大きな船が出入りしている異国情緒あふれる場所だ。そんな所だから、オランダ、ポルトガル、イギリス風の町並みがまだ残っていて、ユダヤ人街まであるのだった。 コーチンには、二週間ばかりいたが、ほとんど一歩も町から出なかった。それでもちっとも退屈しなかった。僕は、13歳の息子リンゴロウと二人で、町のあっちに行って博物館を見たり、こっちへ行って場末の食堂で、旨いのかまずいのか分か
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インドで書いた俳句
2016年7月16日 先週まで10日間ほどインドに行ってきた。インドは初めてだ。行くさきは、南西部のケララ州コーチンという港町。ポルトガル、オランダの植民地色がまだ色濃く残る、香辛料の出荷地である。 なぜこんなところに行ったかと言うと、妻がオーストラリア人芸術家達8名程と、この地で制作を行うことになったからだ。それにくっついて行ったのである。こういう企画をArtist in residenceと言い、日本でもどこでも盛んになってきている。昨年は、これで南仏に行ったが、今年はインドである。 13歳の息子鈴吾郎(りんごろう)も一緒に旅した。13歳の男の子がインドにどんな反応を示すか興味があったのだが、鈴吾郎はインドの状況(貧困、人口密集、非衛生などなど)をいとも簡単に受け入れ、「ここは面白いところだね」と人や風物に興味を持ち、文句などひとこもと言わなかった。僕は感心する一方で、やや拍子抜けしたくらいだ。 さて、我々は、時にはオーストラリア人芸術家達と行動をともにしたり、時には、自分達だけでコーチンの町を歩いたりした。トゥクトゥクというオート三輪や自転
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