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同行二人の身延山久遠寺


2025年6月8日

 

今回日本に半年ぶりで帰ってきて、まず最初に身延山の久遠寺に行った。同行二人、と言っても弘法大師ではなくて、カミさんとだ。カミさんは仕事で先に帰国していて、私と日本滞在が一週間ほど重なったので、それなら伊東にだけいないで、ちょっとだけどこかへ行こうということになった。

 

それならば、身延山に行ってみようと思いついた。これまで身延山は素通りしかしたことがなくて、奥まで入ったことはなかった。父の実家が熱心な日蓮宗だったから、子供時代から法事ではいつも南妙法蓮華経と唱えさせられていた。だからこの際、その総本山の久遠寺に行ってみることにした。ならばいっそ宿坊に泊まり、起きられれば朝5時半の勤行にも出てみることにした。以前に四国で宿坊に泊まったことがあり、朝のお勤めに出たらそれがなかなか爽快だったから、余計なお世話かも知れないが、カミさんにも体験させてやりたいと考えたのだ。

 

伊東から身延は近いようで案外遠かった。伊東線と東海道線と身延線を乗り継ぎ、2時間半かけて辿り着いた。特に身延線はゆっくりだ。そのかわり景色は良い。私の選んだ宿坊はYという宿で、ただバス停から近いからだったが、なかなか良い宿だった。宿坊だからここも寺な訳で、建物の真ん中には広い仏間があり、仏壇の中からは怖い顔をした大きなお祖師様の像がこちらを睨んでいた。小さい頃、私はこの像が怖くてたまらなかった。カミさんも、こういう日蓮の像を初めて見たらしく、「こりゃあ、怖いわ」と納得していた。部屋は広くて快適だったが、普通の旅館よりはずっとシンプルで、食事も簡素だった。私たち以外で泊まっていたのは、一人旅の男性と秋田から来たという夫婦だけだった。みんな食事を済ませると翌朝5時半の勤行に出るために、さっさと寝てしまった。

 

朝は5時前に起きた。と言うか、やはりちょっと緊張したのだろう、二人ともあまり寝られなかった。久遠寺の本堂は山の中腹にあるから、本当は287段もある石段を登らなければ辿り着けないのだが、朝はズルして宿の女将さんが車で送ってくれた。5時過ぎに本堂に行くと、もう40人ばかりの善男善女が座って待っている。外国人も10名ばかりいる。やがて20名ほどの袈裟を着た僧侶がずらっと並んで入ってきたのが壮観だった。勤行が始まると、僧侶たちが大声で経を唱え、南妙法蓮華経の題目に合わせて僧が大太鼓を叩くのだが、それがすごい迫力で、ちょっとロックコンサートのようだった。焼香が始まると参列者も順番に香をくべるのだが、この頃になるとこちらも気分が出てきて、口から自然に南妙法蓮華経という題目が出てくるようになる。

 

勤行は7時ごろに終わった。私たちは石段を降りて、朝食を食べに宿坊に戻った。同宿の一人旅の男性とも歩きながらおしゃべりをする。彼は定年後から三浦半島に住み、時々こうして身延山や比叡山などを回るのだと言う。身延山は冬が良いと言っていたが、さぞや寒いだろう。6月の今だって、だだっ広い本堂に朝5時から1時間以上座っていると、体が冷えてくるのだから。

 


朝食後、宿坊をチェックアウトしてからまたあの長い石段を登り、今度はロープウェーで標高1100メートルの久遠寺の奥之院まで行ってみた。ここは日蓮聖人が両親を偲んで建立した寺なので思親閣という名前だ。展望台からは富士も見え、南アルプスや八ヶ岳も見渡すことができた。

 

身延山は静かだった。喧しい音楽も鳴っていないし、車の音もしない。どこにいても沢の水音がする。夕刻に門前町を歩いていたら、路地裏を鹿が歩いていた。日本中の観光地、神社仏閣も人で溢れている今、こういう静かな場所があるのは稀有なことかも知れない。ここでは泊まりがけで写経の会や山歩きの錬成の会などもやっているらしいので、面白そうだから、そのうちまた来てみようかと思っている。

 

そんな場所で香の匂いを嗅いでいたら、ほんの2、3日前までオーストラリアにいたことなんて、まるで夢のような気がした。

 

 
 
 

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