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おじさん二人のスパイラルな会津自転車旅行

1 hour ago
14 min read

(後半)


三日目、四日目と五日目:只見から南会津、会津若松から猪苗代に戻って円を閉じ、郡山で旅を終える

 

2026年10月26日記

 

 


旅は、あなたを寡黙にする。そして、あなたを物語作家にする。 

イブン・バットゥータ

(13世紀モロッコのイスラム学者、冒険家)

 

 

人は、夢の中で旅をすることもできるし、旅の途中で夢を見ることもできる。

渡辺鉄太

(子どもの本作家、自転車旅行家)

 

 

三日目は、只見線で只見まで輪行し、会津田島まで走ったこと

 

T村とT太は、5時起きで会津若松発6時8分発の只見線に、ちゃっかりと畳んだ自転車を担いで乗った。ズルをしようとかではなく、美しい山間を走るローカルな只見線に乗ってみたかったからだ。

 


始発に乗ったのは、只見線が一日数本しか走ってない上に一両か二両編成なので、案外混むらしいからだ。案の定、我々の乗った始発列車も途中からどんどん通学の高校生が乗ってくる。しばらく肩身の狭い思いをしたが、高校生は会津若松のはじっこの駅でみんな降りてしまった。

 

会津坂下(ばんげ)駅からは、朝霧にけぶった渓谷を只見線は走っていく。濃い緑の中、トンネルもあれば鉄橋もあり、カーブごとに目に入る素晴らしい景色にとても座ってはいられない。山の上では紅葉も始まっている。おじさんたちは立ったり座ったり、写真を撮ったり、ビデオを撮ったりで忙しい。T村は、列車の先頭や後部に仁王立ちで「オー!」とか「ホー、すげー!」とか言いながらiPhoneを振り回している。

まるで子どもの65歳


我々だけでなく、他にも子ども同然のおじさんが2、3名車内をうろついている。そんなで、二時間半先の只見駅まではあっという間だった。T村は、列車を降りる際に、二人連れの女性にもちゃっかり話しかけて、ねんごろになった。でも女性たちは人妻で、しかも車で伴走していたご主人が只見駅に迎えに来ていたので、T村のアタックもそこまでだった。

 

意気揚々と只見駅で降りた我々だったが、ここで大失敗が判明した。会津若松駅には自動改札があったから何も考えずにSuicaで入場したが、只見線は紙の切符じゃないとダメな路線で、只見駅ではSuicaで出られないのだった。

 

駅員は、エプロン姿の女性だった。

「すみません、会津若松からSuicaで乗っちゃったんですけど、清算してもらえます?」と私たち。

「あれまあー、只見ではSuicaの処理はできないんですよ。田舎なもんでねー。運賃精算書を書きますから、どっか大きな駅で清算してもらってくださいね」とエプロンおばさんは優しく、しかし、きっぱりと言った。その目は、「どこでもSuicaが通用するとは思うなよ」と語っていた。T村と私は、校則違反をした高校生のように、運賃精算書を手に持って只見駅を出た。罰として、我々のSuicaは清算処理をするまで使用不可になった。 

 

只見駅前で自転車を組み立てる。ここはすごい山奥だ。そのくせ駅前のカフェでは、ケバブなんか売っている。なぜ只見でケバブなのか?とにかく、この先は宮沢賢治の『注文の多い料理店』の舞台みたいな山奥だから、今のうちコーヒーだけでも飲んでおこうと、観光案内所でモーニングコーヒーをいただく。それから我々は、南会津の山間に向かってペダルを漕ぎ始めた。

 



モンマートの謎


案の定その先には何もなかった。無数のトンボが飛び交う中、私たちは無言でペダルを漕いだ。しばらく行くと、朝早かったせいで私は急に腹が減ってきた。そこで、コンビニを探したが、通り過ぎた深沢という村落には、タイヤ屋があっただけだ。

 

「おお、この先にコンビニがある!」と、ケータイをのぞいていたT村が喜びの声をあげた。その先の南郷の村落に行くと、「モンマートふなき」というタバコ屋に毛が生えたような小さな店が開店していた。ヤマザキやポプラなど、地方コンビニにはずいぶん世話になっているが、「モンマート」は初体験だ。

 

モンマートは基本的に酒屋兼タバコ屋で、そこに棚を二つか三つ加えて、食品も売っているという風だ。私らはここでナッツとかチョコとか草餅とかの非常食をゲットして空腹を抑えた。まるで40年前の田舎の雑貨屋みたいでちょっと嬉しくなった。


後で調べてみると、モンマートという会社は実は2022年に潰れていて、あるのはモンマートの看板を掲げている店だけということだ。なぜ潰れた会社の看板を掲げている店がまだあるのか?誰か説明して欲しい。とにかく、モンマートふなきのお陰で、私たちは「きらら289」というその先の道の駅まで到達でき、豚丼そばセットの昼食を食べられたことを明記しておこう。「きらら289」については、多々書きたいこともあるのだが、その先で起きたことが特筆に値するので、話を先に進める。


只見で愛を見つけたT村

 

さて、駒止峠に向かって苦しみながら坂を登っていると、一台の郵便バンに追い抜かれた。ドアには「只見局 田中」と書いてあった気がする。T村は、「あ、田中ルミちゃんだ!」と叫んだ。私は走るので一生懸命だったから、何でT村が女性の名前を叫んだのか、その時はほとんど気にとめてなかった。

 

それから、また30分ほど走ると、またさっきの「只見局 田中」の郵便バンに追い抜かれた。きっと配達のためにわき道にでも入っていて、また我々を追い抜いたのだろう。追い抜く時、運転していたポニーテールの若い女性局員が会釈したのがチラッと見えた。抜いた後、彼女はハザードランプをパカパカッと数回点滅させた。ハザードで追い抜きの挨拶をするなんて、田舎の人は礼儀正しいなと、私はそう納得した。人の少ないオーストラリアの僻地やニュージーランドなどでも車がすれ違う時は手を振ったりする。

 

ところが、その時、T村が叫んだのだ。

「わぉ、田中ルミちゃんが、オレに愛を告白した!」

私は一瞬、T村の頭がおかしくなったと思った。

 

T村は、遠くなっていく「只見局 田中」のバンに向かって呼んだ。

「ルミちゃん、待ってくれぇ!」

そう言って、T村は登り坂を猛烈な勢いでダッシュし始めた。だが、ああ無情、ルミちゃんの郵便バンはどんどん先に行き、やがて見えなくなった。

 

T村は、自転車を停めると、泣かんばかりに語った。

「ああ、田中ルミちゃんに見捨てられた…」

「一体どうしたんだよ? 田中ルミちゃんって、何のことだ?」私は聞いた。

 

「あの郵便バンを運転していた女性だよ。『田中』ってドアに書いてあっただろう。きっと『田中ルミ』っていう名前なんだ。そうだ、そうに決まっている! そのルミちゃんが、オレに『愛している』という信号を送ったんだ。追い抜いた時にハザードを五回パカパカっとさせただろう?それは『あ・い・し・て・る』という合図なんだ!」

「何だって?どうしてハザードが愛の告白なんだよ?ただの追い抜きの挨拶だろ」と私。

「違うよ、お前はドリカムの『ブレーキランプ5回は、あ・い・し・て・る』って曲を知らんのか? だから今のは、愛の告白なんだ。ああ、ルミちゃんは、オレの大好きなポニーテールだった! それなのにルミちゃんは行ってしまった…オオマイガー!」

 

私は、T村という男が怖くなり、一歩引きながら言った。

「だけど、ブレーキランプじゃなくて、ハザードだったよ。『ブレーキランプ5回は、あ・い・し・て・る』だなんて、誤解だよ」シャレを言っている場合ではない。T村には過度の妄想癖があるらしい。これは要注意だ。

 

幸い、危険を察知した田中ルミちゃんは彼方に行ってしまった。私たちはまた粛々とペダルを漕ぎ続けた。豪雪地帯らしく、1キロ、2キロ半といった長い雪囲いのトンネルを複数抜け、幾つものヘアピンカーブを曲がり、苦しみながら登攀した。田中ルミを失った痛手に苦しむT村は、必死の形相だった。

 

最後の長いトンネルを出ると、駒止峠だった。標高923メートルだ。只見駅の標高は371メートルだから、ここまでの獲得標高は550メートルある。64歳と65歳の我らには輝かしい勝利と言えよう。駒止峠から、この日の目的地の会津田島までは15キロほどの下りだった。この下りも、裏磐梯から喜多方への下りに勝るとも劣らない素晴らしさだった。

 

 

四日目、会津島田から猪苗代まで

 

四日目の朝。会津島田で泊まったビジホは非常にお得だった。上野のビジホの約半分の値段で、さらに千五百円の夕食お食事券と朝食ビュッフェがついていた。大浴場もあり、自転車を部屋に入れさせてくれた。わざわざここまで来る価値がある。

 

この日は会津島田から阿賀川沿いに会津若松に戻り、そこから猪苗代まで距離は80キロくらい。比較的平らだが、真面目に走らないといけない距離かもしれない。我らは午前中に会津若松まで走ってしまい、午後は早めに猪苗代のペンションにチェックインする予定だ。

 


宿を出て、10キロほど先のセブンでモーニングコーヒーを飲む。朝のコンビニコーヒーは一種の儀式、条件反射になっている。私のもう一つの条件反射は、ローソンを見るとトイレに行きたくなることだ。雄犬の電信柱と同じかもしれない。だが前にも書いたが、ファミマやセブンではなく、ローソンでないといけない。何故なのか誰か説明して欲しい。

 

さらに行くと、阿賀川の辺りに「塔のへつり」という奇石があった。へつりとは、川の流れで侵食された崖にできた縦長の筋みたいなものだ。T村は歴史だけでなく、地学にも関心を持っているので、ここを見に寄った。

 


この日は三連休の中日だったので、田舎にしてはかなりの人出だった。へつりを見るためには、狭い石段を降りて吊り橋を渡り、また石段を登らなければならない。見物人は善男善女ばかりで、みんな和やかに譲り合いながらへつり見物をしていた。実に心温まる交流だ。旅の喜びは、案外こういうところにある気がする。

 

ここでは、へつり見物以外にも、マタタビとか、マムシの焼酎とか、猿のコシカケとか、江戸時代みたいなものを売っていた。私は、オーストラリアにマタタビを買って帰ってうちの猫に与えてみたかったのだが、メルボルン空港の税関で没収されて、下手すると懲役刑だから買わなかった。猫にマタタビ、みたいな論理は外国では通用しないだろう。

 

会津は良いところだ、人情がある。我々は、そんな和やかな気持ちで会津若松までとって返し、七日町という、言ってみれば会津若松の代官山みたいな場所で、おしゃれなそばカフェの手打ちそばを食べた。そこからから猪苗代は20キロなので、私はたかをくくっていたが、実はずっと上り坂で、さらにその半分は交通量の多い国道だった。今回の旅では、そこが一番大変だった。

 

ようやくたどり着いた猪苗代のペンションは、静かな森にあった。チェックイン時に、ペンションの女性とクマが出るとか出ないとか話をしたが、思い通り、福島はクマが多いと言う。

「あんまり多いから、地元じゃ慣れちゃって、クマを見てもいちいち通報なんかしないわ。通報するのは、町の人と観光客だけよ。」

やはり思った通りだ。「クマアプリ」などでは分からない状況が地元にはある。

 

 

五日目、猪苗代から郡山

 

さて、五日目最終日。この日は猪苗代から郡山まで下りのルート、しかも距離は40キロだけ。ラストは、郡山で自転車を畳んで、2時の東北新幹線で東京まで帰る。それで終わりだから、余裕のヨシコさんだ。



私たちは、ペンションのおじさんとおばさんの心づくしの朝ごはんを食べ、記念写真を撮って出発した。そこから猪苗代湖畔に出て、水鳥が羽ばたくのを眺め、お約束のセブンでコーヒーを飲む。今回の旅ではあまりサイクリストに遭遇しなかったが、ここで我々は、白いロードバイクに乗った若いカップルを目撃した。ロードバイクは真新しいから、きっとレンタルだ。二人がまだ乗り慣れていないのも乗車姿勢から見て取れた。サドルが低すぎで、ママチャリに乗るようにベタっと座っている乗り方だ。我々はコーヒーをすすりながら、二人の様子を眺めるともなく眺めた。ところが、これが「田中ルミ」に続く新しいドラマに発展するとは、この時私はまだ予想していなかった。

 


我々は、そこから交通量の多い国道を離れ、猪苗代湖沿いの裏道を選んだ。しばらくして、さっきのロードバイクのカップルが前に見えた。ピチッとしたウェアに身を包んだ30代くらいのボブヘアーの美しい女性。それだけで、我々のペダルのピッチと血圧は20%上がる。一方の男の方はずっと若く、17、8歳の太めの男。ダサい水色の短パンに、白いブカブカTシャツだ。一体この二人はどんな関係か?年齢が離れているから、恋人じゃないだろうが、どうなのか?私とT村は顔を見合わせた。ほぼ同時に、二人の脳裏に同じ疑問が浮かんだことは明白だった。

 

朝の猪苗代湖は、風もなくて、薄い銀色を帯びた青色に染まっている。『限りなく透明に近いブルー』だ。そんな中を謎の二人が前をゆっくり走っている。私は速度を少し上げて二人を追い抜いた。私は、「おはようございます!」とだけ声をかけた。

 

私は、前をゆく二人を追い抜いた。


猪苗代湖で生まれた千鶴の物語


T村も私に続くだろうと、少し先まで行ってからスピードを落とした。ところが、T村はなかなか来ない。振り向くと、あの二人に、まとわりついているようだ。また悪い癖が始まったらしい。

 

しばらくして、T村が追いついた。

「あの二人、地元の人たちで、自転車はレンタルじゃなくて、自分たちのだってよ。時々、猪苗代湖の周りを走るんだってさ」とT村。

「ふーん、そうかい、地元か。でも初心者だな」と、私は興味もなく、そっけなく答えた。

 

1分ほどして、T村が堰を切ったように話し始めた。

「実は、あの女性は、浜崎千鶴という名前なのだ。そして、あの太った男は、浜崎千鶴の恋人の連れ子だよ。まだティーンエージャーで翔一という名前だ。浜崎千鶴の恋人は彼女よりも20歳以上年上の、やもめ男だ。その男は2、3年前に妻を病気で失っている。浜崎千鶴は、その男の心の痛手を慰めるために恋人になったのだ。その男は、吉田健二という名前だ。」(実際T村は、この時ここまで一息に筋書きを上手にまとめた訳ではないが、AIになったつもりで彼の話を要約すると、大体こういうことになる。)

 

「え?あの人たちから、そんなことまで聞き出したの?」

「そうじゃない。でも、オレが思うに、あの彼女は千鶴って名前なんだ。それで、あの太った男は、彼女よりずっと歳が若いから、多分、彼女の恋人の連れ子だろうって睨んだんだ。」

 


またT村のストーリーテリングが始まってしまった。妄想癖もここまでくると重症だ。只見では、田中ルミ、今度は、浜崎千鶴だ。一体どこから、こういう名前が出てくるのだろう?もしかしたら、こいつは秋元康や松任谷正隆のような天才クリエーターなのかもしれない。あるいは狂人か? 天才と気狂いは紙一重だ。

 

とにかく、私は郡山まで無事に到着したいので、話を合わせることにした。幸い、猪苗代湖畔の道は平坦で交通量も少ないから、我々は横に並んで走りながら、一緒に千鶴ストーリーを創り上げていった。その要旨を下に書く。

 

浜崎千鶴(34歳)は会津若松の吉田歯科医の歯科技工士だ。「浜崎」は旧姓で、結婚した現在は吉田である。千鶴の夫の吉田健二(55歳)は歯科医で、会津若松で歯科医院を経営する。千鶴はそこで働いていた。健二には前妻との間に翔一(17歳)がいる。前妻は数年前に亡くなっていて、千鶴と健二はしばらく交際した後、昨年結婚した。だが、翔一は多感な年齢で、まだ亡くなった母の面影を追い求めている。一方、歯科医の健二は、再婚した千鶴との絆を深めるために、古くなった自宅兼医院の改築を計画しているが、翔一は亡母の思い出が詰まった実家が壊されることに反対なのだった。継母である千鶴は、翔一の痛手をその胸で暖かく癒し、未来に向かって生きていく手助けをしようと決心した。翔一には、来年大学受験が迫っていて、父の母校である埼玉の歯学部を受験するのか、あるいは地元国立大の工学部を狙うのか、大きな選択をしなくてはならない。そんなある休日、千鶴は思い切って渋る翔一を誘って猪苗代一周のサイクリングに出た。美しい秋の一日、千鶴は猪苗代湖畔を走りながら、翔一に優しく話しかけながら彼を導いていこうと試みる。翔一は、そんな千鶴に対して少し心を開くようになったが、千鶴を新しい母として見るよりも、むしろ美しい年上の女性として意識し始めていた。二人の関係は急激に狭まり、思いがけない方向へと向かっていくのだった…。

 

千鶴の物語は、ここまでにしておこう。実際T村と私は、もっと微に入り細に入り、一編の

の小説と言えるくらいの物語を短時間で共同して創り上げた。

 

そんなだから、我々はいつの間にか猪苗代の湖畔を離れ、御霊櫃(ごれいびつ)峠(標高876メートル)という重たい名前の峠に到達していた。二人とも千鶴の物語を考えるのに夢中で、急坂をモノともせずに登ってしまったのだ。峠からは郡山盆地(標高250メートルくらい)まで、標高差500メートル以上を勢いよく下った。時速50キロ以上で走りながらでは千鶴の物語を続けられないないので、ここで物語も終わりを迎えたのだった。いつかまたどこかで、私とT村が、千鶴の物語を続ける時があるかもしれない。

 

郡山のハンバーガー激戦区


さて、御霊櫃峠から降りると、そこは平凡な田舎の風景だった。気温も上がってきて、私たちは汗をかきかき、いつしか郡山市街地に入っていた。郡山駅にたどり着いた時は昼で、T村は「でっかいハンバーガーを食べようぜ!」と明るく言った。私も同感だった。なぜ郡山でハンバーガーなのか分からないが、それ以上の名案はなく思えた。

 

郡山駅の東側はハンバーガー激戦区で、ハワイアンな店とアメリカンな店が競合していた。我々は、アメリカンな方を選択し、でっかいハンバーガーを食べた。自分で言うのも何だが、イケオジである我々の旅の終わりに、全くふさわしい祝い方だったと言える。

 


郡山駅は、連休の最終日で大変な賑わいだった。ヘソ出しルックの若い女性もたくさん闊歩していたが、山奥で出会ったルミちゃんや千鶴ほど、私たちの心の琴線に触れなかった。おじさん二人は駅前で自転車を畳むと、正常な精神に頭を切り替え、ハンバーガーとポテトではち切れそうなお腹をいたわりながら、東北新幹線で東京まで帰省したのだった。

 

(「おじさん二人のスパイラルな会津自転車旅行」の後半は、これで終わりです。またどこかで会いましょう!)

 

 
 
 

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