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「伊豆の夜・大人の貝酔欲情」とは何のことか?

2025/01/18



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伊東にはロマンを感じる。そう思うのは私だけではないだろう。一つには、伊東が古い海辺の町であり、火山帯の上にあり、歴史があり、昭和の頃は賑やかだった場所で、今もその名残がいっぱい残っている場所だからだろう。伊東はいろいろな物語を感じさせる場所だ。


私は伊東にいた3ヶ月の間、一人で暮らしていた手持ち無沙汰もあって、しばし夜10時ごろに家を出て、人気のないキネマ通りや安針通りをカメラを下げて徘徊した。昼間もあちこち歩いたり、自転車に乗ったりして、町や港や海岸や裏山を巡り歩いた。伊東の人々は、そんな私を見てかなり挙動の怪しい人物であると思ったに間違いない。


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そもそも私が伊東を日本での拠点にした大きな理由は、この町を1980年代から90年代後半にかけて(それはバブルの時代と重なる)しばし訪れていたから、いくらか土地勘もあり、この土地に親しみを持っていたからだろう。今も伊東を歩くと、昭和のバブル時代やそれ以前の名残をたくさん見つけることができるが、その多くは、安針通りのような寂れた通りであり、錆び付いた看板であり、シャッターが閉じられた店先であったりする。もちろん、その中には今も営業中のパン屋や寿司屋などもあるが、町全体には1980年代の賑やかだった時代を彷彿させる勢いはない。


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伊東の町では、町並みに残っている古い看板などをみて歩くのが面白い。看板とは記号であり、同時に「表徴」である。表徴とは、元の意味や用途は別としても、それを見た人に何らかの感慨や感情を抱かせる記号やシンボルのことだ。記号とは「指し示すもの」と「指し示されるもの」が紙の裏表のように組み合わさって成り立つもので、例えば「ピンク座」と書いてある看板は、ピンク座という名前のストリップ劇場が存在してこそ成立する。


ところが、もはやピンク座は存在しないから、この看板は形骸化している。伊東の看板の多くは、そんな風な末路を歩んでいるが、それでも私は、ピンク座の看板を見上げ、「へぇー、ここにはある時期まで裸の女性が出演する舞台があったんだな」と考え、「そのストリップ小屋はどんな雰囲気で、お客が何人くらい入っていたのだろう?踊り子さんは、どんな女性だったのかな?」などと想像する。また、このストリップ小屋のドアには、剥がれかけたペンキ文字で「伊豆の夜・大人の貝酔欲情」(海水浴場?)と書いてあるが、それが一体どういう意味なのか私は真剣に考えたりもする。このような古びた看板は本来の役割としては用済みでも、何らかの情緒や感慨を人に抱かせる。それが表徴だ。言い換えれば、それがロマンということなのかもしれないし、伊東にはそれがいっぱいある。



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今、日本は「昭和ブーム」だと言う。過ぎ去ってしまった昭和という時代もロマンだ。人は昭和っぽい食べ物や風物を味わうことで、自分が昭和に造られた映画や小説の主人公になったような錯覚を束の間味わえるのかもしれない。伊東に「わかば」という喫茶店があるが、ここで赤いチェリーが添えられたホットケーキを食べれば、平成生まれの若い女性でも、自分の母親世代の気分を少しは味わえるという仕組みだ。


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ロラン・バルトというフランスの文学者は、50年以上も前になるが1960年代の日本を訪問し、日本は表徴の帝国であると論じた(『表徴の帝国』ちくま学芸文庫)。バルトは、ヨーロッパというのは、記号をきっちりとした意味で満たすことに力を注いだ精神文化だと書き、一方で日本文化というのは、記号の元の意味を保つことには熱心でなく、記号をいたずらに一人歩きさせる文化であると論じた。同時に、そういう日本という国は、筋のない小説の文体のようだとも語っている。だから日本は表徴の帝国だと言う。


実際「ピンク座」という看板は、確かに現在も立派に一人歩きしている。ドアに書かれた「大人の貝酔欲情」という不思議なテキストは、私の想像を刺激して余りある。私は、昨暮に一人で、そんな情景がいっぱいの伊東の町を彷徨い歩きながら、一種の物語を紡いでいたような気がする。廃墟のような夜10時のキネマ通りは、確かに筋のない小説か映画の一コマだった。永遠に閉じてしまった商店のシャッターの向こう側には、今はもうゴミが積まれた埃っぽい空間があるだけなのだろう。だけど、その空虚にだってほんの20年前までは何かがあったわけだから、それを形骸とか残骸と言い切ってしまうことはできない。


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「大人の貝酔欲情」とは何か?ピンク座が存在した頃は、それは何かを指し示していた訳だ。しかし、今それは私の想像の中だけにある。本当に、伊東というのはロマンのある場所だと思う。

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