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後ろ髪を引かれる


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2025年5月26日

 

昨年から、メルボルンと伊東の二拠点生活を送るようになった。昨年は3ヶ月くらい伊東で過ごしたから、まあまあの二拠点生活と呼べるだろう。本当は伊東がもっと近くて、週末ごとに行けるくらいなら良いのだが、そうもできない。それに、そんなに簡単に行けたら、有り難みが減るのかもしれない。

 

実はこれを書いている今週末から、半年ぶりにまた伊東に行く。今回の滞在は1ヶ月半だからそう長くはないのだが、逆に滞在中の予定がたくさん入ってしまった。日本に行くのは楽しみだが、出発する最後の一週間くらいがなかなか厄介だ。後ろ髪を引かれるというのだろうか、やり残したことがたくさんある気がして、何だか行きたくないような気分にさえなる。読みかけの本もたくさんあるし、ネトフリのドラマも見終わってないし(日本で続きが見られるのか?)、家のペンキ塗りは途中、庭の芝刈りも気になる。とにかく最後の一週間は、そういういろいろな残務処理があり、できればそれらを効果的に消化し、すっきりした気持ちで旅立ちたいのだが、なかなかそうはいかない。そんなで、こんなブログを書いたりして気持ちを紛らわしている。



ぶどう蔓の剪定をしている私
ぶどう蔓の剪定をしている私

読みかけの本は置いていく
読みかけの本は置いていく


しかし、こうやってグッと一週間こらえて、出発日の朝に家を出て空港まで辿り着けば、こんな「やり残し」の気分は霧散してしまうのだ。旅立ちの興奮で私は120%くらい元気になり、「メルボルン、バイバーイ」という気分で、さっさとチェックインと税関手続きを済ませ、今回は初めてロイヤル・ブルネイ航空に搭乗し、ブルネイという聞いたこともないような国を経由して成田まで青い空を飛んでいく。

 


冬はレモンのなる季節
冬はレモンのなる季節

さて、私が、本格的な二拠点生活を送っている人と最初に知り合ったのは、10年ほど前になる。それは南仏に家を持っていたオーストラリア人のGさんだった。彼は美術家で、ツールーズの近くのSaint Antonin Noble Valという村に石造の家を買って、そこで制作をしつつ画廊兼民泊を営んでいた。その頃のGさんは、半年フランス、半年オーストラリアという生活だった。私の妻が、そのGさんの南仏の画廊でアーティスト・イン・レジデンスとして、作品制作と個展を行うことになり、妻と私と息子は、この村に二週間ほど滞在した。その村には二拠点生活をしている人がたくさん来ていて、その夏も、オーストラリア人、イギリス人、アメリカ人、ベルギー人などで村の広場は溢れていた。(下の写真はSaint Antonin Noble Valの村のGさんの家兼画廊と、カミさん(加藤チャコ)の作品)

 


私は、それをきっかけに二拠点生活に興味を持ち始めだした。滞在中に「どうしてこの村に家を買ったの?」と尋ねると、Gさんは「フランスの地図を壁に貼って、ダーツの矢を投げたら、この村に刺さったのさ、あははは」と笑って答えた。「それに、成人した息子がアイルランドのダブリンに住んでいるから、彼に会いに行くにも、ツールーズからなら飛行機代がたった50ユーロだ。メルボルンからレイクスエントランスに行くガソリン代よりも安いんだぜ」と付け加えた。Gさんは、オーストラリアではメルボルンから東に300キロの、レイクスエントランスという海辺の町に住んでいるのだった。Gさんは、10年ほどフランスとオーストラリアの二拠点生活を続けたが、今はフランスの家は売却し、またレイクスエントランスに戻って暮らしている。

 


このカボチャは取り入れよう
このカボチャは取り入れよう

この間は、娘の友達夫婦が遊びに来た。奥さんのメルちゃんはシンガポール人の弁護士で、夫のマックスはマレーシア人のエンジニアだ。結婚したばかり、オーストラリアの永住権も取ったばかりである。永住権も取ったからメルボルンに落ち着くのかと思ったらメルちゃん曰く、「あたし、暮らすのはシンガポールの方が大好き。お母さんもシンガポールにいるしね。ただ仕事的にはメルボルンが待遇がいいし、子供ができたら環境のいいメルボルンで子育てするけど、シンガポールにはしょっちゅう帰るつもりだし、引退後は絶対シンガポールよ。」つまり、出稼ぎ的な感覚に近いのだ。さすが弁護士、人生設計がしっかりしているなあと感心する。私のような、行き当たりばったりの人生ではないのだ。

 

まあ、何はともあれ、人生も後半になってから、そういう二拠点生活に乗り出した私も、まあラッキーだと言えるのかもしれない。


庭の花にもしばしの別れ
庭の花にもしばしの別れ

 

 

 

 

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