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オジサン二人の島根奥出雲サイクリング旅行


 

(2025年7月7日執筆)


 

第一日目、羽田、出雲、奥出雲の木次まで(走行距離60キロ)


空路を島根まで

 

半年ぶりの本格自転車旅行である。私ことT太と輪友T村の二人は、今回7月頭、四泊五日で初夏の島根奥出雲地方を走り、米子をちょっとかすめ、松江を経て日本海岸まで走ってやろうじゃないかという計画を立てた。私はとにかく田舎を走るのが大好き、T村は歴史大好きだから、田舎も史跡もたくさんある出雲はうってつけのフィールドだ。この旅では、出雲大社に詣で、弥生時代の荒神谷遺跡を訪ね、眠ったような奥出雲の山中を走り、松江城に登り、小泉八雲の記念館を訪れ、日本海に沈む夕陽を眺めようという趣向だ。

 

いよいよ出発前夜の6月末の週末、我々T太とT村は、東京都心の南端、蒲田駅近のビジネスホテルに泊まった。翌朝羽田から発つからだ。蒲田は、東京でもかなりディープな場所だ。居酒屋やパチンコ屋、風俗店などがひしめいている。晩御飯を食べに行くときも、「社長、キャバクラどうですか?」「先輩、ガールズバーはいかがですか?いい娘いますよ!」という客引きや、メイドの格好をした若い女性をかき分けて歩かなければならない。

 

見れば、我々が泊まるビジホの向かいにはメンズエステなるものがある。近頃は男もエステに行くのだろうか、興味深い。「ねえ、メンズエステって何をする場所?」と、無知な私はT村に尋ねる。T村は営業マンであるから、雑学の知識は豊富なはずだ。エステというからには、フェイシャルとか脱毛とかリラックゼーション・マッサージなんかをするのかもしれない。ところがT村は、とぼけ顔で「さあねえ、俺は行ったことないから分かんないよ」と答える。店頭を見れば、セーラームーンみたいな女性たちの写真が貼ってあり、指名もできるとある。こんな女性にエステをしてもらい、スッキリしてから旅立つのも悪くないと思ったが、明日は早いからまた今度にしよう。

 

翌朝は5時起きで羽田へ。飛行機に乗ってしまえば島根は近い。出雲空港行きJAL便は7時10分に飛びたったと思ったら、8時過ぎにはもう着いてしまった。ところがJALとは言え、乗った飛行機はボーイング767という30年前の機体だった。昨今こんな古い機体に乗ることも滅多にないから、いささか損した気がした。しかし、よくよく考えてみれば、古ければ古いほど長いこと落ちずに飛んでいる訳だから、古い方が新しい機体より安全という考えもできる。そうだ、乗るなら古い飛行機だ。

 

自転車の入った袋を担いで空港の外に出ると、ブワーンとした熱気に包まれた。7月頭なのに、もう本格的な夏だ。自転車を組み立てながら、「こんなに暑くて大丈夫かな?」と不安にかられる。何せ私は、冬のメルボルンから来ているのだ。もう30年もオーストラリアに住んでいるから、蒸し暑い日本の夏は苦手だ。私たちは、これから四泊五日、こんな気温の中を250キロも走らなければならない。天気はずっと晴れ、昼間の気温は毎日30度以上という予報だ。これは厳しいかも。

 

 

出雲大社で茅の輪をくぐって身を清めたこと

 

走りだすとT村は、「いやー、空港で自転車を組み立てて走り出すと、いよいよだなって気分で高揚するよ」とはしゃぐ。私も同意したいのだが、ブワーンという熱気に圧倒されて、T村のように無邪気に喜べない。私は、無口のままひたすらT村の後について走っていく。すでに身体中から汗が滝のように流れ出ている。

 

出雲空港の横は、シジミで有名な宍道湖だ。回り道して湖畔を少し走ってみるはずだったが、あまりに暑いので、寄り道せずに真っ直ぐ出雲大社に向かう。出雲大社までは二十キロの平らな道だから、自転車でも1時間だ。直行バスなら30分だろう。この暑さだから、バスに乗ってもよかったなと走り出してから考えた。その先も、列車とバスを乗り継げば、本日の目的地である奥出雲の木次(きすき)まで行くことも可能だ。こんなに暑いのだから、そうしたって仕方ない。だが、いきなり弱気になってT村に呆れられるのも嫌だから、とりあえずは出雲大社までは自力で走ってみようと決意した。そして、暑さがあまりに過酷だったら、出雲大社の先はいっそのこと自転車を折りたたんで、クーラーの効いた列車やバスを乗り継ぐ旅に変更しようと提案すれば良い。そうだ、そうしよう、走るのは出雲大社までだ。そう考えると、気持ちはうんと楽になった。楽観的になったせいか、私は思いの外元気に自転車を漕ぎ、割とすぐに出雲大社に着いてしまった。

 

出雲大社に着くと、まずは本殿に詣でた。ところが、私が心の中で抱いていた出雲大社のイメージと目前にある出雲大社は、かなり雰囲気が違う。この違和感は何だ?そしてすぐに答えが出た。それは、私が出雲大社と伊勢神宮を一緒くたにしていたからだ。私は以前伊勢神宮には行ったことがあり、それ故大きな古い神社というのは、みな伊勢神宮のような外見だと思い込んでいたようだ。その思い込みゆえ、「伊勢神宮イコール出雲大社」と言う公式ができてしまっていた。まるで、ピンクレディーのミーちゃんとケイちゃんを同じ人間だと思うようなものだ。それはいけない。認知症の初期症状かもしれない。

 

私は出雲大社を前に、自分の迂闊さに呆れていた。高校時代、日本史の授業中居眠りばかりしていたツケだ。こんなことをK大学歴史学科卒業のT村に言うと馬鹿にされるから、私はこの勘違いは黙っていた。そればかりか、「いやあ、思ったとおり出雲大社は立派だねえ。その上、考えていたよりも古びていて、この渋い感じが素晴らしい。さすが出雲大社だ!」などと、大袈裟に感激した振りをした。

 

幸いT村は、そんな私の迂闊さには全く気が付かず、出雲大社の偉大さに感激して、「こここそ、日本のルーツだ、大国主大神様、ついに私はここにやってきました!」とか叫んでいる。そして、横で参拝しているどこかのおばさんに話しかけて、「出雲大社は特別な神社ですから、二礼四拍手一礼をしなくてはいけないのです。さあ、私のやる通りにやってみてください」などと、嬉々として知識をひけらかしている。

 

さて、この日はたまたま6月30日だった。知らなかったが、出雲大社では「茅(かや)の輪くぐり」という神事が行われる日なのだ。これは、茅でできた輪を八の字を描くようにくぐって、身を清める神事らしい。こんなことは歴史通のT村も知らずにいたらしく、行列を作って茅の輪をくぐっている人たちを見て、「なんだこりゃあ?」と驚いていたが、その効能を知ると、すぐに「俺たちもやってみようぜ!」と列に加わった。そうやって私たちも、茅の輪をくぐって身を清めた。もちろん無料である。出雲大社で、しかも無料でさっぱりして、つくづく蒲田のメンズエステなんかに寄らなくて良かったと思った。

 

荒神谷遺跡で興奮したT村が、地元のオヤジと受付の美女を巡って競り合ったこと

 

出雲大社を詣でるとお昼なので、出雲そばを食べることにした。「島根出身の会社の女性が言っていたが、出雲そばはどこで食べてもハズレがないそうだ」と、T村は自信満々で言った。そこで私たちは、参道の一番外れの比較的空いていた店に入ったのだが、果たしてその出雲そばは結構な味だった。

 

昼過ぎ、いよいよ暑さは過酷さを増したが、私は茅の輪くぐりをして、出雲そばを食べたら案外元気になり、交通機関に頼らなくとも自力で目的地の木次まで行けそうな気持ちになってきた。そこで、私たちは弱音も吐かずに、次の目的地の荒神谷(こうじんたに)遺跡を目指した。

 

T村に言わせれば、荒神谷遺跡は、日本の古代史を全く塗り替えてしまうような発見があった遺跡で、ここを訪れることは、歴史学を究めたものにとっては至福の体験になるということだった。

 

「何がすごいかって言いますと、実はここで1980年代に358本もの銅剣や鉾なんかが、一度に出土したわけなのよー。ということはつまりー、弥生時代にここには大きな勢力の豪族がいたってわけ。だからー、それはものすごーい発見でして、それまで仮説でしかなかったことが実際に証明されたってことなのよ。だからー、これはすごいロマンでして、私はもう大コーフンなのよ。でも、この大量の銅剣や鉾をこんな山奥に、一体誰が何のために埋めたのかは、記録がないからさっぱり分からないのよー。だからー、それってすっごいミステリーでして、さらに私は、もうロマンを感じてしまって、たまらないのよ」とT村は私に説明してくれた。

 

こいつは興奮するとなぜかオネエ言葉になる。いささか気持ちが悪いのだが、T村の奥さんに言わせると(これは前にも書きましたが)、T村は40年も金持ちオバサン相手に高級キッチンを売る仕事をしてきたから、深層心理的に「オバサン」になってしまったらしい。そのオバサンは普段はオジサンの仮面の下に隠れているのだが、興奮すると出てきて、話し方もついオバサンになってしまうのだ。つまり、私はオジサンの顔をしたオバサンと自転車旅行していることになるが、気持ちが悪いので、これ以上この問題は深掘りしないことにしている。

 

さて、その荒神谷遺跡に着くと、果たしてT村の言うことを裏付けするような立派な博物館が田んぼの中にあった。中に入ると、強力なクーラーの冷気が体を包み、「ああ、涼しい!」と、私たちはしばし恍惚とした。汗が引くのを待ってから受付でチケットを買ったのだが、受付の女性は、さらっとした長い髪の、いかにもこういう場所の受付にふさわしい、教養のありそうな美人だった。歴史博物館の受付をしているインテリ美人、それこそT村の理想の女性であることは言うまでもない。チケットを買うときT村が、この女性を見てうっとりしながら熱い視線を送っていることを私は見逃さなかった。ところが、悪いことにこの女性の横には、すでに初老のオヤジが張り付いていて、何やら親しげに話しこんでいる。T村は、実に不機嫌な目つきでこのオヤジをにらみつけてから館内に入った。

 

私たちは銅剣や鉾なんかを熱心に見てから、また入り口に戻った。見れば、あのオヤジがまだ受付の女性に張り付いたまま会話に没頭している。T村は、がっかりした顔で大きなため息をついてから建物の外に出た。そして案の定、「あのオヤジ、まだ受付の女性に張り付いていやがる。一体いつまで、あそこにいるつもりなんだ?あれじゃあ、カスハラだ。他の人が彼女に話しかけようたって話しかけられないじゃないか!」と息巻いた。私は、そのときペットボトルの水を飲み干したところだったので、「じゃあ、このボトルを館内のゴミ箱に捨ててきてよ。そのついでに、あの二人の会話に割り込んで、彼女を奪い取ったらいいじゃないの」と提案した。すると、「そうだ、そうしよう、見てろよ、オヤジ!」とT村は、私の手から空のボトルをひったくって館内に戻って行った。

 

待つこと15分、T村はニヤニヤしながら館内から出てきて言った。「ウヒヒヒ、まんまと二人の会話に割りこんでやったぜ。その上、あの娘と記念写真も撮ってきたよ。あのオヤジには、『歴史にお詳しいんですね、こちらの館長さんですか?』って皮肉を言ってやったら、『とんでもない、ただの見学者です』だってさ。ざまあみやがれ!」

 

 

奥出雲の木次まで美しい田舎を走って暑さを忘れる

 

荒神谷遺跡の先は、もう奥出雲の田舎であった。その素晴らしい田舎の原風景の中を私たちはゆっくりと走っていく。自転車の素晴らしいところは、畑の間の細い農道でも、昔の旅人が歩いた旧街道でも、遍路道でも、路地でも、どこでも入っていけることだ。そして、道端にお地蔵があれば、その横に自転車を停めて一休みできるし、畑を耕しているおじさんに声をかけることもできる。

 

まだまだ暑さはかなりのもので、日向では34度くらいあったが、私もこの頃になるとようやく暑さにも慣れてきて、どうにか今日の目的地である木次(きすき)まで走れそうな気がしてきた。それにしても、近年こんなにたくさん汗をかいたことはないから、まるで鯨のように水を飲みながら走ったのだが。

 

木次までは斐伊川に沿いの道を行く。幸い、車の多い県道に並行するような形で旧道がある。自転車で走るなら旧道だ。木次まではかなりの登りもあるが、景色に見惚れ、青々とした田んぼを眺めながらゆっくり走るから、ちっとも退屈しない。途中で、2回もタヌキが道端を歩いているのを見かけた。旅は、進むスピードが遅ければ遅いほど、その質が高くなるようだ。わざわざ島根まで来てみて、本当に良かった。

 

午後遅く、木次の町に着いた。木次は、斐伊川にまとわりつくような長い集落だ。木次駅は、これまた田舎の駅を絵に描いたような、可愛らしい駅だ。あとで聞いたが、この辺りは豪雪だから、木次線は冬になると運休になることがあり、そのことを「冬眠」と呼ぶのだそうだ。冬眠する列車なんて初めて聞いた。

 

私たちは、まるで眠っているような古い街道を走った。木次の表通りは、まるで映画セットのように古ぼけている。実際、ここは松本清張原作『砂の器』の映画撮影に使われたのだそうだ。やがて、今夜泊まる天野館の看板が見えてきた。天野館は木次でも特に古く、明治24年創業だそうだ。『砂の器』の撮影時には、ここに丹波哲郎や緒形拳などの俳優が泊まったのだと旅館のご主人は教えてくれた。

 

我々は、天野館の奥に通され、大きくて豪壮な、続きの間がある和室を使わせてもらった。その晩は、冷房をつけたまま、冷えひえの部屋で寝た。

 

(次号に続く)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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