おじさん二人のとびしま&しまなみ海道サイクリング紀行第四回
- 鉄太 渡辺
- 4 days ago
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Updated: 3 days ago
旅行の目的は(ほとんど)すべての場合—-paradoxicalな言い方ではあるけれど—- 出発点に戻ってくることにあります。(中略)それが我々の最終的な到達点です。しかし我々が戻ってきた出発点は、我々が出ていった時の出発点ではない。風景は同じ、人々の顔ぶれも同じ、そこに置かれているものも同じわけです。しかし何かが大きく違ってしまっている。そのことを我々は発見するわけです。その違いを確認することもまた、我々の目的の一つです。
村上春樹 『ペーパースカイ』No.10,2004のインタビューから

因島で自転車を漕ぎながら考えたこと
とびしま海道、しまなみ海道ツアーもいよいよ四日目の最終日だ。昨夜泊まった民宿の竹内まりやに目が似ている女将は、ついにマスクを外してくれなかった。素顔が見られなくてT村は「ああ、彼女を落とせなかった!」と残念そうだった。実は、私T太も同じくらい残念だった。どうして目だけ出している女性というのは、魅力的なのか。
さて、今日の走行予定は短くて、因島を数キロ走ってから小さな渡しのようなフェリーで海峡を渡り、尾道の街をぶらぶらするだけ。午後にはJRの列車とバスで広島空港まで輪行して夕刻の飛行機で東京へ帰る。
民宿を出て、因島の本州側に向かってのんびり走っていく。ひなびた浜辺が続いて良い感じだ。ところどころにはモダンなデザインの別荘も点在し、ここらは関西あたりの金持ちの遊び場であることも匂わせている。新尾道という新幹線の駅もあるし、広島空港までほんの一時間だから、この辺りに一軒別荘を買っちゃおうという富豪もいるだろう。私だったら買っちゃうね。

と、私はそんなことを考えながら自転車を漕いでいる。自転車に乗っている間の私の思考は、そんな風にとりとめがない。私の大学の恩師で、退職後に自転車乗りになった故伊藤礼先生という英文学者は、サイクリングに関する著書を何冊か残している。その中に「私は自転車に乗っている時、何を考えているか」というような内容のエッセイがある。これは、村上春樹の『走ることについて語るときに僕の語ること』という本の題にちょっと似ている気もするが、内容はかなり違う。このエッセイは、『自転車ぎこぎこ』という本に入っていた気がするが、もしかしたら『こぐこぐ自転車』と言う本だったかもしれない。おかしなエッセイだから一読を勧める。(今、手元に本がなくて確かめられない。すみません!)
その答えだが、伊藤礼先生は「自転車に乗っている時、私が何を考えているかと言うと、自転車に乗っている時、何を考えているのか考えているのだ」と結論づけている。言い得て妙だ。しかし、何を考えているか考えてしまった後には、何か別のことを考えなければ思考が堂々巡りになってしまう。特に、何時間も単調な道を走っているような時は、自動車やトラックに轢かれないように安全走行を心がけつつも、私は色々なことを考える。青森をT村とサイクリングしたときは走りながら俳句を考えたが、そうしているうちに二人とも「俳句頭」になってしまい、考えていることが、全て五七五の文字数になってしまった。その上、この日ずっとT村の作った駄句を聞かされる羽目になったので私は閉口した。一例を挙げるなら、「平麺のウスター味に舌鼓」というのがあるが、一体この句のどこに情緒があるのか?幸い今回の旅では二人とも俳句頭にならなかったので、T村の駄句を聞かないで済んでほっとしている。
もう一つ、私が自転車を漕いでいるときに心がけていることは、つまらない歌を歌わないようにすることだ。うっかり変な歌を歌おうものなら、一日中その歌が頭から離れなくなる。特に歌謡曲とか小学校唱歌が危険だ。今回は瀬戸内海の島々を走っているから、当然小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」が脳裏に浮かぶ(相当古い!)。しかし、こういう歌を口ずさみ出したら最後、私の頭には一日中「瀬戸は日暮れて、夕波小波〜、父さん母さん、大事にし〜て〜ね〜」と言う歌詞がエンドレステープのように流れ続けるだろう。その上悪いことに、歌詞の二番三番になると、うろ覚えだから思い出せなくてイライラしてくる。自転車で走っているときは歌詞をググるわけにもいかないから、まるで、傷のついたレコードをずっと聞かされているみたいで始末が悪い。
小学校唱歌も良くない。サイクリングといえば、「サイクリングリンリン」(小川寛興作曲、阪田寛夫作詞)が思い浮かぶかもしれない。私はこの曲には大分苦しんだので、長距離のサイクリング時には絶対に歌わないようにしている。これをうっかり口ずさもうなら、頭の中で永遠に「サイクリングリンリン、ほらリリリンリ、空も晴れーてる」と止まらなくなり、午後三時には発狂してしまう。もう40年以上前だが、高校時代にT村と北海道一周サイクリングをした時、T村は私を苦しめようとこの歌を歌い続けた日があった。北海道の単調な一直線の道を走りながらT村は執拗にこの歌を歌い続けた。しまいに私は、「お前とはもう一緒に走りたくないから、今日から別れて走ろう」と宣言し、この日は別行動をとったことを記憶している。

フェリーボートがモデルチェンジをしないことについて
さて、そんなことを考えながら因島を走っていくと、海峡の向こう側に尾道の街が見えるところまで来た。海峡といっても、太い川くらいの太さで、ここをたくさんの船が行ったり来たりしている。その向こう側には、尾道の街がまるで玩具箱をひっくり返したみたいに小高い山の斜面に広がっている。
私たちは、歩行者と自転車と原付自転車専門の小さなフェリーボートに乗り込み、ほんの五分で本土側に着いた。このフェリーは、ダンプカーの荷台に屋根をつけて水に浮かべたみたいな形で、良く言えば質実剛健、率直に言えば、沈まなければあとはどうでも良いという設計のようだ。同じ乗り物でも、自動車やバイクや飛行機などは数年おきにモデルチェンジがあり、どんどん進歩したデザインになっていく。例えば、ホンダ・シビックという自動車ならば、1972年のデビュー当時は、小さくて丸っこい、可愛いげな大衆車だった。それが現在は、平べったくてスポーティ、悪く言えばゴキブリにタイヤをつけたようなスピード感のあるデザインに進化している。一方フェリーボートは、私は何十回乗ったか分からないが、見たところモデルチェンジはないに等しい。現に私たちが乗った尾道に渡るこのフェリーも、青函連絡船をただ小さくしたようなデザインだ。きっと終戦直後のまだ貧しかった時代、尾道のどこかの小学生に絵を描かせ、そのデザイン通りに作ってしまったのだろう。そして、運よく沈まないで、そのまま何十年も運行され続けているのだ。
このフェリーで働いている切符切りの男性も、このフェリーと同じような後期高齢者で、まるで今にも倒れそうになりながらも運賃を集めていた。きっとこの人は、戦後ずっと何十年もこの船に乗り続けて、この五分間の航海を何万回も繰り返してきたのだろう。だとしたら、海峡横断最多数保持者としてギネスブックに掲載されることは間違いない。継続は力なりである。


T村、「うっかり力」をまた発揮する
さて、無事航海を終えた私たちは、尾道の市街に足を踏み入れた。尾道は細長い商店街のアーケードが有名だ。まずはここを自転車でぶらぶら走る。そのどん詰まりに千光寺という寺があり、ロープウェーで上まで登れるようになっている。私たちは、自転車を公衆便所の脇に捨てて(本当に捨てたわけではない、置いただけ)ロープウェーの乗客となった。あとで尾道の地図を見て知ったのだが、尾道には他にもたくさんの寺がある。しかし、ロープウェーがあるのは千光寺だけだ。ロープウェーをつければ、当然観光客がどっと押し寄せる。お布施もたんまりと集まるだろう。そういう意味では、千光寺は抜け目がなく、尾道の他の寺を出し抜いて何億円もかけてロープウェーを設置した甲斐があったというものだ。

ロープウェーで上まで登って展望台から見回すと、瀬戸内の島々がばーっと見渡せる。これはなかなか豪勢だ。やっぱり作るならロープウェーだろう。千光寺にお参りをすると、境内に俳句ポストなるものがある。「一句お読みください。入賞作には記念メダルを進呈」とある。何かがもらえると聞くと、T村はハッスルする。記念メダルなんか貰っても仕方がないと思うのだが、これをゲットしようとT村は一句読むことにしたらしい。そもそも動機が不純だし、ろくな句は読めんだろうと思うのだが、T村は一句書いてポストに入れた。

今度は、この先の尾道市立美術館に向かう。これは安藤忠雄設計だから建築マニアのT村としては見逃せない場所だ。実は、昨日行った大三島では、こちらも有名な建築家の伊東豊雄ミュージアムへT村は行きたかったのだが、運悪く閉館だった。
ところが、ああ無情、安藤忠雄も閉館だった。「何でなのよー!」とT村は号泣せんばかりだ。展示品の入れ替えで、臨時休業なのだった。
「残念だけど、ちゃんと調べてから来ないからだよ」と私。またT村が「うっかり力」を発揮してしまったのだ。

私たちは気を取り直し、ロープウェーで登った千光寺を、今度は徒歩で降りる。寺や古い建物が続く路地のような坂を下っていき、また尾道の商店街まで戻った。

尾道で古本屋を冷やかし、穴子丼を食べたこと
「今度は古本屋巡りをしよう!」とT村は嬉しそうに宣言した。そうだ、こいつはにわかハルキストなのだから、古本屋巡りが似合っている。私も古本屋が大好きだ。
古本屋をT村がググると、尾道書店というのがそばにあることが判明した。尾道書店に入ると、店番の女性と宅急便屋の若い男がスニーカーの良し悪しについて熱い談義をしていた。二人は、「やっぱ、オニツカが一番だ」と一致したみたいだったが、宅急便屋がスニーカーについて語るのは重みがある感じがする。
私たちは、そんな会話を聞きながら古本漁りをしたのだが、この書店はただの古い文庫本が主で、あまり選んで置いてある感じではない。まあ、それでも私たちは、ここ数日は本から遠ざかっていたので楽しい気分だった。私は、椎名誠の『中国の鳥人』を買った。にわかハルキストのT村は、村上春樹のエッセイ集か何かを買っていた。古本屋は楽しいが、著者には一銭も印税が入らないのだから、本当のファンは新品を買うべきだと物書きの端くれであるT太は考える。でも村上春樹や椎名誠くらいになると、そんなことはどうでもいいくらいガバガバ印税が入るだろうから、古本をちょっとくらい買われても痛くも痒くないだろう。むしろ所得税が減って良いくらいだ。でも、もし私の本を買う人があれば、ぜひ新品を買って欲しい。

「本屋がもう二軒あるから、行ってみようぜ」とT村が言う。もちろん異存はない。ただ、私たちは自転車旅なので、あまり本を買ってしまうと持ち帰るのが大変だ。でも、最悪の場合は郵便で送ってしまえば良いだろう。そこで次に行ったのは、『本と音楽 紙片』と言うかっこいい店だった。狭い(本当に狭い)路地を入った奥の店で、ここは店主が選んだ本が置いてある。白いカーテンをめくって入ると、蔵の中みたいな書店が現れる。フェミニズムとか環境とか自然に関する本が多かったような気がする。
ここでT村は目ざとく、上にも書いた私の恩師である伊藤礼先生の遺稿集『旅は老母とともに』(夏葉社)を見つけてくれた。もちろん私はこれを買い求めた。伊藤先生は2023年に亡くなっているが、私は大学のときに伊藤先生の英語の授業を取った。伊藤先生は20分遅れて授業を始めて、20分早く終わることで有名だった。今そんな先生がいたら、すぐにクビだろう。しかも先生は、D.H.ロレンスなどの作品を自分で訳して解説し、学生はそれを聞くだけと言う授業だった。もちろん、そんな授業は誰も聞かないのだが、私は優秀な学生だったから伊藤先生が実は優れた頭脳の持ち主であることを見抜き、一番前の席で(眠気をこらえながら)先生の話に聞き入ったものだ。卒業後は一度もお会いしなかったが、先生は70代から80代にかけては颯爽とした高齢サイクリストとなり、旅行記を書いて有名になった。そんな伊藤先生の遺稿集を買えただけでも尾道へ来た甲斐があったと言うものだ。だから、この本を見つけてくれたT村にはとても感謝している。

私たちは本漁りの成果に気を良くし、さらにもう一軒「ブックカフェ草冠」という店に入った。ここは喫茶店と古本屋とレコード店を兼ねている。私たちは中年のインテリ紳士っぽく、ここで優雅にコーヒーを飲んだ。私たちは、客観的に考えても、かなりのイケオジだと思うのだが、残念ながら我々のことを潤んだ目で見ている女性はこの店内にはいなかった。
この喫茶店の卓上には小津安二郎の映画の本が置かれていた。小津の映画『東京物語』には古き良き時代の尾道が登場し、笠智衆が渋い老人役で出ていた。でも、その時の笠智衆はまだ五十歳にもなっていなかったそうだ。私のように還暦の坂を超えてしまうと、あまり年寄りくさくみられるのは勘弁だ。
笠智衆のことを考えていたら、穴子丼が食べたくなった。多分「笠智衆>男はつらいよ>東京の下町>深川>穴子」という連想だった気がする。一瞬でこういう連想をしてしまうのだから、オレってすごいよなと感心する。さらに、数年前に小豆島に行ったときも美味しい穴子丼を食べたから、私の中には「瀬戸内>穴子丼」という方程式があるのかもしれない。

そこで、「昼飯は穴子丼にしようよ。あっちの商店街に穴子丼を出す店があった気がする」と言うと、T村も、
「穴子丼とは美味そうだ。よし、店を探そう」と二つ返事でケータイを取り出し、パンパーンと検索して、ものの30秒で穴子丼の店を二、三軒見つけてくれた。
そういうわけで、T太とT村の二人は、美味しい穴子丼でこの愉快な旅を締めくくった。蛇足だが、その後広島空港で出発前に尾道ラーメンを食べたことも記しておこう。T村は、なぜか旅の終わりにラーメンを食べたがる癖があるのだ。(「山形県最上川下りサイクリング」のブログを参照のこと)
めでたし、めでたし!
(これで、「おじさん二人のとびしま海道&しまなみ海道サイクリング記」は終わりです。お付き合いくださり、どうもありがとうございました!)




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