おじさん二人のとびしま&しまなみ海道サイクリング紀行
- 鉄太 渡辺
- Jan 7
- 15 min read
2026年12月
三日目: 今治から、しまなみ海道を経て、因島大浜港の民宿まで、78キロ
誰をも抜かない。誰にも抜かれない。しかしそれでも我々はそんな回転木馬の上で、仮想の敵に向けて熾烈なデッドヒートを繰りひろげているように見える。
村上春樹『回転木馬のデッドヒート』から

前回は、しまなみ海道の印象がそれほど良くなかった私ですが…
さて、私たちの、とびしま海道としまなみ海道のサイクリングも後半に入った。と言っても、三泊四日だから、そう大したことではない。その今日と明日は、しまなみ海道を走る。しまなみ海道デビューのT村は興奮を隠せず、今治スーパーホテルの無料朝食ビュッフェでは、ご飯に納豆や味噌汁などをいつもより大盛りにしてチャージしている。
さて、一方の私、コロナ禍の前年にしまなみ海道を走っているから、概ねどんなルートか分かっているから冷静沈着そのものだ。前回走った時の印象は、偉そうに聞こえるかもしれないが、「世間が騒いでいる割には、あまり大したことないな」であった。その上、あの時は風が強くて橋を渡るのに難儀した。
さらに、しまなみが期待ほどではなかった一番の理由は、「はい、ここでは決められたコースを決められたように走ってくださいね。そうすれば、ちょうど良いところに道の駅とか、コンビニとか、カフェとか、何でもありますよ!」というお仕着せの安易さが性に合わなかったからからだ。長さが2、3キロもある吊り橋や、自転車専用の道路、瀬戸内海の景色は確かに素晴らしいが、そうやって作られたコースには野趣がないのも確かだ。私にとってサイクリングの一番の醍醐味は、古い農道や峠道を走りながら、この道はどこに出るのかなと不安になったり、思いがけない光景に心をときめかしながら走ることかもしれない。前回ここでは、そんなワイルドな感覚がなかった気がする。
でも、実は私の方にも原因があって、その時はもう10日以上も四国を走り、高知の海岸、四万十川、足摺岬、松山などをたくさん走ったあとでくたびれ果てていたのだ。だから、瀬戸内海を見ても「ああ、また海ね…」、橋を見ても「また橋か、うんざりするよな…」と言う反応だったかもしれない。その上、松山の手前で恐ろしく寒い風とみぞれに吹かれ(その時も12月だった)、5キロも10キロもトンネルばかり続く国道をトラックにあおられながら走ったり、正直もう旅を終えたい気分だった。
しまなみ海道に至る今治の街並み
だが今回は、天気も良いし、楽天家のT村も一緒だし、きっと楽しい一日になるだろう。ホテルを出ると、まず今治の街中を走る。昨晩船を降りた時は暗かったから、今朝は印象がガラッと違う。今治の道はまっすぐで広い。これは四国の都市全部に言えることかもしれない。徳島然り、高知然り、高松然り、松山然り。共通点は城下町だと言うこと。道が広いと街が明るく見える。古い街並みもたくさん残っていて、なかなか良いところだ。海辺に行くと漁港があり、造船所がある。それも瀬戸内らしい光景だ。町外れに小高い丘があって、そこから大きな橋がかかっている。しまなみ海道の始まりだ。
私とT村は、うんせうんせ坂を登り、でっかくSHIMANAMIと書いてある看板の前で、お約束の記念写真を撮った。背後には、来島海峡大橋がデーンと横たわる。来島海峡大橋は三つの橋が連なる三連吊橋で、全部を合わせると4キロ以上もあるそうだ。橋に上がると、感激家のT村は、「おおお!」と叫び、青い瀬戸内海に向かって、「こりゃあ、すごい、すごい景色だ、うわー、ついに私はしまなみ海道にきましたぁー!」と、両腕を振り回して声を張り上げている。

感激屋のT村が喜ぶ様子を見ていると私も嬉しくなって、思わず「ワハハハ」と笑ってしまう。場所の印象は、誰と一緒かとか、その時の体調だとか天気とかに左右されることが分かる。私とT村のサイクリングの旅が愉快で色々なサスペンスに満ちているのは、彼の剽軽な人柄によるところが大きいのは明らかだ。私一人で旅するときは、2、3日は何も起きなくて、ただ無言でペダルを踏み続けていることすらあった気がする。だから、私はT村に大いに感謝すべきであろう。彼は、高級システムキッチンを売るセールスマンなのだが、退職したら、今度は旅行ガイドのアルバイトをするべきだ。きっと売れっ子になるだろう。
話は変わるが、私は高いところが苦手だ。来島海峡大橋の上から海面を眺めていると、吸い込まれそうで恐ろしくなる。あまりの恐ろしさに、いっそ飛び降りて死んでしまおうかと思い始める自分が怖い。こんな素晴らしい天気の日に飛びこんで死ぬのは嫌なので、後退りして、下の水面が見えないところに下がって景色を眺めた。
さて、無事に来島海峡大橋を渡り終えると、次は大島だ。渡ったところに道の駅があったので、ここで一休み。まだ朝なのに、煙をたてて七輪で海鮮バーベキューをしているグループもいる。私たちは、レモンじゃこてんと言うものを食べたが、揚げたては美味であった。これを揚げてくれたお姉さんは中国出身みたいだったが、中国語アクセントの日本語がとても可愛かった。私が中国語アクセントが好きなのは、中学生時代にアグネスチャンのファンだったせいだ。
私たちは大島を走り抜け、今度は伯方・大島大橋(全長1165メートル)を渡る。そのまま走り続けて、次は大三島橋(全長328メートル)も渡った。数え方にもよるが、しまなみには橋が七本あるから、今日の走行は、橋、島、橋、島…の繰り返しになる。
自動車は、一つの橋を渡り終えてもそのままビューンと自動車専用道路を走り続けるのだが、自転車の私たちは橋が終わると、島の上では、長い坂を下って普通の道路を走らなければならない。そう書くと、自転車は自動車に比べて不当な扱いを受けている感じに聞こえるが、決してそうではない。かえって普通の道路を走る方が島の様子を見ることができて楽しい。何かをじっくり見たいなら、歩くのがベストであるが、その次に良いのが自転車だろう。だが、馬やロバと言う選択肢があるならば、自転車よりもそっちが良いかもしれない。ただし、ゾウだけは別だ。私はタイに行った時にゾウに乗ったが、非常に乗り心地が悪かったのでお勧めしない。
今日は、天気も良く、そこそこ自転車で走っている人たちがいる。外国人が多いが、日本人もいるし、普段は買い物でしか自転車に乗らないようなおばちゃんたちもいるが、おばちゃんたちは、電動アシストでビュンビュン飛ばしているから注意が必要だ。ぼんやり景色なんか見ていると、突き飛ばされて、80メートル下の海面に落ちてお陀仏だ。でも、ここを走っていると、いろいろなサイクリストたちとすれ違ったり、追い抜いたり、追い抜かれたりするのが楽しい。

謎の女性サイクリスト
大島のどこかで私たちがまっすぐな県道を走っていたら、後ろからビューンと、マウンテンバイクの若い女性に追い抜かれた。私のすぐ後を走っていたT村は、「ワオ!!」というような声をあげた。抜かれる時にチラッと見えたが、長い髪をヘルメットの中にたくしこんでいた横顔のフォルムは彫りが深くて美しかった。
何よりもその女性は、素晴らしく美しいフォームで、マウンテンバイクを漕いでいたのだ。サイクリストは、自転車に乗っているフォームが良いか悪いかで見栄えが非常に変わる。乗り慣れているライダーはサドルを高めにセットし、上半身と下半身の体重を上手にハンドルとサドルに分散し、軽い感じに座っている。そうやって、上半身はほとんど揺らさずに走っていく。一方で、買い物のママチャリしか乗らないような人は、サドルは低めで体重のほとんどをお尻に載せ、膝をぐにゃぐにゃ曲げながら頭を左右に振りながら乗っている。こう言うのは最悪だ。マウンテンバイクの女性は体つきも無駄がなく、全く惚れ惚れするような漕ぎ方で、私たちよりも時速5キロほど速く、流れるように走っていった。

私は、この女性に追いつこうと少しスピードを上げた。追い抜こうとしたのではない。その美しいフォームを眺めながら追走すれば何か学ぶこともあろうかと考えたのだ。断っておくが、決して邪心ではない。
私の後を走るT村も、全く同じことを考えていることが察せられた。なぜなら、彼がギアを一段アップする、ジャラジャラガッチャンという音が聞こえたからだ。私たちは速度を上げて、マウンテンバイクの女性をしばらく追いかけた。ピチッとしたウエアに身を包んだ彼女の足は長くて美しい。それだけで私たちのモチベーションと血圧はグッと高くなり、スピードも上がった。
彼女との車間距離が少しばかり詰まった。しかし、無情なことに、やがて上り坂になった。車間距離がジリジリと開いていく。息が苦しくなってきた。後でまたジャラジャラガッチャンというギアをローに落とす音が聞こえた。同時に苦しそうなT村の、「ウヒャア、ダメだこりゃあ」という敗北宣言が聞こえた。私も彼女のスピードには追いつけず、ジャラジャラガッチャンとギアをローに落とした。
でも、たまにこういうことがあるから、多くの(おじさん)サイクリストが口を揃えて、「しまなみ海道は楽しいよ、最高だよ!」と言うのかもしれない。きっと、そうだ。

大山祇神社の宝物館で弁慶の鎧を見た
そんな風にして私たちは大三島橋(328メートル)も渡り、次の多々羅大橋(1480メートル)に迫るところまで来た。ところが、ここらあたりで空が曇り始めた。その上、女性サイクリストとのデッドヒートを繰り広げたので、私たちはお腹が空いてきた。そこにはちょうど良いことに道の駅があった。
「ここの道の駅で昼ごはん食べようか?」と私。
「そうしようぜ。でも、もしかしたら、先ほどのマウンテンバイクの女性もいるんじゃないの?」とT村は、キョロキョロしている。私も探したが、彼女の姿はどこにも見えなかった。いるのは、電動アシスト自転車をレンタルしようかどうか悩んでいるおばちゃんたちばかりだ。こういう人たちには用はないから、私たちは、さっさと食堂に入って仲良くカキフライ定食を食べた。
雲行きがだいぶ怪しくなってきたので、この先どうするかT村と私は協議した。
「大三島には大山祇(づみ)神社があるけど、どうするよ、見にいく?」と私。
「往復で10キロ以上の迂回になるし、神社の宝物館を見たら全部で一時間半の寄り道だ。それを含めると、因島の民宿までまだ35キロくらいになるから、着く頃には真っ暗になっちゃうぜ。神社はやめようか?」と珍しくT村は消極的だ。
「やめてもいいけど、そうすると早く着きすぎるかもよ。それも面白くないんじゃないの?神社の宝物館で、血に塗られた弁慶の鎧とか見たくないの?」と私。
歴史好きのT村は、鎧と聞くとやる気を起こした。「鎧かあ…じゃあ、行ってみるか!」
そこで私たちは、10キロ以上の寄り道をものともせず、大山祇神社まで山を越えて走った。前回私はここらでイノシシに遭遇したので、今回も危険がないか目を光らせて走ったのだが、幸いイノシシには出くわさなかった。
大山祇神社は、古風な中世の雰囲気がいっぱいの静かな神社だ。神社の裏には宝物館があり、ここに弁慶の血塗られたオリジナルの鎧があるのだ。ここの見学は、大崎上島の大望月邸で我々を案内してくれた女性の推薦だったことを賢い読者は覚えておられるだろう。そこで、私たちは宝物館に入ったのだが、果たしてここには大変な数の刀剣やら鎧やら手裏剣やら武器類が展示されていた。弁慶の鎧もあったので、私は仔細にこれを検分したが、古びているだけでどこが血に塗られているのか判然としなかった。もしかしたらそれは、あの大望月邸の女性が勝手に想像したことだったのかもしれない。人は興奮して逆上すると、見てないものまで「見た」と信じる傾向があるから、その可能性もある。

サイクリングで、たまに雨に降られるのも良いものだ
鎧の見学が終わると、さらに天気も悪くなってきた。寒いし、コーヒーでも飲んで温まってから走り始めたかったのだが、大山神社のあたりにはカフェのようなものは全然なかった。仕方がないので、私たちは多々羅大橋の道の駅まで戻って橋を渡った。雨が降り出したので雨合羽を着たが、準備さえしておけばたまに雨に降られるサイクリングもまた楽し!というのが私の持論である。この橋の真ん中で、私たちは愛媛県にお別れを言って広島県に入ったのだった。雨の中の別れだったから、映画のシーンみたいだった。私は、ハンフリー・ボガードみたいに気の利いたことを何か言いたかったが、何も思いつかなかった。
生口島で、なぜワッフルなのかという問題
多々羅大橋を渡ってしまうと生口島だが、そこはもう尾道市だ。ここらはもう地方都市の郊外と言った感じで、普通にドラッグストアとかコンビニとかコインランドリーとかがあって一気に旅情が失せてくる。島を本土と橋で繋いでしまうとこういう現象が起きてしまうのだ。でも、ここは尾道市民の生活の場なのだから仕方のないことだ。
瀬戸田というところで、私はどうにもこうにもコーヒーを飲まなくては先に進めなくなった。そこで、行き当たりばったりのカフェに入った。一見して明るい感じの良さげなカフェだったが、できますものが善哉(ぜんざい)とワッフルしかないのが妙であった。私は善哉を食べたかったが、T村に「オレが善哉!」と先を越されてしまったので、仕方なくワッフルを注文した。善哉はすぐに出てきて、T村は「ハフハフ」と言いながら美味しそうに食べてしまった。ワッフルは滅多に注文する人もないらしく、おばさんは「10分待ってね」と言ってからワッフル焼き器をガチャガチャ取り出して作り始めた。この時点で、もう絶対に善哉にすればよかったと後悔したが、おばさんは鋭意粉をこね始めたから、「やっぱり善哉にしてちょうだい」とは言い難かった。私は観念し、きっと素晴らしく美味しいワッフルがでてくるに違いない、待てば海路の日和ありと期待値を上げて10分待った。ところが、出てきたワッフルは全く期待に及ばず、メープルシロップを目一杯かけて食べても、まだパサパサして飲み込むのに苦労した。嚥下力が低下した初老の人間の食うものではない。しかも四切れも皿にのっている。「食べる?」とT村に聞いたが、「いらない」と素っ気ない。
ワッフルと格闘しならが私は考えた。生口島みたいな広島県の果てで、どういう了見で田舎のカナダ人が好む食べ物を出すのか?でも、逆に考えてみれば、そんなものを作って世に問うたカフェのおばさんの気心には、非凡な着想があるとも言える。そのチャレンジ精神を考えると、私の胸は暖かい思いで一杯になり、窒息もせずに、どうにか四切れのパサパサしたワッフルを完食できたのだった。

因島の民宿で大ハッスルのT村
生口島を出て、生口橋(790メートル)を渡り終えた頃にはあたりは真っ暗だった。私たちはヘッドライトをつけて最後のスパートをかけた。因島は開けた島であるはずだが、私たちが走った東側は静かで、街灯もあまりない。闇の中をしばらく走ると、今日の宿、民宿M刈の灯が見えた。
「こんばんはー、予約したT村ですー!」と扉をガラガラ開けると、「はーい、お待ちしていましたー」と明るい女性の声。すぐに竹内まりやのような(オレも古いなあ…)キラキラした目のキュートな女将が我々の目の前に現れた。歳のころは40代半ばだろうか。ただしマスクをしているから、目しか見えない。そこがまた謎めいている。
途端にT村の声のピッチが変わった。「いやあ、雨に降られましてぇ、苦労してここまでやっとたどり着きましたぁ。実は、私は横浜なんですがね、とびしまとしまなみと、今回は両方走るツアーでして、いやあ、なかなか素晴らしいコースですなぁ、いやはや、いやはや」
T村は目を輝かせ、竹内まりやの気を引こうと言葉を乱発している。でも、向こうもそんなことはお見通しで、極めてビジネスライクに我々に接している。竹内まりやとしては、早いとこ私たちを部屋に追いこんで、風呂にでも入れて、さっさと飯を食わせて、早く寝かせて、なるべく早く仕事を終えたいというのが本音だろう。だから彼女は、「どうぞ、どうぞ、お部屋にどうぞ、お風呂もすぐ入れますねえ、お食事は何時がご希望?はい7時ですね。じゃあどうぞどうぞ、はいどうぞー!」と私たちを2階の部屋に追いたてようとする。
ところがT村も引き下がらない。
「いやあ、素晴らしい建物ですなあ。築何年?素敵なフロアリングですなあ、よく磨いてあってピカピカだぁ。ここで何年営業されている?ご両親は何処に?お客さんはたくさんくるの?インスタでは宣伝しているのか?」と、うるさく質問をする。
それでも彼女の方が全然上手で、すぐに私たちは二階の部屋に押しこまれた。T村は闘牛の雄牛のようにエキサイトして、「オレは彼女を絶対に落として見せるぞ!」と宣言した。「落とす」とは具体的にどういうことなのか分からなかったが、全くただならない鼻息だ。
T村がイキリたっているので、「まあ、とにかく風呂にでも入ろうよ」と私は言ったが、T村は聞く耳を持たない。
「いや、オレはまた一階に行って、もう少し彼女と話してくる。それには話のきっかけが必要だ。そうだ、新聞紙をもらってこよう。ヘルメットとかバッグとかが雨で濡れていて汚いから、畳を汚さないように新聞紙を敷くんだ、新聞紙、新聞紙」と言いながら、階段をどかどか駆け降りていった。
ところがT村は、すぐに新聞紙を持って戻ってきた。
「あれ、彼女と話すんじゃなかったの?」と私。
「ちくしょう、男が出てきやがった。きっと夫だ。あの女将は隠れちまった。彼女はガードが固い」と悔しそうである。
そこで我々は風呂に入り、食事をした。その間、もう少し竹内まりやと話をしたが、結果から言うと、T村はあまり深いところまで話を掘り下げることができなかった。マスクもついに外してくれなかったから、どんな顔なのか分からなかった。分かったのは、この民宿は両親がやっていたのを彼女と弟(夫じゃなかった!)が受け継いだと言うことだ。弟は、京都の料亭で修行をしたそうで、道理で料理の味は京風のあっさりした味付けで大変結構だった。彼女は夫や子供と、本土の違う市に住んでいて、お客がいる時だけ因島に通ってきているらしい。
T村は彼女が既婚と分かって落胆したが(既婚に決まってるだろ!)、それでも矛先を収めず、「ほー、広島のどこなんです?三原の方とか?」と、しつこく聞くのだった。でも彼女は、「はい、まあ、三原のもう少し向こうの方かなぁ、うふふ…」と誤魔化すのだった。
しかし、考えてみれば六十面をしたおっさんたちにいろいろ聞かれて迫られ、しゃあしゃあ答える女性もいないだろう。まあ、これくらいで勘弁してあげたらどうだろうと、大人の私はデザートのゆずシャーベットを食べ終わると、「さあ、今日はたくさん走ったし、そろそろ部屋に戻ってゆっくりしようか」と言ったのだった。
T村は、とにかく至極面白くなかったみたいで、部屋に入るとさっさと布団に入るとふて寝してしまった。今日はたくさん走って疲れたから、私もやはり布団に入ってすぐ寝てしまった。
きっとT村は、マスクを外した竹内まりやと手を取り合い、因島の海岸をどこまでも走っていく夢を見たに違いない。
(四日目、最終日に続く)




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