おじさん二人の とびしま&しまなみ海道サイクリング紀行2025年12月
- 鉄太 渡辺
- Dec 25, 2025
- 15 min read
あらゆるものは通りすぎる。誰もそれを捉えることはできない。僕たちはそんな風にして生きている。
村上春樹『風の歌を聴け』より
二日目:大崎下島から大崎上島に渡って一周し、愛媛県今治まで40キロ

どうやって大量のみかんを処分したか
とびしま海道サイクリングの初日、T村と私ことT太は、島民に思いがけずみかんを二袋もらって難渋したことは前回書いた。つまり私たちは、大崎下島を通過する途中、知らず知らずのうちに、この土地特有の「ミカン渡しゲーム」に参加させられたのだった。みかん渡しゲームとは、島民が余剰のみかんを他人に渡して処分する風習のことだ(私が勝手に考えた概念だが)。何も知らない我々のような旅人がうっかりしていると、知らないうちに持ちきれないほどのみかんを渡されて身動きができなくなる仕組みだ。
とにかく、私たちはもらった大量のみかんを自分たちで食べるか、あるいは別の人に渡すかしなくては先へ進めない。自転車で持って走るには重たすぎる。宅急便で横浜のT村家に送る案も検討されたが、T村は「それは面倒だよ」と一蹴した。
すると、御手洗(みたらい)の民宿オレンジハウスに泊まった際、いいカモが見つかった。それは同宿していた二人の男だった。この二人も自転車旅だった。一人はアフロパーマの漫才師みたいな男で、もう一人はもう少しまともな外見の遊び風の優男である。私とT村が民宿の夕飯の席に着いた時には、彼らはすでに鯛の刺身やエビフライを肴に、ビールをガブガブ飲みながら、ガードを緩めている状態だった。みかんを渡すには絶好の相手だ。

私たちは、さりげない風を装いながら、食事を始めた。彼らは我々の目論見など気づかずに、民宿の冷蔵庫から勝手にビール取り出して飲み続け、さらに酎ハイなども飲んでいる。かなり酩酊したところでT村が私に目配せをした。私がうなずくと、T村は男たちに話しかけた。「あのさぁ、君たちもサイクリストみたいだけど、どこから来たんですか?」
「いやあ、どうも、どうも。私らは、大阪から尾道まで車できたんですが、そこからは自転車で走っとるんですわ。でも、こいつはママチャリで走っておるし、今日は私のロードバイクがパンクするわで、わしらぁ、散々な目にあったんですわ。もう、かないませんわぁ!」と、アフロ頭は答えたが、酔いで少し舌がもつれている。
「へぇー、そーなんだ、ママチャリだとお尻が痛いでしょ?」と私。
「いや、ほんまにその通りですわ。うちら、なーんもサイクリングのこと知らんで来たもんで、こんな痛うなるって分かってたら来ませんでしたわ。ほんまに参ってしもうて、もうしゃーないわ。やばいで、こりゃあ」と優男が言った。
それを聞いてT村は、実にわざとらしい口調で、「そうか、それは大変だったねえ。いやあ、それにしてもママチャリとは見上げたもんですよ。さぞ疲れたでしょう?あっ、そうだ、それなら君らに良いものを差し上げましょう…」と言うと部屋に駆け戻り、すぐに、みかんの入った袋を持ってきた。
「ママチャリで走っていると聞いて、私は心底感心しましたよ。見上げた根性だ!だから、このみかんをあげよう。これは島民の皆さんにいただいたみかんで、これを食べれば千人力。でも、私たちだけで食べたら申し訳ないから、お二人にもお分けすることにしよう。遠慮しないで、持っていってください」と言って、みかんの大袋を押し付けた。
「ええ!?ありがとうございます。でも、こんなにたくさんもらっちゃ、悪いですよ」と優男。
「いや、いいって、いいって、遠慮するなよ。ママチャリのカゴに入れて持って行きなさい。おじさんの気持ちだから、こう言う時は、ありがたく受け取るもんですよ、ほらほら」とT村は、やや高圧的に言った。二人はかなり酔っているものの、大量のみかんを押し付けられて困った顔をしたが、T村を怒らせるといけないと思ったのか、「ほんじゃあ、ありがたくいただいときます、おおきに」と受け取った。
私たちは、部屋に戻ると、「やった、やった、みかんを処分できた。あいつらは、明日あれを抱えて走るんだぞ、ザマアミロ」と言って、小おどりしたのだった。

大崎上島に上陸し、時計回りに島巡りをする
さて翌朝は、大崎下島からフェリーで大崎上島に渡った。大崎上島は周囲40キロの、割に大きな島である。大きめだが、どことも橋で繋がっていない孤島だ。これと言った観光名所もないからインバウンド客もこない。こういう場所こそ、サイクリストには絶好の訪問先なのだ。
我々の乗ったフェリーは、静かな瀬戸内の海を滑るように走っていく。船に乗ると、私とT村は子どものようにはしゃいでデッキで写真を撮ったりするのだが、そんなことをしているのは我々だけだった。他の乗船客は通勤客ばかりで、寡黙に客室内で携帯の画面を眺めたり、席に横になって束の間の睡眠を貪ったりしている。

15分ほどでフェリーは大崎上島の明石港に着いた。着岸したと思うと、乗客はあっという間に下船していなくなった。フェリーもさっさと次の目的地に向かって出港した。その間、ものの2分くらいで、通勤電車が駅に停まってすぐに発車するのと同じ感覚だった。
港でトイレを借りると、私たちも時計回りに島を巡り始めた。今日の予定は、大崎上島をのんびり一周し、午後にはフェリーと高速船を乗り継いで四国の今治に渡り、そこで泊まる予定だ。
大崎上島の南側の道路は、ほとんど使われていない農道だった。舗装はボロボロ、落ち葉の吹き溜まりがいっぱいあって、枯れ枝もたくさん落ちている。そんな障害物だらけの道を転ばないように注意深く走る。小さな登り下りが連続するので、スピードも出せない。自動車も全く来ず、鳥の声がピチュピチュ聞こえるだけの楽園だ。

穏やかな海にはたくさんの小島が浮かんでいる。その間を船が行き交っている。島の斜面はどこもかしこもみかん畑で、夏みかんやレモンやみかんがたわわになっている。荒れ果てた畑も多く、あちこちに錆びた廃車の軽トラックやバンが乗り捨ててある。
そんな農道を小一時間ほど走っただろうか、島の北側の大きな集落に到達した。瀬戸内の島々はいくつか訪れたが、一般には本州に面した北側が開けている気がする。大崎上島も同様で、南側は寂れているが、北側は栄えているみたいだった。
喫茶Sのツンデレ娘と、衝撃的「昭和体験」
我々は、大西港の近くの住宅地に乗り入れた。T村は「よし、ここでモーニングティーと洒落こもう」と言い、ケータイを取り出してポポーンとGoogleで喫茶店を探した。すぐに、「おお、この先にSという喫茶店があって、ケーキが美味しいとレビューにある!よし、そこへ行こう。」私も異存はない。二人は、そのSという喫茶店に向かって、足取り軽くペダルをこいだ。この集落にはスーパーもあるし、コンビニもあるし、ホームセンターもある。あるだけじゃなくて、ちゃんと営業している。離島にしてはかなり進んでいるようだ。モーニングコーヒーの予感に胸が弾む。
喫茶Sは、すぐに見つかった。中に入ると、ここだけはあまり進化している感じではなくて、店内は昭和48年みたいなイメージだった。でも、今は昭和っぽいのがブームみたいだから、わざと古いままにしてあるのかもしれない。とにかく、私たちは何でも良いから、早く甘いものでも食べて一服したい気分だった。
店をやっているのは、お母さんと娘のコンビだった。引っ詰め髪の娘が注文をとりに来る。若い娘だったが、マスクをしているので顔は分からない。T村は、チャンス到来とばかり、おチャラケを言おうとしたが、この娘は冷たい表情のままで、一切隙がない。我々とは、なるべく視線を合わせないようにしていて取りつく島もない。
しかし、女性専科の営業マンであるT村は、それくらいではくじけない。(T村は高級キッチンを金持ちマダムに売るのが仕事である。)
「えーと、あのー、コーヒーとケーキのセットにしますねぇ。ケーキは、あそこのウィンドーにあったチーズケーキだけかなあ?こう見えても、私はチーズケーキが好きなんですけどね、でも、他にも何かあるのかなぁなんて思ったりしたもんでー。」
娘は、ニコリともせず「あるのは、あそこのチーズケーキだけです」と答えた。
「あっそう、ここんちはチーズケーキがウリなんだねー!じゃあ、そのチーズケーキを二つお願いしまっす。サンキュー」とT村はチャラい調子で答えたが、娘は全く反応せずに引き下がった。
「ちくしょー、えらくツンデレな娘だな」とT村はブスッと言った。
「そうだな、まったく可愛くないよな」と私。
娘は、すぐにチーズケーキとコーヒーを持ってきたが、「どうぞ」でも何でもなかった。ガチャンとコーヒーとケーキを置くと戻っていった。
「変な娘だな」と我々はぶつぶつ言いながら、チーズケーキとコーヒーをいただいた。味は、可もなく不可もない具合だった。
「それにしても、何であの娘はあんなに無愛想なんだ?」と私はいらぬ詮索をした。
「きっと、最近男にふられたんだ。男は高校の同級生だったんだけど、他の女と広島に行っちゃったんだぜ。それで、仕方がないから母親の喫茶店を手伝っているんだよ。いかにも薄幸な感じの顔つきじゃないか」とT村。こういう時のT村は、意外な想像力を発揮する。私たちは、しばらくツンデレ娘の過去と今後の展望について論じ合ったが、娘の将来はあまり明るくないというのが結論だった。

店内を見渡すと、おじいさん二人がモーニングコーヒーを飲んでいる。土地柄ゆえ、元漁師という雰囲気だ。漁師が喫茶店でコーヒーを飲むとは、ハイカラでよろしい。その背後ではおばさんが一人、無心にナポリタンに取り組んでいる。島の喫茶店らしい平和な光景だ。カフェインを摂取したせいもあって、私は穏やかな気持ちになっていた。
「さてと…」と、私は立ち上がり、トイレに立った。ところが、そこでまた大きな衝撃を受けたのだった。なぜなら、それは和式の汲み取り式だったからだ。そればかりか、そのトイレは清潔とはとても言い難い状態にあった。今時こういうトイレに遭遇するとは予測だにしていなかったので、不意打ちを喰らった私は15秒ほど立ちすくんでしまった。
その間以下のことを考えた。ここは瀬戸内の離島だから、下水が完備していなくても不思議はない。加えて、ここは昭和っぽい喫茶店だから、和式汲み取りトイレが登場してもおかしくない。そうだ、きっとこれはお客に「究極の昭和体験をして頂こう」という店側の配慮に違いない。それは、あのツンデレ娘の発案に間違いない。
そう考えたものの、ショックのあまり危急にも近い状態だった便意ですら失せてしまった。近代的なウォッシュレットに慣れてしまった私は、もう昭和には後戻りはできない。
そこで私は、最小限の用事だけを済ませて席に戻った。
「オレもトイレに行ってくる」とT村は立ち上がった。
「覚悟して行きなさい」と私は言った。
「えっ、何が?」とT村は怪訝そうな顔をした。
「行けば分かる」と私は言った。
その時、ツンデレ娘がこちらを見て、マスクの裏側でニヤッと笑ったような気がした。

大望月翁の邸宅をじっくり見学したこと
喫茶店Sを出た我々は、大西港に向かった。そこから長島大橋を渡って長島という小島に渡った。そこには大きな火力発電所があるだけみたいだったが、「時間もあるし、とにかく行くだけ行ってみよう」とT村が言ったのだ。
そしたら、やっぱり発電所以外には何もなかった。まるで発電所のためだけにできたような島だった。私たちは20分ほどでこの島を一周したが、見るべきものは何もなかった。だから無駄な迂回のようにも思えたが、島を一つ制覇したのだから、全くの無駄であったとは言えないかもしれない。私は、過去に四国を2回に分けて、合計四週間もかけて一周したことがある。言葉のあやかもしれないが、それが島一周ならば、これも島一周だ。
長島から戻ると昼飯時だった。さっきのチーズケーキがまだお腹に残っている感じだったが、大西港にいるうちに何かを食べておかないと、この先には大きな集落がないから、昼ごはんを食べ損なう羽目になるのは火を見るより明らかだった。そこで我々は、「星と陽」という食堂に入ったのだが、ここは当たりだった。建物は古民家で素晴らしく、天ぷら定食は実に結構な味だった。喫茶Sでのマイナスを補ってもお釣りが来るくらいだった。
さて、次の目的地は5キロ先の「海と島の歴史資料館 大望月邸」だった。こういう資料館はT村が大好きな場所なのだ。
ここは、昔望月さんという人の家だったのを補修改築して資料館にしたものだ。望月さんは、廻船問屋で財をなした豪商で、後に国会議員になった人だ。望月に「大」がつくのは、家が大きいからじゃなくて、望月さんがとても偉い人だったからだそうだ。偉い人の名前に大をつけるのは面白いアイデアと思ったが、じゃあ、望月さんじゃなくて大橋さんが偉くなると大大橋になるのだろうか?それとも大木さんが偉くなると大大木さんなのか?そういう例があるのかどうか知りたいと私は思う。
とにかく、その大望月さんはよほど偉い人だったらしく、受付にいた女性が私たちにつきっきりで45分くらいかけて微に入り細に入り説明してくれた。その女性はとても知的で上品な感じだったから、もしかしたらT村のタイプかと思ったのだが、さほどでもなかったようだ。ちょっと年配すぎたのかもしれない。それよりT村は、大望月邸の建築様式に興味があったようで、「むくり屋根」とか「地獄組の天井」などというものにしきりに嘆息していた。受付の女性は「今日は特別なんですよ!」とか言って、「大望月邸の大改築」と銘打ったビデオを見せてくれた。あまり面白いビデオではなかったが、私たちはこの女性を失望させたくなかったから、最後までちゃんと観た。
この女性は、別れ際に、「明日大三島に行くなら、ぜひ大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)の宝物館を見なさい。あそこには、オリジナルの弁慶の鎧があるんです!その他にも血が塗られた鎧や刀なんかもいっぱいあって、武具の宝庫なの。素晴らしいわぁ!」と言って、うっとりするのだった。私は、血ノリがついた鎧やなんかを想像してうっとりする女性には、ここで初めて出会ったと思う。

木江で福祉事務所のベンチに避難したこと
だんだん日も翳ってきたので、私たちは木江(きのえね)港を目指して少し真面目に走り始めた。そこから今治行きの船に乗るからだ。船に乗り遅れると大変だ。自転車で海上を走るわけにはいかない。ところが、木江に随分早くついてしまった。船は5時半だからまだ一時間半もある。どこか喫茶店で暖まりながら待とうと思ったのだが、木江は絶望的にどの店もやってない。唯一開いていたのは、町の福祉事務所の出張所だけだった。仕方がないので「すみません、待合室で船が来るまで待たせてもらってもいいですかね?」とT村が尋ねたら、この役所の人たちは親切で、「5時15分までで良ければ、どうぞ」とベンチを使わせてくれた。私たちは、マッチ売りの少女のように大人しくこのベンチでみかんを食べたり、缶コーヒーを飲んだりした。当然トイレも使わせてもらったが、近代的なトイレだったので安堵した。

5時過ぎにフェリー乗り場に行った。ここからフェリーで大三島の宗方港まで行き、そこで高速船に乗り換えて愛媛の今治まで行くのだ。そう書くと大航海のようだが、乗っているのは全部で一時間足らず。
切符を買いに木江港の切符売り場に入ると、ミッキー・カーチスを崩したようなおじさんが窓口にいた。怪しい感じで、サングラスをかけてヨレヨレのジャージ姿。切符売り場も私物化していて、自分が釣りあげた魚の魚拓なんかがあちこちにベタベタ貼り付けてある。私たちは、船の乗り換えのことや自転車を高速船で運んでもらう是非について質問したが、全く判然としない。それどころか、「この魚拓はよぉ、オレがこの桟橋で釣り上げたシイラなんだ。70センチもあって、釣り上げるのに三時間もかかったんだ、すげえだろ」とか話し、ケータイでそのシイラの写真を見せてくれた。J Rみどりの窓口の人がこんななら首だろう。
やがてフェリーが来たので乗り込んだが、ここでも停船時間は3分くらいのもので、あっという間に出港し、たった15分で宗方に着いた。
宗方港の桟橋で乗り継ぎの高速船を待っていたら、自民党の幹事長みたいな面のオヤジがやってきて、私たちにいちゃもんをつけた。
「おいおい、自転車が2台高速船に乗るなんて聞いてないぞ。ちゃんと木江の切符売り場で高速船に乗り換えるって伝えたのかよ?」と、いきなり高飛車だ。
「ちゃんと切符買ってそう言いましたよ。でも、そんなこといちいち言わなくちゃいけないんですか?」と私。
「そうだよ。ったく、木江の切符売り場が怠慢だから困るんだ。ちゃんと連絡してくれないと、自転車が急にたくさん来たら積みきれないだろ。何、釣り好きのおじさんがいたって?あのおじさん本当にダメなんだよ。おばさんの方はいいんだけど。ったく、迷惑なんだよ」と、要するに、悪いのは木江のミッキー・カーチスであって、私たち乗客ではないのだ。
「あんたたちだってさ、ぼんやり乗ってこないで、次からはちゃんと連絡するようにしてよ。覚えておいてよ」と、幹事長は言うだけ言って去っていった。大きなお世話である。まったく不快だ。この辺りには、昔は海賊がはびこっていたから、きっと幹事長の先祖も海賊だったのだろう。ここを通過する旅人を脅かして、逆らうと首をはねて海に放りこんだのに違いない。

我々は、上品で都会的な田園都市線とか京王線に乗り慣れているから、こういう野蛮な扱いを受けると、ショックで呆然としてしまう。でも、船に乗ることは昔から「板子一枚下は地獄」と言って命がけなのだから、こういう厳しい態度が普通なのかも知れない。旅をしているといろいろな目にあうが、これも一種の社会勉強なのだろう。
さて、高速船はちゃんと1分も違わずに予定通りやってきた。自転車を積みきれないと困るとか幹事長オヤジはホザイていたが、自転車なんて我々二人だけだった。ふざけるんじゃねえぞ。
高速船は乗客を乗せると、猛烈なスピードで今治に向かって疾走した。
「やれやれ、船に乗れてホッとしたよ。下船したらお好み焼きを食おうぜ。それからスーパーホテルにチェックインして、今夜はゆっくり休もう」とT村は言った。
全く同感だ。ビリビリ揺れながら突っ走る高速船の中で、私は心地良い疲れに身を委ねていた。今治では、スーパーホテルの硬めのベッドと、温かいお湯の出るウォッシュレットが私を待っている。昭和は良い時代だったかも知れないが、令和の今も劣らず悪くないと言うのが私の考えだ。
(三日目に続く)




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