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オジサン二人の島根奥出雲サイクリング旅行3日目

 

(2025年7月21日執筆)

 

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鳥取県生山から松江まで60km

 

山間の小さな町生山を出ると、我々T太とT村の二人は、日野川に沿って走る県道183号線を米子方面に下った。日野川は日本海に注ぐ川だ。川沿いに走っていくということは、ゆっくり下っていくということで、昨日の午後と同じで、実に快適な走行である。

 

しかし、私たちはそうした快適な走行に甘んじているつもりはなかった。何歳になってもチャレンジする、それが我々のモットーだ。そこで数キロ走ってから、黒坂というところで道を折れ、県道46号という田舎道に入った。昨日のブログにも書いたように、田舎道こそ我々サイクリストにとっては最適の道だ。こういうコース取りをするところは、我々がかなりハイレベルなサイクリストであることを物語っている。

 

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田舎道に折れると、黒坂の町があった。小さいながらも小綺麗な街道筋の町で、昨今の田舎町にありがちな落ちぶれ感が全くなく、どこも綺麗に手入れが行き届いている。そういうところに、この町に暮らす人々の意識の高さや誇りが滲み出ているようだ。こういう町なら、しばらくの間住んでもいいとさえ思う。そんな気持ちで、500メートルばかりの表通りを通り過ぎた。

 

町を出ると、いきなり上り坂だった。しかも急坂だ。その上、くねくねと曲がりながら様々な景色を見せてくれるような風情のある坂ではなく、旧道を壊して作り直した真っすぐな自動車専用の急坂だった。私は、好きになったばかりの黒坂がすぐ嫌いになった。まるで天国へ続く道路のようで舗装は素晴らしいが、自転車には酷な勾配の坂がまっすぐ数キロ続いている。

 

「なんだよこの坂は?どうしてこんなに急なんだよ?」

「さあねえ、最短距離を行けるように、くねくね曲がっていた旧道をまっすぐに作り直したんじゃねえの?」

「地方行政ってのは、つまらねえことをするなあ」

「大体、こんな人の少ないところに、こんな幅広の道路を作るなんて、税金の無駄遣いだぜ」

と、私たちはこんな不平を言ながら、急坂を登っていく。

 

苦しい戦いだったが、やがて我々は頂上近くの鴻ノ池というダムの横の、見晴らしの良い公園にたどり着いた。黒坂の町や、遠くの山並みを見渡せる絶景だ。大山は朝靄の向こうだったが、見えたらさぞ素晴らしいだろう。私は、この景色を見ながら、ふと松尾芭蕉や種田山頭火ならどんな俳句を読んだだろうと考えた。この旅に出て初めてくらい感じた詩情である。ただ、T村にそのことを言うと、この日はずっと彼が作った駄句を聞かされることになるので、私はこの詩情のことは黙っていた。私は、じっと詩か俳句が心に浮かぶのを待ったが、どういうわけか何も浮かんでこなかった。暑いと余計なことに使うエネルギーが足りなくなるのかもしれない。

 

鵜ノ池公園を出ると、すぐに矢倉峠(476メートル)のトンネルだった。トンネルを出るとまた、長い15キロばかりの下り坂がご褒美として待っていた。私たちは、歓声を上げてその坂を下っていった。

 

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植田正治写真美術館で韓国の可愛いお嬢さんたちと交流したこと

 

長い坂を下り終わると、また日野川を渡る。今度こそ富士山のような扇型をした大山の峰が目前に迫ってきた。大山の扇型は、富士よりも急角度のようである。

 

「おお、きたぞ!我々はついに大山を仰ぎ見るところまで来たんだ!」とT村はドラマチックに叫んだ。思い起こせば40年前、私は大学時代の山仲間と大山に登ったことがある。こうやってまた大山を眺めることがあるとは思っていなかったので、私の心にも温かい思い出がふつふつと湧いてきた。この時、ふと脳裏に「大山鳴動して鼠一匹」という諺が浮かんだが、これは全く見当違いな意味の諺だろう。

 

大山の手前は、広大な農地が広がっている。私たちはこの農地の中を2、3キロ登ったところにある植田正治写真美術館を目指して走った。途中、暑い太陽に晒されながら、私は今朝まだコーヒーを飲んでないことをふと思い出した。その途端に脳がカフェイン切れを起こし、ペダルを漕ぐ力が入らなくなってしまった。

「T村よ、オレはコーヒーを飲まなくては、この先は1メートルも前に進めない」と私は弱音を吐いた。友達思いのT村は、すぐさま自転車を路肩にとめ、ケータイを取り出し、パンパーンといつもの調子でググってコンビニを探した。

「この先1キロくらいのところに、ポプラという名のコンビニがあるよ」とT村は言う。

「まさか、こんな畑の真ん中にコンビニがあるもんか」と私は疑った。

「いや、あると言ったらある」と、グーグルを信じて疑わないT村は力強く言った。そこで、私は最後の力を振り絞り、野菜やトウモロコシが植わっている畑の中を登っていった。


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すると、確かに「ポプラ」という赤い看板を掲げた店が野中に現れた。私は、これまでずいぶんあちこちを旅してきたが、ポプラなどというコンビニは初めて遭遇した。案の定、ポプラはコンビニというより、農協の売店のような構えだった。コンビニにもいろいろあるらしい。

 

店内に足を踏み入れる。やはり思った通り、絶望的に品数の少ない店だった。「サンドイッチ、弁当」と書かれた棚は空だ。他の棚も向こう側が透けて見えるほど物が無い。目当てはアイスコーヒーだったので、そのための氷入りのカップを探すと、最後の二つが寂しくフリーザーの中にあった。私とT村は、椅子取りゲームのように、最後の二つの氷カップをサッとフリーザーから取り出した。こんな店にコーヒーメーカーがあるとは思えなかったが、それはちゃんとレジの横にあった。奇跡だ。こうして私たちはアイスコーヒーをゲットし、それをレジの横の冷房が効いた場所で貪るように飲んだ。その時私の脳裏に浮かんだことは、「ガハハ、この店にはもうアイスコーヒーはないのだ。最後のアイスコーヒーは、オレたちが飲んじゃったよ、ザマアミロ」という優越感だった。カフェインなどの薬物依存が進むと、人間はこのような自己中心的な発想を抱くようになるのかもしれない。


ついでに書くが、私はコーヒーを飲みながらチョコエクレアを食べたかったのだが、そんなものはこの店のどこにも見当たらず、仕方なく「胡桃ゆべし」を買った。コーヒーを飲みながらゆべしを食べたのは、この時が初めてだ。

 

店を出ると、また熱気がワッと体を包む。近くの農家の人たちが、とれたてのトウモロコシを売りに軽トラックでやってきた。T村は、「美味しそうなトウモロコシですなあ」などと、農家のおっさんに話しかけた。

 

農家のおっさんは、「こんなに暑いと、畑のトウモロコシが畑でなったまま蒸し焼きになっちゃうから、早朝にとってきたんだよ。これだって、あと2時間以内に売っちゃわないと、味が悪くなっちゃうんだ」と言った。

 

そこから植田正治写真美術館はすぐだった。畑の中にその美術館はドーンと聳えたっている。巨大なコンクリートの箱を転がして、積み重ねたような建物だが、大山の優雅な景色を壊さないシンプルなデザインだ。残念なことに、そのすぐ隣が「大山ハム」の工場で、これがちょっと目障りだ。

 

植田正治は戦後に活躍した写真家だが、「演出写真」というジャンルを作り出した写真家だ。タケオキクチのファッション写真などもたくさん撮っているらしい。実は私は、植田の写真はちゃんとまとめて見たことがなかったのだが、作家の出身地の環境の中で作品群を俯瞰して見てみると、今まで知らなかった発見がたくさんあった。写真が好きな私には、非常に充実した時だった。T村もアートが分かる男なので、大変感銘を受けていた。

 

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しかし、おじさん二人のここでのハイライトは、何と言っても、とてもキュートな韓国ギャル二人と写真撮影をする機会があったことだ。ギャル二人は、美術館の撮影コーナーで、我々にスナップを撮ることを頼んできたのだ。単に、他には誰もいなかったからに過ぎないが。言うまでもないが、ギャルのiPhoneを手渡されたT村は、大ハッスルした。そこら中を動き回り、跪いたり、寝転がったりしながら、頼まれたよりもはるかにたくさんのスナップを激写した。ギャルたちは、T村の努力に満足し、私たちはそれ以上に満足して別れた。本当は、お昼をご馳走したいくらいだったが、それはやりすぎであろう。

 

米子から山陰本線で松江まで輪行する

 

そこから私たちは米子に向かった。米子までは12キロしかない。しかも、途中には峠も坂もなく、ただ県道をまっすぐ走っていけば良いだけの、赤子の腕を捻るよりも楽なコースだ。私たちは、途中の定食屋でトンカツ定食(T村)と唐揚げ丼(T太)を食べてから、口笛を吹きながら走った。米子駅で自転車を畳んで山陰本線に乗ると、たった30分で松江に着いてしまった。山陰本線ではJ R東日本のSuicaも使えたから、私たちはさらに上機嫌だった。たった30分なら自転車で走ってもよかったのだが、気温30度を超える午後に、普通の国道を30キロも走るのはゴメンだったから、輪行したのはとても良い選択だった。

 

松江に着いて自転車を組み立てると、すぐそこに見えるスーパーホテルに投宿した。かなり早く着いたので、午後は2時間も自由時間をとることができた。私は、実に3日ぶりにT村の顔を全く見ないですむ時間を過ごせて、大いに英気を養うことができた。

 

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私とT村は夕方6時半にホテルのロビーで再会し、有名な宍道湖の夕日を見に島根県立美術館の前の公園まで行った。スーパーホテルのやけに愛想の良いフロントのお兄さんに教えられたのだが、実は本州の日本海側では、どこの海岸に行っても夕陽が綺麗なのである。「松江にいらっしゃるお客さんは、皆さん宍道湖の夕陽を見に行かれるんですよ。でも、私たち山陰の人間は、逆に太平洋側の海岸に行って、きれいな朝日を見てみたいものなんです。富士山を赤く染める朝日を一度で良いから見てみたいものですよ」と、お兄さんは言った。私は、太平洋岸では朝日がきれい、日本海岸では夕陽がきれいなんてことは、これまで一度も考えたことがなかったから、やはり旅というのはしてみるものだと、つくづく感じた。

 

(4日目に続く)

 
 
 

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