top of page
Background1.png

Post

オジサン二人の島根奥出雲サイクリング旅行 2日目

木次から奥出雲を経て鳥取県生山まで60km

(2025年7月15日執筆)

 

ree

天野旅館のメローで優雅な朝食

 

7月初旬の島根サイクリング旅行1日目は、気温30度プラスの中を60キロ走ったオジサン二人だったが、木次の天野旅館の広い和室で、不思議とあまり疲れもなく目を覚ました。「オレたち、まだまだやれるじゃん!」という気分だ。しかし、調子に乗ってはいけない。自重が大切だ。朝食は、天野旅館の裏庭に面した豪勢な広間でいただく。茶室のある庭を眺めながら食べる朝ごはんは優雅だ。名物のシジミの味噌汁がうまく、T村は「たまらなく美味しいので、ぜひお代わりを!」と所望。私もお代わりをいただき、エネルギーのチャージだ。

 

出発は8時、すでに熱気がブワーンと体を包む。「今日もうんと暑い予報ですけん、気をつけて」と、ご主人がすまなそうに言う。それでも私たちは、今日も奥出雲の懐深く走っていくのだ。


ree

 

山の中で、宗教団体Zの女性に勧誘されたこと

 

木次を出ると、もう山の中。深い谷間を縫うように走る木次線に沿って、私たちは旧道を行く。豪雪地帯らしく、冬季は雪を積み上げるために路肩が広くとってあるから自転車で走るには楽だ。交通量も少なく、10分に一台農家の軽トラックが追い抜いていくくらい。

 

山の中だから登ったり下ったりが続く。と言うか、今日は午前中いっぱい登りが続き、午後は主に下りの予定。このようなコース取りを考えることがサイクリング旅行では大事になってくる。私は、大まかにどんな場所に行きたいか考えるのが好きだが、T村は地図を精査し、標高を調べたりして、具体的な走行コースを考えるのがとても上手だ。こういう友達と一緒なのは心強い。

 

ree

T村と私は、平地を走るときは冗談を言いながらのんびり行くが、登りになると、「ひゃー!」とか「足がつる!」とか「もうだめだぁ!」とか、唸ったり叫んだりしながら苦しんで走る。私は、2、3年前に行った奄美大島のどこかの急坂であまりに苦しかったので、「もう若くもないし、今後きつい登りは恥を覚悟で降りて歩く」と決意した。T村も、「その考えに依存なし!」と同意した。それでも長年の癖はなかなか抜けないもので、「次のカーブまでは走ろう」とか「あと100メートルは行ける!」とか、ついがんばってしまう。そうやって、二人は長い坂を登っていく。暑くて苦しいが、登りがあるからこそ、楽しい下りが待っているのだ。

 

もう一つの懸念は、奥出雲のここら辺はヤマタノオロチ伝説が生まれた場所だし、こう暑いとマムシやアオダイショウが道に出てくるんじゃないかということだ。私は、ビクビクしながら路上に注意を払うが、不思議にも一度も蛇には出くわさなかった。蛇も暑すぎて日陰に潜んでいるのだろうか。その代わり、タヌキがキョロキョロしながら歩いているのを今日は2回見かけた。一瞬小さなクマかと思ったが、タヌキは犬くらいの大きさで、頭が平べったい。何だか、奇妙な動物だ。

 

この辺りは、谷間でも平地はどこも田んぼである。見上げると、山のかなり上まで棚田が切られている。上から見たら、さぞ素晴らしい景観だろう。でも、坂を登っている私たちは、棚田を下から見上げるだけだから、その光景は見られない。

 

ree

さて、ゆっくり田舎道を走っていくと、峠の手前、もうしばらく登りが続くという場所に休憩所があった。ちょっと一休みして、水道の水を頭にぶっかけて冷やしたりしながら涼んでいると、自動車が一台入ってきた。中年女性が二人降りてきて、その片方がニコニコ話しかけてくる。

「まあ、お二人は、自転車でご旅行?暑いのに大変ですね。どちらからいらしたの?」

 

女性と話すのが三度の飯より好きなT村が早速返答する。「私は横浜です。出雲まで飛行機で来て、そこから走り始めまして、昨日は木次泊まりでした。ウハハハ。このあと数日で奥出雲、松江、日本海側などを走って、米子空港から帰るんですよ、ガハハ、ガハハ。」

「まあ、横浜なんて、とても素敵!すごく体力があるんですね!」

「いやあ、それほどでも。ワハハ、ワハハ」


すると、もう一人の女性もニコニコしながら接近してくる。お淑やかな感じの、かわいい感じのオバサンである。

「実は、こちらの私の友人は、わざわざ宮崎から島根に来ているんですよ!」と最初の女性が言う。宮崎の女性は、自分に矛先を向けられ、恥ずかしそうに微笑む。

「ほほー、宮崎とはまた良いところですなぁ!」とT村は、宮崎には行ったことがないくせに、鼻の下を長くする。

「それでね、どうして彼女が宮崎から来ているか、その理由をお知りになりたくありません?」とこの女性、宮崎の女性を指差して、もったいぶったことを言う。

「ほほう、どうしてかなあ?ぜひ、教えてください」と、T村の鼻の下がさらに長くなり、言わなくてもいいことを言う。

 

「実は、私たちはZという宗教団体の奉仕活動をしているんです。そのために彼女も宮崎からきているんですよ。Zをご存知ですか?私たちの素晴らしい活動について、自転車の素敵なお二人にぜひお話ししたくて、お疲れのところですが、話しかけた訳なんです!」そう言うと、女性はググッとにじり寄ってきた。ちょっとかわいい宮崎の女性もググッとにじり寄った。

 

普段なら、女性ににじり寄られるのはやぶさかではないが、私もT村も宗教団体Zと聞いて、ググッと二歩ずつ後に下がった。これ以上下がると、その先は崖っぷちだから転落死する。

 

退路を断たれたT村は、「そうですか、Zですか。そりゃあ、どうもどうも。Zなら、もちろん知ってますとも。でもねえ、こんなところでお話を聞くのもなんだし、私たちもまだ先が長いんでね、これで失礼しますよ」と、顔を引きひきつらせて言った。

 

宗教団体Zの女性は、T村の顔の引きつりを見て顔を曇らせたが、幸いにも攻撃の矛先を弱めた。「じゃあね、今日のところはご旅行の途中のようですし、ここで失礼しますね。でも、後でここに印刷してあるQ Rコードをケータイにかざしてご覧になってください。Zの素晴らしい活動について詳しく知ることができますから!」と勝ち誇ったように言うと、名刺を私たちに押し付けた。そして、Zの使者二人は、くるりと踵を返すと、車に乗って去っていった。

 

私もT村も、宗教団体Zの「素晴らしい活動」については興味がなかったので、すぐにそのカードはゴミ箱行きになった。実は私は、宗教団体Zについては多少の知識を持っており、言ってやりたいこともいくらかあったのだが、そんなことをしたら火に油を注ぐ事態になるから、T村に適当に喋らせておいてじっと黙っていたのだ。

 

ree

定期預金を一気に使うような下り坂

 

この先は、さらに長い登りだった。宗教団体Zではないが、サイクリングもこう言う時は、辛い修行のようだ。ようやく登りつめると、少しばかり下りがあって、その先には奥出雲大根自然博物館があった。その前には、コンクリート製のオレンジ色の恐竜の置物がある。博物館の中を覗くと恐竜の化石が見える。ここらで発掘されたものかもしれない。この先には、「さくらおろち湖」とか「おろちの里」とか、おろち伝説にちなんだ場所がいくつかあるが、もしかしたらおろち伝説は、化石が見つかったことにも関係があるのかもしれない。私は、この問題についてK大学歴史学科卒で考古学を学んだT村に意見を聞きたかったのだが、お腹も空いてきたので、余計なエネルギーは使わないで先に進むことを選んだ。

 

ree

出雲横田で

 

坂をまたうんせうんせと登ってから少し下ると、横田という町だった。山の中にしては大きな町で、箱物行政の典型みたいなでっかい町役場の建物もある。私たちはここで弁当を食べることにした。ここは盆地で、気温が高くて湿度もあるせいか、空気中には水蒸気がたち込めていて、蒸し風呂みたいだ。我々は、ちょっとでも涼しいところを探したが、なかなか良い所がない。仕方ないので、役場の横の公園の東屋で食べることにした。T村は「ちょっとオレ、トイレに行ってくる」と行って、町役場の巨大な建物に入っていった。それっきりT村は、20分は帰ってこなかった。きっと自分だけクーラーの効いた役場の中で涼んでいるのだ。私は、どうせそんなことだろうと思ったが、自転車や貴重品を放ったまま中に入って涼むわけにはいかない。そこで仕方なく、弁当を食べながら待った。案の定、食べ終わる頃にT村は帰ってきて、「中は涼しいぜ、お前も涼んでこいよ」と言う。こいつは、中学時代しょっちゅうこういう身勝手な行為をしていた。大人になっていくらか良くなったと思っていたが、やはり時には地金が出てしまうようだ。だが、そうは言っても、私だってきっと同じようなことをしているだろう。そこで私は平静を装い、「そうかい、じゃあオレもちょっくら涼んでくるよ」と言って役場に入り、きれいなトイレを使い、税金で運転されている冷房をたっぷり浴びて体を冷やしてきた。

 

ree

15キロ続くダウンヒルの愉悦

 

横田町を出ると、5キロ先の万才(ばんじょう)峠(標高620メートル)まで、今日最後の坂を登った。昼を食べて一休みした後の登りは、余計にきつい。しかし、万才峠からは、15キロも続くダウンヒルだった。しかも車はほとんど来ない。素晴らしい景色の中、くねくね曲がる田舎道を、平均時速25キロくらいで軽快に降りて行く。まるで定期貯金を一気に使うような豪勢な気分だ。

 

谷間の田舎道の、とある分岐に可愛いお地蔵さんが並んでいた。そこで一休みだ。道脇の側溝を綺麗な水が流れている。日本の田舎が素晴らしい理由の一つは、山があれば必ず清麗な水が流れていることかもしれない。T村と私は、靴を脱いでほてった足をその水につけた。クーラーの冷気などは比較にならない気持ち良さだ。

 


ree

さらに下りが続く。ビュンビュン走り、日本でも一番か二番くらいたくさん蛍が出るという渓谷をあっという間に通り過ぎ、最後にその田舎道は県道183号線にぶつかった。そこは生山(しょうざん)という小さな町で、もう鳥取県だ。

 

私たちは、今日の目的地である商人宿風のK旅館に荷を下ろした。早速風呂を使わせてもらってから、近くのコインランドリーで洗濯をした。洗濯を待つ間、スーパーの休憩所に陣取り、冷たい飲み物で喉を潤す。旅のこういうひと時には、千金の価値がある。

 

(三日目に続く)

 

 

 

 

1 Comment


中川種栄
Jul 20

中学時代しょっちゅうこういう身勝手な行為をしていた。いくらか良くなったが、時には地金が出てしまうようだ

⇒中学は身勝手な人だらけでしたね


日本の田舎が素晴らしい理由の一つは、山があれば必ず清麗な水が流れている

⇒平地が少ないからこその景観


冷たい飲み物で喉を潤す。旅のこういうひと時には、千金の価値がある。

⇒暑さが伝わる文章、千金万金ですね


とても面白かったです

Like
bottom of page