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オジサン二人の島根奥出雲サイクリング旅行4日目


(2025年7月29日執筆)

 

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松江市街観光の後、日本海側の小波海岸まで30km

 

昨晩、松江の夜は気張ってやや高級な居酒屋に入った。普段は二人で食べても何千円という支払いで済ませるが、この店は万の大台であった。しかし、それだけの甲斐があって、旅の間に一回くらいはこういう上等の店に行きたいものだと生意気にも感じた。刺身、飛び魚の卵、焼き空豆など、島根の料理をいちいち値段など気にせず思い切り食べた。中でもシメに食べた土鍋炊きのトウモロコシご飯は絶品だった。昨日通りかかった大山の麓で採れたてのトウモロコシを売っていたが、そういう食材を使っているに違いない。単純な料理ではあるが、その甘みと香りは土地の素材でしか味わえない妙味だった。

 

今日は出雲サイクリング4日目である。我々T村とT太ふたり、気合を入れてスーパーホテルの無料朝食サービスを頂く。だが、今日の午前は松江観光、午後は日本海側の小波海岸まで30km走るだけだから、あまり気合を入れる必要はなかった。

 

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朝食を食べると、まずは松江城に向かう。私は城下町が大好きだ。城があり、広い城内があり、松の木があり、石塀があり、堀があり、城下町が広がっている。城は封建主義と権威の象徴ではあるが、現代のほぼ無秩序なコンクリートとガラスと鉄とアスファルトと自動車中心の街作りに比べると、手作りの暖かさがある。これまで、松江、松本、高松、松山、弘前、姫路、和歌山、犬山、静岡などたくさんの城下町を自転車で走ってきたが、こうやって、私の好きな城下町を挙げてみると、「松」のつく地名が多いのはなぜだろう。

 

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松江城に着くと、観光案内所に自転車を預け、そこから、うんせうんせと天守閣に登る。T村は、「重いから、バックパックは置いていくからね」と、ロッカーに預けた。ちょっと嫌な予感がしたが、そのことは黙っていた。

 

どこの城もそうだが、天守閣まではちょっとした登山だ。まだ午前中なので、少ししか人がいない。天守閣から見える360度の景色は、何処の城でもすばらしい。

 

城から降りると、すぐ外の小泉八雲記念館に足を踏み入れる。現在の展示は、妻のセツを中心とした企画だ。これはきっと、今秋に始まるNHKの連続ドラマに合わせてのことだろう。この頃は、作家や漫画家の奥さんに焦点を合わせたドラマや出版物も多いが、時代の趨勢なのだろう。現在の小泉八雲ブームだが、これは自然とブームになったと言うより、NHKおよびその他のメディアが仕掛けたブームに違いない。今時、ブームなんてのは、そうやって作られたものばかりだろう。大体八雲のような昔の作家の作品を、日本の大衆が今どき自発的に再発見して読み始めることなどあり得ない。今は空前のインバウンド景気だから、外国人が日本を「発見する」という風潮に乗せた面があると私は睨んでいる。八雲生誕120年ということもあるようだが、生誕100年、120年、150年、そんな作家はいくらもあるだろう。全てに裏の意図が見え透いているが、理由が何であれ古い文学をもう一度読んでみるのは良いことだし、一冊でも本が売れるのは出版界の片隅に身を置く私としても嬉しいことだ。

 

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今回もバックパックを置き忘れたT村の迂闊さ

 

小泉八雲記念館は、これでもかと言うくらい全開に冷房が効いていたから、外に出るとまたブワーンとした熱気に包まれる。自転車の鍵を外しているとT村が突然、「大変だあ!」と大声を出した。瞬時に、私はさっきの嫌な予感が的中したことを悟った。でも、とぼけて私は、「どうした?」と尋ねる。

 「バックパックを忘れた!」

 やはりそうだ。2度あることは、3度ある。T村はまたバックパックを置き忘れたのだ。

 

「だから、言わんこっちゃない」という言葉が喉元まで出かかったが、グッとこらえた。サイクリング旅行で、T村がバックパックを忘れるのは、もはや行事化している。小休止して、バックパックを何処かに置く。そして、うっかりそのまま走り去る。何度こういうことがあっただろう。問題は、いつどこで忘れるかだ。2022年、山形最上川下りサイクリングの最終日には、こともあろうに交通量の多い国道47号線沿いのドライブインに置き忘れ、トラックがビュンビュン走る道を命懸けで数キロ戻らなくてはならなかった。その前にもT村は、何かとちょこちょこ置き忘れている。そう言う私も、ずっと昔に伊豆半島の松崎というところでバス停のベンチに置き忘れ、泣く泣く峠を越えて取りに戻ったことがある。

 

同じ過ちを繰り返すのは、進歩がない証拠である。同じことを繰り返して、次こそ上手くいくと思うのは頭の悪い証拠だ。私は、過去の教訓から学び、自転車旅行にはバックパックを用いないことにした。バックパックは、確かに収納という面では楽だ。だが、背負うと重心が高くなり、振り子の原理で余計な体力を使うというデメリットもある。バックパックを使うか使わないかは、個人の好みだろう。しかし、使うならば、置き忘れない工夫が必要だと私は考える。

 

T村も、あまり度々置き忘れるので、一時はバックパックを使わなくなった。しかし、数年経つとその記憶も薄れ、また最近は使うようになった。そして、また今回も置き忘れた。それを繰り返しながら、T村は老いていくのだろう。私は、ここに人生の重大な教訓があるような気がしてならないのだが、T村がそこから学ぶ気配はあまり感じられない。

 

幸い松江城観光案内所は目と鼻の先であったから、私は寛大な気持ちでいられた。「近くで良かったねえ」と私は優しい言葉をT村にかけた。でも、もしこれがトラックだらけの国道を何キロも戻るような状況だったら、今度こそT村を見放し、「もはや、オレたちの友情もこれまでだ」と見捨てていただろう。

 

観光案内所に戻ってT村はバックパックを取り戻した。二人はそれだけのことで喜ばしい気分になったので、案内所のカフェでかき氷を食べることにした。私は普段はかき氷なんてものには見向きもしないが、こう蒸し暑いと、そんなものが食べたくなる。

 

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ライカのカメラで出雲蕎麦を激写する男に嫉妬するT太

 

かき氷を食べるともう昼だった。そこで、とある有名店で出雲蕎麦を食べた。今回2度目の出雲蕎麦だ。私は、愛用しているミラーレスカメラ、パナソニックGX9で出雲蕎麦を激写した。私たちの横では、外国人のカップルも出雲蕎麦を食べている。実に微笑ましい光景だ。その夫の方が、私がGX9で出雲蕎麦を撮影したのをチラリと見て、自分もカバンからカメラを取り出し出雲蕎麦を撮影した。ところが驚いたことに、そのカメラはドイツ製のライカM10という高級機で、105万円もする代物だった。カメラに興味がない人が見れば、パナソニックもライカもほとんど同じに見えたであろうが、私のパナはこやつのライカの10分の1以下の値段だ。性能はともかく、価格は雲泥の差だ。当然私の心中はまったく穏やかでなく、「ちくしょう、見せつけやがって!」と、血圧が高くなった。その上その男は、こともあろうに105万円のライカをこれみよがしにテーブルに放り出したままトイレに行ったのだ。私は、思わず蕎麦が喉に詰まりそうになった。いくらそこに妻が座っていても、105万円を蕎麦屋のテーブルに置いたままトイレに行く人間があるだろうか?私は、そのライカが引ったくりにあうとか、妻が蕎麦汁をかけてしまうとか、何か不祥事がおきないか気が気で、気が遠くなりそうだった。幸い何も事件は起きなかったので、私は胸を撫で下ろした。これは庶民のひがみだが、105万円もするカメラで出雲蕎麦の写真を気軽に撮らないで欲しいものだ。

 

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小波浜の民宿なかよしに、早く着きすぎたこと

 

私たちは出雲蕎麦を食べると、松江市街を後に日本海側の海岸に向かった。目的地は松江から30キロの小波浜という村である。30キロ走るのは楽勝で、2時間もかからない。だから、ゆっくり走ればいいのだが、ゆっくり走るにも限度がある。自転車の平均速度は、平地ならば時速20キロ、山坂があってもせいぜい10キロ、これ以上ゆっくりは難しい。急坂なら時速8キロだが、平地を8キロで走れば、ぐらぐらして転んでしまう。

 

そういうことだから、案外すぐに日本海側に出てしまった。日本海側は、岩がごつごつした海岸の向こうに青い海が広がって美しい。その海岸線を私たちは、できるだけゆっくり、景色を楽しみながら進んだ。魚村があり、港があり、浜辺がある。でも、田舎すぎてコンビニも喫茶店もなく、これ以上は時間のつぶしようもない。このまま行くと、小波浜に早く着きすぎてしまう。

 

見れば、漁港の中に大きなコンクリートの建物があり、松江ビジターセンターとある。「よし、ここで一休みしよう」とT村の鶴の一声、私たちはクーラーが効いた涼しい建物に入った。私は、いつものようにアイスコーヒーが飲みたかったのだが、そういう洒落たものはなかった。食堂のメニューを見ると、サザエ丼のようなものしかない。がらがらでお客は私たち二人だけ。食堂や土産屋のおばちゃんたちも、遊覧船の切符売り場のおじさんも暇で仕方がない風で、まるで時間が止まったように物憂げな場所だった。

 

二階に上がると、そこは「島根半島ジオパーク」という構想の博物館みたいな展示場だった。客は私たちだけ。K大学歴史学科卒のT村は、地理とか地学とかが大好きだから、「よし、ここをじっくり見てみよう」ということになった。すると、奥から一人の若い女性が駆け出てきた。無人島に3年間ひとりぼっちになっていた人が、とうとう救助隊を見つけたような、そんな駆け寄り方だった。彼女は、一階で勤務している無気力な人々に比べると、やる気満々で若さがほとばしるようだった。

 

「お二人は、自転車で、サイクリングでいらしたんですか?」とこの女性、我々がきたことがよほど嬉しいのか、これ以上ニコニコできないくらいニコニコに微笑んでいる。それを見て、おじさん二人もニコニコになった。

「そうです、サイクリング旅行です。今日は松江から走ってきたのですが、4日ほどかけて出雲大社とか、あちこち見ながら奥出雲を抜けて、ここまで来たのですよ、ウハハハハ。ちなみに私は横浜の出身です」と、T村は答える。

「わあー、横浜なんて素敵!こんな暑い中、よくまあいらっしゃいましたねえ、ごくろうさまです!私は、ここのジオパークの研修を受けた者で、仕事で観光ガイドもしておりまして、ここら辺のことは何でも知っております。仕事柄、喋るのが大好きなので、とにかく次の30分は黙って私の言うことを聞きなさい!」と、女性はまくし立てた。私は、実はガイドの説明を聞くのがあまり好きではないのだが、T村は大好きである。

 

そこで、次の30分ばかりは、私たちは、島根半島と宍道湖の地学的な成り立ち、歴史、神話、日本列島の地殻変動、火山の種類、出雲方言、物産、観光名所などについて詳しいレクチャーを受けた。それだけでなく、この女性は自身についてもかなり詳しいことを我々に語った。だから、名前や住んでいる場所、夫の職業まで分かってしまったのだが、当然そのことはここには書かない。

 

とにかく、T村は、島根半島の歴史や風土について詳しいことをたくさん聞けてうれしそうであった。私は情報過多で頭がぐらぐらした。 


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そこから民宿なかよしがある小波浜は、ほんの15分くらいだった。私たちが、チェックインタイムよりも大分早く着いたので、民宿のおばさんは慌てていた。私たちは、すぐに風呂にいれてもらい、部屋でクーラーを最強にしてくつろいだり、洗濯をしたりして過ごした。日暮れ時になると、30名くらいのウェットスーツや水着を着た女性たちがどこからともなく砂浜に現れ、夕焼けの迫る小波浜の入江で、キャーキャーわめきながらサップ(SUP)と呼ばれる波乗り板の教習を始めた。私たちも夕日を見るために浜に出たが、目前で女性たちが、歓声を挙げながらサップのボードに乗ったり、滑り落ちたりする姿を前にして眺める夕日はなかなかの趣があった。

 

この晩は、民宿なかよしで魚料理を満喫し、岡山からきた農家の夫婦と交流したのだが、そのことはまた次号に書く。


(次回、5日目、最終日の号に続く)


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