サイクリストT村とT太の下北津軽二人旅 太宰治の津軽、縄文の遺跡、あちこちうろうろ
- 鉄太 渡辺
- Nov 29, 2023
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2023年10月22日から27日
第三回: 三日目、金木から五所川原を経て、亀ヶ岡の縄文遺跡から弘前まで走る
「(岩木山は)十二単衣の裾を、銀杏の葉をさかさに立てたようにぱらりとひらいて左右の均斉も正しく、静かに青空に浮かんでいる。決して高い山ではないが、けれども、なかなか、透きとおるくらいに嬋娟(せんけん)たる美人ではある。」
太宰治著書『津軽』

まずは津軽中里から金木まで
昨日と一昨日我々は、相次ぐ飛行機の遅延やフェリーの欠航、そして道路の遮断に行手を阻まれ、非常に困難な旅を強いられた。北上するだけのつもりの下北半島は、南北を往復し、南下するだけのつもりだった津軽半島も南北を往復する羽目になった。しかし、これだって旅の味わいくらいに考えないといけない。
津軽中里の、とことん古〜い民宿を出て、T村と私ことT太は、いよいよ金木の太宰治の実家である斜陽館へと向かってペダルをこぎ始めた。昨晩は津軽鉄道でこの辺りを通過したのだが、今日は逆戻りして弘前まで行く。本日こそやっと公共交通機関に頼らず、自分のペースで旅することができる。今日と明日は、いよいよこの旅のハイライトを迎えるのだ。
薄寒い田舎道をのんびり走りながら、我々の自転車旅のクオリティーは年を経るごとに高まってきていることを実感した。
言い換えるならば、短い距離を長い時間をかけて走っているということだ。

東北の秋は深まっていた
例えば、私たちは、一日走る距離はせいぜい80キロ、平均時速15キロくらいだ。サイクリストとしてはかなり遅い。早い人は1日200キロくらいを8時間くらいで走る。それは私たちのスピードの1.5倍以上、1日に走る距離は3倍近い。だが、そんなに早く走ったら途中に何があってもゆっくり見物する暇はない。私は四国一周した時、1000キロを三週間以上かけて回った。その旅の途中、同じ距離を5日で走ろうというサイクリストに出会った。しかし、その人はひたすら走るだけだ。途中で何も見なかっただろう。
だとしたら、わざわざ四国を走る意味がどこにあるのか?私は亀のような歩みでゆっくり廻り、八十八霊場のうち少なくとも15ヶ所は訪れたし、鳴門のうず潮も足摺岬も金比羅さんも松山城もゆっくり訪問した。お遍路さんとは立ち話をし、海を眺めながら弁当を食べ、温泉でゆっくり湯につかって旅情に浸ることができた。この比較からもわかるように、旅行は、ゆっくり回った方がずっと質が高くなる。
私がそんな高尚な思考をしている一方、T村は農道のあっちをふらふら、こっちをふらふらと走りながら、携帯を振り回して田んぼのカラスの写真を写したりしている。本当に無邪気な男である。この男には苦悩というものは皆無のようだ。
金木の斜陽館を訪問
苦悩と言えば、太宰治だ。農道をゆっくり走っていると、我々はいよいよ太宰の故郷の金木に入る。ここは小さな町だが、そこら中に「太宰治」と書いたのぼりや看板が目につく。津軽鉄道も太宰だったが、ここらは何でもかんでも太宰ブランドだ。すぐに、太宰の実家である大きな木造建築の斜陽館が見えてきた。斜陽館の前には、大きなお土産屋があって観光バスが数台停まっている。太宰がもしこの光景を見たら、39歳で玉川上水に飛び込んで心中したことを後悔するに違いない。きっと、「ああ、早まった!もっと長生きしていたら、インスタとかやって、インフルエンサーになってバズってただろうに!」なんて考えただろう。もはや「さよならだけが人生だ」なんて言っている時代ではないのだ。


太宰治のマントを纏ったT太
入場料を払って斜陽館に入る。入った途端、T村は叫んだ。
「うわぁ、これはすごい建物だ、ものすごい建築だ、驚きだ!」周囲の観光客たちが何事かとふり向いた。T村は興奮するととても大きな声を出す。

T村は建物を見渡し、
「いやあ、この建物については、俺はすでにたくさん謎が湧いてきたよ、これはちょっとすごいことになってきたぞ!」と大はしゃぎだ。前にも書いたが、T村は台所キャビネットを作っている会社の営業マン兼デザイナーで、建築には詳しい。それ故、斜陽館のような豪壮な建物を見ると興奮し始めるのだ。発情と言っても良い。鉄道マニアのことを「鉄ちゃん」と呼ぶらしいが、建築マニアのT村は「建ちゃん」だろう。
斜陽館その概略をここに記すと、明治40年落成、入り母屋づくりの建築、建てたのは太宰の父の島津源右衛門、一階は11室(278坪)、二階は8室(116坪)、敷地は680坪。太宰は父親の成金趣味を恥じてか、「ひどく大きい家」と書いているが、どうしてどうして、豪壮な和室あり、鹿鳴館を模した洋室ありの非常に立派な家だ。斜陽館は、一旦は人手に渡って旅館になるなどしたが、平成8年に金木町が買取り、全面的な改築を行なった。私は、T村のような建ちゃんではないが、こんなに立派な木造の個人宅というのも見たことがない。
二人でため息をつきながらゆっくり見学する。T村は、一階の縁側に使われている木材を見ると、大きな目玉を潤ませ、ため息をつきながらこう言った。
「はぁー、このような波目模様の木目は、非常に珍しいものだ。実に美しい!これについては、詳しく聞かなくてはならない。」
そう言うと、通りかかった係の男性を捕まえて質問をした。
「あのですねえ、ちょっと建物について教えてくださーい。私は、太宰うんぬんだけではなくて、斜陽館の建築に深く感銘を受けました!そう言うのも、実はこの私、台所の施工をする会社に勤めておりまして、仕事柄、建築には多大なる興味を持っておるのです!ですから、この斜陽館に使われている木材が非常に素晴らしいことはすぐに見抜きまして、そこのこところをもっと詳しく知りたいので、ぜひご説明を伺いたいのです!」
その男性は、T村の気迫と大きな目玉に威圧されてか、2、3歩後ろに後退しつつもT村の質問に丁寧に答えた。
「この建物は、米蔵に至るまで、青森ヒバを使って建築されております。青森ヒバには、ヒノキチオールと言う薬物が入っておりまして、これが腐食などを防ぐ役割を果たしております。また、要所要所には他の木材、例えばケヤキなどもふんだんに使っておりますです、はい。青森ヒバは、ここらでは必ずしも高級な素材ではなくて、至極一般的な木材なのです。」
「ほほー、青森ヒバですな、当然です。ふむふむ。でも、私が一番知りたいのは、縁側の波目のついた材木なんですが、あれは一体何です?」と、T村は、さらにぐっと一歩踏み出した。
係の男性は、さらに後退しながら答えた。
「よくお気づきですね。あれは、アオダモと言う材木でして、北海道から取り寄せたものです。アオダモはとても高級な素材ですが、身近なところでは、野球のバットなんかに使われる木材で、美しいばかりでなく、とても丈夫なのです。」
これを聞いて、T村の喜びは最高潮になった。
「アオダモ、アオダモかぁ!いやあ、そいつは気がつかなった、いやあ素晴らしい!アオダモかぁ」と、T村は唾を飛ばしながら絶叫した。
係の男性は、
「ご質問ありがとうございました。では、これで失礼します、どうぞごゆっくり!」と、唾の飛沫を避けながら退却した。
私は、アオダモに関しては、とりわけ大きな感慨はなかったのだが、建ちゃんのT村がとても喜んでいるので心が温かくなった。建材の種類を聞いただけで、これだけ興奮できる人がいるのも稀有なことであろう。
斜陽館見学は30分だけのつもりだったが、そんなで2時間も過ごしてしまった。そのあと、斜陽館の裏手の「太宰治疎開の家」も見学した。私は、そこで太宰に関する珍しい書籍を購入した。これで「太宰治検定」合格にまた一歩近づいた。

これがアオダモの縁側

ついでに太宰の実家(島津家)の仏壇
亀ヶ岡縄文遺跡の禿頭外人と案内所のおばさん
次の目的地は、亀ヶ岡縄文遺跡だ。T村と私は、碁盤の目のような田んぼの農道をかくんかくんと曲がりながら走っていくが、あたりにはトンボがたくさん飛んでいる。私たちのヘルメットにもトンボがとまっている。しかし、これはT村の友達がくれたオモチャで、これをヘルメットにつけていれば虫たちが怖がって寄ってこないだろうという趣向だ。確かに自転車で走っていると、時々虫がぶつかってくるのだ。ひどい時は、目に入ったり口の中に入ったりする。だから、このトンボヘルメットは、とても良いアイデアだ。効果があれば、だけど。

トンボ・ブラザーズ
我々は、亀ヶ岡遺跡跡についた。ここには、縄文後期の時代に大きな集落があったらしい。有名な宇宙人のような顔の埴輪が出土したことでも知られている。静岡の登呂遺跡のように建物などが再現されているかと思って楽しみにしていたら、あるのは、出土品や遺跡の地図などを展示している、プレハブみたいな案内所があるだけだった。その代わりと言っては何だが、中には暇そうな説明係のおばちゃんがたくさんいる。
野外には、出土品があった穴の跡があるだけだ。「穴の跡」と書いたのは、発掘された後の穴は埋め戻してあるので、「ここに穴を掘った」という看板があるだけなのだ。私も、T村も斜陽館で大興奮した後だったので、いささか気概を削がれて、「何もないなあ」と言いながら、穴の跡を見た。

見れば、禿頭の謎の外国人男性が一人、あちこち遺跡を歩きまわっている。彼は、いろいろな角度からたくさん写真を撮影しているから、考古学者かもしれない。ここにもトンボがたくさん飛んでいて、禿頭男の頭にもトンボがとまった。私は、その瞬間を激写したかったのだが、失礼かと思って、やめておいた。
遺跡の穴の跡を見てから案内所に入ると、その禿頭外国人がおばちゃんの一人と話している。禿頭は日本語ができず、その女性は英語が少ししか話せないのでほとんど会話が成立していない。ただ、そのやり取りから、禿頭がフランス人であることは分かった。どうやら禿頭フランス人は、あまりおばちゃんと会話したい気分ではないらしい。一方おばちゃんは暇だから、何とかそのフランス人にしてやれることはないかと躍起になっている。旅行客が困ってないかと親切にするのは良いが、明らかにこの禿頭フランス人は何も困ってないようだった。むしろ、この話の通じないおばちゃんに困っているようだった。気の毒に、禿頭は頭の汗をしきりに拭いている。
やがて、禿頭フランス人は案内所から逃げ出した。すると、おばちゃんの矛先は私たちに向けられた。黙っていれば良いのに、T村がこのおばちゃんにうっかり話しかけたからだ。
「いやあ、フランス人の相手なんて大変ですね」と、T村。
「本当にさあ、英語ならまだちょっとはわがるっけど、フランス語だなんて、ちっともわがんねえがら、えらいこったよ」とおばちゃん。
「実は、この男は、オーストラリアに住んでいるから、英語はペラペラなんですよ」と、T村は私を指差して余計なことを言う。
「あれまあ、なんでこどなの!英語でぎるんだったら、助げでぐれればよがったのに、あんだだつもいじわるなごと。なんで黙ってるだあ、おみゃあら」とおばちゃんは言った。
何で私が責められなければいけないのか?そろそろお腹が空いてきたし、これ以上このおばちゃんの相手をしているのも億劫なので、「あはは、そうですね、私もフランス語はわからないし、英語じゃダメでしょ。じゃあ、そろそろ行こうか!」と言って、案内所を後にした。
弘前まで、俳句頭を抱えて走る
また農地の中の田舎道をのんびり走っていく。りんごの収穫の真っ最中で、道ゆく車の半分はりんごが入った木箱を山のように積んだトラックだ。畑では、家族総出でりんごを採り入れている。りんごがたわわになっているりんご畑はとてもきれいだ。その向こうには、岩木山が聳えている。岩木山は、津軽富士とも言われてきたが、富士山の亜流のような名前よりも、岩木山という名前を青森県民はより好むのだと言う。それに標高1625メートルの岩木山は、富士山ほどは突き立っておらず、太宰治が言うように、あたかも十二単の裾を優雅に広げた女性のようだ。


私が、岩木山を見上げながら風雅な気持ちで走っていると、T村が奇怪な動きをしている。時折携帯電話を取り出し、何かを話しかけ、それをまたポケットに戻しているのだ。その動きを数分に一回繰り返している。何かを携帯電話に録音している風だが、一体何をしているのだろう?
私たちは、しばらく走って、道の駅森田と言うところで昼飯を食べた。大盛りカレーを食べながら、T村はその奇妙な動きのワケを説明した。
「実はね、また俳句を思いついちゃったんだよ。岩木山を眺めていたらたくさん浮かんできたんだ。だから忘れないように携帯に録音していたんだ。」
そのあと、我々は弘前に向かって走り出したのだが、その間もT村は次々と俳句を携帯に録音している。そのせいで私の頭も「俳句スイッチ」が入ってしまい、一句考えながら走る羽目になった。
夕暮れが迫る頃、私たちは俳句頭を抱えながらも無事に弘前についた。T村は、私の三倍くらいも駄句をひねったようだが、その半分は意味不明である。
今回の私たちの青森自転車旅も佳境に入ってきたと言えよう。
(青森旅行の第3回終わり。4回目に続く)
付録: T村と私の俳句をいくつか挙げる。(「ばか殿」はT村の俳号、「鉄沈」は私)
りんご街道岩木と十和田西東(にしひがし) (ばか殿)
文豪のインクかすれし里の家 (鉄沈)
ヤンキーが爆音鳴らして畦飛ばす (ばか殿)
禿頭にトンボのとまる野道かな (鉄沈)
平麺のウスター味に舌鼓 (ばか殿)
道標は岩木山なり田舎道 (鉄沈)
杉玉が語る今年の美味しさよ (ばか殿)
コンビニもりんごの香り羽州道 (鉄沈)
旧道に金色輝く影二つ (ばか殿)
カツカレー力んで食べる顔の汗 (鉄沈)




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