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三匹のおじさん、五島列島、長崎、天草を走る: T太、T村、ギャリさんのサイクリング旅行 (その2)

Updated: Feb 16, 2025

2024/10/29


私が知ったことのひとつは、その人たちのことが好きかどうかを知るための方法は、一緒に旅をしてみるのが一番確かだと言うことだ。


マーク・トウェイン(アメリカの作家)




佐世保からフェリーで、五島列島へ


昨日は、伊東線、東海道線、京浜急行、そしてANAのフライト、タクシー、大村線快速と乗り継いで佐世保入りしたので、初日だが我々はちょっと疲れ気味だった。特に全てが日本初体験のギャリさんの疲労の色は濃く、朝6時半にビジホの食堂に現れた時も、浮かない顔だった。おじさんたちは朝食を食べ、8時には五島列島に向かうフェリーの乗客にならなければいけない。


朝食ビュッフェもギャリさんには初体験だった。営業マンT村は慣れたもので、味噌汁、ひじき、シャケの塩焼き、納豆、梅干し、海苔、煮豆などをごっちゃりトレーに盛って、ワシワシ食べている。一方ギャリさんは、普段はシリアルにバナナというシンプルな朝食だから、ビジホのビュッフェで何を食べたら良いかも分からない。ひじきやモズクや納豆など、見たこともないものが並んでいる。ようやく、片隅にクロワッサンが置いてあるのを見つけ、それと果物をどうにかアップルジュースで流しこんでいる。気の毒な光景だ。


しかし、そのギャリさんも、青空のもと、フェリーの甲板に立った時は顔色が明るくなった。「ベリーナイス、ベリーナイス、ナイスウェザー!」とT村も上機嫌で英語を口に出している。だが、挨拶以上の会話となると、ギャリさんに話しかけられても「???」だ。ギャリさんも、日本語は「おはようございます」と「どーも、どーも」くらいしか分からないから、二人とも「???」だ。しかし、私としては、二人の会話をいちいち通訳するのは面倒だから、朝食の時に宣言した。「二人の通訳は極力やらないからね。身振り手振りでいいから、どうにか二人で話してちょうだい。」


これは別に意地悪ではない。せっかく一緒に旅をしているのだから、T村とギャリさんには、仲良くなってもらいたいという親心だ。また、これを機会にT村には英語、ギャリさんには日本語を学んでもらいたい。




ところが、二人とも捨てたもんじゃなかった。すぐにケータイのグーグル翻訳で、かなり高度な会話をし始めた。T村は、まずギャリさんの家族構成を質問した。


「家族は何人?」

「私の家族は四人、妻に子供二人。」

「子供の年齢は?」

「34歳に30歳。」

「子供の職業は?」

「サーカスの団員にスポーツジムのコーチ」

「サーカスの団員?」

「そう、空中ブランコが専門」

「そんな職業の人は他には知らない」

「オーストラリアでもサーカスの団員は多くないが、うちの娘は大学でサーカスを専攻した」

「大学でサーカスの専攻?」

「そう、オーストラリアの大学にそう言う専攻がある」

「ほほう、それは珍しい!」


という風に、ケータイに向かって、日本語でも英語でも話せば、たちどころに翻訳してくれるのだ。しかも、それを音声化してくれる。便利な時代だ。




中通島に着き、若松島に向かう


九州本土から五島列島は、案外遠い。佐世保や長崎からフェリーだと3時間以上かかる。長崎の知人が言っていたが、「私の母がまだ一人で五島に住んでいるんだけど、正直、東京へ行く方が、ずっと近い感じがしますねぇー。東京は出張とかでよく行くけど、五島には、年に一度くらいしか行きません。」


私たちの乗ったフェリーが五島の中通島に着いたのも、もう昼近くだった。フェリーを降りると、まずはコンビニへ。離島でもコンビニくらいはあるが、一歩町を離れると、何もないのが離島だ。だから、オヤツとか、そういうものを仕入れる。


それから、やおら走り始めた、三匹のおじさん。青い海を見ながら、まずは青砂ヶ浦教会を目指す。しばらく平坦な道だが、教会の直前にはかなり急な坂があった。おじさんたちは、うんせうんせ登って、ビューッと下る。私ことT太とT村は、これくらいの坂はなんでもないが、まったいらな大陸オーストラリアから来たギャリさんには苦行。すぐにアゴを出し、自転車を押し始めた。まあ、71歳だし、無理は禁物だ。



普通日本の田舎に行くと、たくさんあるのはお寺と神社。四国などは、嵐のように神社仏閣があるが、五島は集落ごとにカトリック教会があるのが珍しい。建築が大好きなT村は大喜び。グーグル翻訳をまたもや取り出し、大工のギャリさんと建築問答に興じる。


「この教会は煉瓦造りである」

「それは見ればわかる。」

「オーストラリアにはレンガがあるか?」

「あたりまえだ、たくさんある。西欧の建築の多くはレンガ造りだから。」

「この教会は百年前に鉄川与助が建てたものだ。この教会はキリスト教のものだ。」

「それも見ればわかる。鉄川とは誰か?」

「鉄川は昔の建築家だ。このあたりの建物は、みんな鉄川与助が建てたものだ。」

「あそこのトイレの小屋も鉄川与助が作ったのか?」

「いや、あのトイレは鉄川与助じゃないと思う。」

「私もそうだと思った。」


英国紳士としてのT村


さて、ここで私たちが乗っている自転車について説明したい。私が乗っている黄色い自転車は、フジ自転車のフェザーCX+という名車である。これは、最新式のデザインで、ディスクブレーキがついていて、雨天でもブレーキの制動力が高い。フレームは鉄製でちょっと重いが、クロモリ鋼のツーリング向きで丈夫なものである。フジ自転車は、元は日本の会社だが、今は米国企業に買われてしまったが、デザインはポップでかっこいい。




ギャリさんが乗っている紺色の自転車は、ジャイアント製のクロスバイクである。ジャイアントは台湾の会社で、世界の自転車の何分の一かはこの会社製だ。自転車版トヨタのようなものだ。クロスバイクというのは街乗りのスポーツバイクのことで、車では言えばSUVのような車種だ。何にでも使えて便利だが、特徴のない、面白くない自転車である。けなしておいて何だが、この自転車は私の友人のM城さんの所有物だ。この頃はブログにあまり登場しないが、M城さんは「調布の賢人」と言われていて、この頃はゴルフばかりしているので、ギャリさんに自転車を快く貸してくれた。だから、もう少しこの自転車のことをほめたいのだが、あまりほめる点がないのが難点だ。



一方、T村が乗っている白い自転車は、英国製のラーレーという車種である。クラシックなデザインで、ちょっとおしゃれだ。T村は、誰かに「この自転車はラーレーですね」と指摘されると、とても喜ぶ。英国製というと非常に高価そうだが、実はそういうことはない。ぶっちゃけた話、私のフジよりも少し安かった。何せ、英国製と言っても、部品は全部日本製のシマノだ。そんなT村は、台所キャビネットの会社でデザイナーみたいなこともやっているから、結構オシャレにうるさい。だから、自転車もブランドだけはこだわって、ラーレーにしたのだと私は睨んでいる。そもそもT村は、密かに英国マニアなところがある。きっとバブル時代に林望著の『イギリスはおいしい』などをこっそり読んでいたに違いない。T村は、仕事に英国風のツイードみたいなジャケットを羽織り、渋いエンジ色のタートルネックを着ていったりもしている。乗っている車も英国ブランドのミニクーパーという車種だ。しかし、このグローバル化時代にあって、彼のミニクーパーは、実はBMWが南アフリカかどこかで作らせているものであり、昔の純然たる英国製ミニクーパーとは相異なるものなのだ。でも私は、そういうことを批判している訳ではない。それどころか、T村が裏千家のお茶をやっているのみならず(前々回のブログ参照)、実は英国マニアであることは、人は全く見かけによらないことの好例であると言っているのだ。


チャンポンを食べて、鹿肉の燻製をご馳走になる


気分よく海沿いの道を走っていくうちに、すぐに昼になったので青方という町で小さな食堂に入った。ここでは、私とT村は待望の長崎チャンポンを食べたが、これは非常に美味であった。その上、「え、まじ?」というほど安かった。やはり、こういう食べ物は本場に限る。ギャリさんはベジタリンだから、肉抜きのチャンポンを頼みたかったのだが、そういうものは作れないと断わられ、仕方なく天ぷらウドンを注文した。ギャリさんは、天ぷらウドンの海老天は美味しく食べたのだが、ウドンはツルツル滑るので食べるのが難しく、ゆっくり食べているうちにウドンが伸びてしまい、残念ながら半分くらい残す状況になった。その後も何度かギャリさんは麺類を食べたが、いつもそういうことになってしまい、結果的に「麺類はちょっと面倒だ」という意識を抱くようになってしまった。でもこれは、うどんの立場から考えてみると、自分の味や形態に問題がある訳ではなく、むしろ食べる側に問題があるのだから、非常に遺憾な状況であると言える。でもまあ、その事実をギャリさんに突きつけてもなんだし、私は黙ったまま、伸びてしまったウドンを気の毒に感じつつ、この店を後にした。



昼飯も食べたので、今日の宿泊地である若松島に向かって走る。今日は全部の行程でもたった30キロしか走らないから、楽なもんだ。ただ、結構アップダウンが多いので、ギャリさんは、はあはあ苦しそうだ。本当のことを言うと、坂の登りがきついと言うより、坂に慣れてないから精神的なプレッシャーなのだと思う。


しばらく行って、長い坂を降りたところにきれいな入江があったので、ちょっと寄り道する。入江の突端が細長くなっていて、車ではとても入れないが、自転車では行ける道がある。このような場所こそ、サイクリング旅行の醍醐味であって、自動車旅ではまず味わえない喜びがある。狭い、海沿いの小道を走っていくと、果たして、その先は行き止まりであった。私道とも公道とも判らない行き止まりで写真を撮ったりしていると、手前の家の住民の男性が私たちの方に向かって何かを叫んでいる。立居入り禁止をとがめられているのだと思ったらそうではなくて、ニコニコしながら、「鹿肉があるから、食べていけ」と言っているのだ。鹿肉とは、妙であるが、せっかくだからその男の家の庭先へ行く。


すると、その男は家の中に入ってしまった。私たちがきょとんとして待っていると、しばらくして男は皿に載せた肉を持って出てきた。


「まあ、そこに座って食べてみてください」と、その男は、親切にもよく冷えた麦茶をコップに注いでくれた。私たちは、恐る恐るその鹿肉を食べみるが、それは非常に柔らかくて美味しい燻製肉なのだった。


「五島のここいらでは、鹿が増えすぎちゃって、鉄砲で撃ってるんだよ。仕留めると、一頭一万円市役所からもらえるから、30頭撃って、それで生活している人もあるくらいだ」と男は言う。私たちが食べている鹿肉も猟師が撃ってきたものだと言う。ベジタリアンであるギャリさんも食指が動いて、「ちょとだけ食べてみようかな」と言って、一切れつまんで「うん、なかなか美味しい」と言う。


その男は、この漁港のすぐ横の家に住んでいるが、漁師ではなくてサラリーマンなのだそうだ。息子の高校のバスケのコーチもしているという。話好きで、「今朝そこで釣ってきた鯛があるから、刺身にしようか?それで酒を飲もうよ」と言いだした。でも、まだ私たちは、若松島まで行かなくてはならないから、その申し出は丁重に辞退した。



若松島で、魚づくしの夕食に驚いたギャリさん


鹿肉男の家から若松島までは、小一時間くらいのものだっただろうか。車も少ない快適な道を鼻歌まじりで走っていると、やがて白くて綺麗な橋が見えてきた。これが全長522メートルの若松大橋である。


「立派な橋だ!こういう大きな建造物はどうやって建てるんだろう!」と大工のギャリさんは感嘆している。大工は建築物をみるととにかく、「どうやって作るのか?」という点に興味を持つようだ。私は、鉄骨をどうやって持ち上げるかとか、海中に100メートルもある橋ゲタをどうやって建立するのかなんてことには全く興味がないが、ギャリさんの関心はそこにあるのだった。さっきのレンガ作りの教会でも、ここがキリシタンの歴史の中でどれだけ重要なのかよりも、一体いくつレンガが使われているのかをまず考えるらしい。


そこで、写真を撮ったり橋の細部に感心したりで、522メートルの橋を渡るにも30分くらいかかった。でも、ギャリさんが日本に来たことをゆっくり楽しんでくれて、連れてきた方としては嬉しい。



そこから若松の漁港はすぐだった。小さな漁港で、フェリーの小さなターミナルがあり、郵便局があり、横にリアカーが置いてある雑貨屋があり、その向かいが橋口旅館だった。我々は10畳間に通されたが、さっそく布団を三人分敷くと、部屋はそれでいっぱいになってしまった。今日は三人のおじさんたちは川の字になって寝るのだ。我々は、お風呂にゆっくり入ってから、夕食を食べた。


橋口旅館は小さな旅館だが、夕食はご馳走だった。刺身、焼き魚、煮魚、それに小鍋仕立てのしゃぶしゃぶもついたが、全てが魚のメニューだ。ウツボの刺身なんて珍しいものもあった。ギャリさんは、「こんなにたくさんの魚を一度に食べたことはない」と、圧倒されていた。私とT村は、もちろん旅館の食事には慣れているが、それでもこの五島の小さな宿の魚の種類の多さと、新鮮さには圧倒された。



三匹のおじさんは、お腹がいっぱいになると、腹ごなしに真っ暗な港を少しだけ散歩した。それから宿に帰って、まだ8時台だと言うのに、倒れるようにして布団に入って寝た。


(三匹のおじさん、五島列島、長崎、天草を走る(その3)に続く)

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