奄美大島を巡った自転車旅 2023 (第一回)
- 鉄太 渡辺
- Feb 17, 2023
- 15 min read
2023/02/17
その1. 奄美大島に行くことになった
どんな小島でも、子どもにとってみたら、そこは「宝島」なのよ。
P.D.ジェームズ (英国の推理小説作家)
そこに住む人たちがすべからく賢くて親切であるという島が、一体全体どこかにないだろうかと私は考える。
アルバート・アインシュタイン

「次は、お前に奄美大島を見せたい!」T村が大きな目を潤ませて、そう私に言ったのは、かれこれ3年前のことだ。私はその眼力に威圧され、「よし、行こう」と即答してしまった。答えてから、え、奄美?そんな遠く?と自問したが、もう遅い。T村は頷き、「よし、決まった!奄美へは俺はもう仕事で3回くらい行っている。奄美には豊かな自然があり、クロウサギという珍獣もいる。海の幸も豊富だし、野菜や果物、パパイヤやバナナがそこらで採れ放題、女性は美人ばかりだ。ハブという毒蛇もいるが、滅多に遭遇しないから大丈夫!ワハハハ!」と確信ありげに言った。
豊かな自然、特に毒蛇のハブがいると聞いて、私は身震いした。実は私は、オーストラリアで毒蛇に噛まれそうになった経験がある。毒蛇にまとわりつかれた恐ろしさは言葉にできない程だ。しかし、美人がたくさんいるというのは毒蛇の脅威を差し引いてもお釣りがあるかもしれない。確か南沙織は奄美大島出身だったのでは?とにかく、奄美大島や鹿児島県には美人が多いと聞いている。「奄美大島、大いに結構!」私は叫んだ。

その2.奄美へ渡る準備
奄美には波の奏でし歌があり
鉄沈 (私です。)
ところが、その後コロナ禍がやってきて、奄美へ行くチャンスは遠のいた。その間、私は奄美の夢を見ながら2年余りを過ごした。やがて水際対策も緩和されて日本へ帰国できるようになり、私は2022年に2年半ぶりに一時帰国が叶った。T村との自転車旅行も再開し、6月には山形の最上川を二人で下った。その旅の途中だったか、「奄美大島行き」という大きなテーマが再浮上した。私は、T村に厳かに言った。「来年は奄美へ行ったらどうだろう?僕は多分一月下旬から2月頭に日本にいるはずだから、その頃行こうじゃないの!」
「よっしゃあ、行きますか!」と、T村もガッツポーズで応じた。こういう打てば響く友達は嬉しい。そこで我々二人は粛々と準備を始めた。奄美大島一周250キロを、4泊5日くらいで走ると言う計画だ。ゆっくりペースだが、中身の濃い旅にする予定である。
と言っても、飛行機の予約や宿をとるのは全部T村任せだ。「旅行のことは、ぜーんぶ、まかしといてちょうだい!」とT村は嬉しそうに言い放った。T村は、金持ちの顧客に高級な台所キャビネットを売っている営業マンだから、その仕事で富山の薬売りのように全国津々浦々を歩いている。だから時刻表を見たり、宿の予約をしたりするのはお手のものだ。仕事で奄美を複数回訪れているリピーターだから土地勘もある。その上彼はK大学考古学科出身でもあるから、奄美の歴史や風物についても広範な知識を持っている。つまり旅行代理店とバスガイドが一緒に旅をしてくれるようなものだ。そのガイドが美人女性だったらもっと良いのだが、それは我慢しよう。
だから私は奄美に行く準備と言っても何もすることがない。そこでひたすら「奄美を訪れる自分」のイメージトレーニングをすることにした。目を瞑り、深呼吸をする。すると、海岸線を自転車で疾走しているイメージが浮かんでくる。その海岸には薄手のドレスをまとった南沙織のような美人がいて、私の自転車を追いかけて走る。しかし、残念なことに、その美人はマスクをかけているので顔が見えない。今度はジャングルのような森を走る自分のイメージが浮かぶ。すると、ハブが木の枝から降りてきて私を追いかける。毒々しい模様のハブは自転車にからみつき、足元に擦り寄ってくる。ああ気持ち悪い!
あまりロクなイメージが湧かなかったが、そもそも奄美に関する私の知識が貧困なのだから仕方がない。そこで私が奄美の地理や文化について詳しく調べたかと言うと、何もしなかった。私の旅行ポリシーは、旅立つ前にあまりあれこれ細かいことを調べないということにある。あまり詳しく調べると、旅自体がその事実確認になってしまうからだ。それに旅先に過度の期待を持つのも良くない。期待感が高すぎると、行ってからがっかりすることが多い。だから、私は平常心のままで旅に出て、奄美においても、あるがままに全てを受け入れることにする。そうしてこそ、本当の美(人?)に出会った時、心底感動できるというものであろう。

2. 奄美へ旅立つ
パパイヤの畑を眺めて午睡かな
鉄沈
私とT村の奄美への旅立ちは、朝4時、羽田近くのビジネスホテルで始まった。天気予報は本州全土に寒波の襲来を伝えており、東京に大雪が降るかもしれないという。そこで我々は、少しでも羽田の近くに陣どり、雪が降ってもどうにか空港にたどり着ける場所に泊まることにしたのだ。東京がどうなれ、奄美行きの飛行機に乗りさえすればこちらのものだ。
ホテルの寝付けないベッドでゴロゴロ夜を過ごした我々は、朝6時前にはもう羽田入りしていた。幸い雪は降らなかった。輪行袋に入った自転車と荷物をチェックインし、後はゲートで鹿児島経由奄美行きの飛行機に乗るだけだ。余裕たっぷりのT村と私は、ゲート前で立ち食いそばを食べて搭乗を待った。
ところが問題が生じた。「鹿児島行きX X便にお乗りのT村様、T村様、至急搭乗ゲート15番までお越しください。」とアナウンスがあったのだ。T村の搭乗手続きに何か問題が生じたのだろうか。大体、T村は年季の入った営業マンのくせに、ここ一番という時に何かをしくじる傾向がある。思い起こせば中学時代にも、みんなでこっそり隠れてタバコを吸ったことなどがあるが、一番先にバレて先生に呼び出されるのはT村なのだった。彼は隠し事があっても、すぐに顔に出てしまうタイプなのだ。だから、空港のセキュリティゲートでもT村の怪しい表情が警報器に引っかかったに違いない。きっと何かを隠していると疑われたのだ。
案の定、呼び出されたT村は行ったきりなかなか戻ってこない。やがて、我々の便の搭乗が始まった。優先搭乗の人々が機内に消え、やがて「全てのお客様は搭乗口までお進みください」とのアナウンスがある。まだT村は帰ってこない。見ればT村はゲートの向こう側で、係員たちと何かをもめている。ヘルメットを被った、荷物を積み込む要員も混じっているから只事ではない。

私が何事かと思ってそちらへ行くと、「悪いけど、先に飛行機に乗ってて、すぐ行くから」と、T村がこちらを振り向いて、険しい表情で言う。私は、不安に駆られつつも飛行機に乗り込み、席でT村を待った。一体何が問題なのか?もしかしたら、T村は以前航空会社と何か悶着を起こして、要注意人物としてマークされているのかもしれない。そういう人の搭乗券には、秘密のマークが刻印されていると聞いたことがある。きっとそうだ。T村は、恥ずかしいから私にそのことを黙っていたんだろう。T村のことだから、多分女性乗務員に親父ジョークを連発して、セクハラと思われたのかもしれない。そうだ、そうに違いない。例えば、「エコノミーに乗れるのは、良い子のみ?」とか、「椅子に座っていーっすか?」とか、非常にレベルの低いジョークを連発したのだろう。そんなことをしたら、若い女性C Aに嫌われるのに、T村はいつもそういうことをする。
でも、もしT村がこの便に乗れなかったらどうしよう?確か、この航空会社は一日1便しか奄美に飛んでないから、T村が乗れなかったら私は今夜一人で奄美で過ごさなければならない。宿の予約は全部T村に任せてあるから、宿の名前も電話も何も分からない。さあ、困った。
とうとう「当機は全てのお客様が搭乗しましたので、これからドアを閉めて離陸の準備に入ります。お客さまはシートベルトをお締めください」というアナウンスがあった。私は慌てた。T村はとうとう飛行機に乗せてもらえなかった。万事窮すだ。
と思ったら、機の前方からT村が汗を拭き拭き、ドスドス歩いてきた。
「いやあ、参った、参った」と席に座りながらT村が言った。「預けた自転車と一緒に、空気入れの二酸化炭素ボンベが3本も荷物に入っててさ、それが規定より多いからダメって言うわけよ。でもね、結局それは爆発しないから大丈夫ってことになったんだ。でも、それだけじゃなくて、パンク修理用のガスボンベも入っててさ、それは可燃物ってことで没収されちゃったんだよ。俺、そんなものが入ってるのすっかり忘れてた。没収されて損しちゃったなあ。ガハハハ!」
やはり、そんなことだった。全てはT村が忘れっぽいからいけない。航空会社からすれば、畳んだ自転車などという貨物は大迷惑だ。その上、調べてみたら中にガスボンベが2種類も入っていたのだから、これは大事件だ。迷惑にもほどがある。T村のような乗客がもう2、3人いたら飛行機が落ちるだろう。私は、搭乗に手間取ったT村に同情するよりも、T村のようなうっかり者の乗客にいちいち対応しなくてはならない航空会社に同情したのだった。
そんなこともあったが、大雪予報の東京を後にして(雪は降らなかったが)、我々の乗った飛行機は鹿児島を経由し、無事に奄美上空まで到達したのだった。
その3. 奄美は、風が強かった

しかし、奄美はそう簡単に我々を歓迎してくれなかった。飛行機は、一旦着陸体制に入ったのだが、滑走路上で加速してまた空に舞い上がった。「お急ぎのところ大変申し訳ありません。ただいま、滑走路付近で突風が吹いており、安全のため着陸をしばらく見合わせることにいたしました。三十分ほど奄美上空で旋回し、風が弱まるのを待ってから再度着陸を試みます。」と操縦席からアナウンスがあった。見れば、海上には白波が立っていて、いかにも風が強そうだ。私たちは、しばし上空から奄美大島見物をする。地図で眺めていた奄美大島の全貌が眼下にあるのは、なかなか感動的だった。しかし、このまま着陸できずに、鹿児島に戻るか、あるいは沖縄まで飛んでいくという事態だってあり得る。T村のガスボンベ事件もあったことだし、私は最後まで気を緩めずに座席に座っていた。
三十分後、我々を乗せた飛行機は無事にちっちゃな奄美空港に着陸した。やはりしっかりした地面に足を下ろすとホッとする。空港の外に出ると、太陽が出ていて、湿度は冬の乾いた東京よりもずっと高かった。南国の雰囲気だ。インドやタイに行った時は、飛行機を降りた途端にブオーン!!と、ほとんど固体のようなすごい湿度の大気が押し寄せてきたが、1月終わりの奄美の湿度は、もう少し柔らかい感じで、ボヨヨーン!とした優しい湿度だった。これは非常に快適だ。
ただ、相変わらず風が強い。これではこの先が不安だ。逆風の中を自転車で走るのは坂道を登るのに等しいか、場合によってはもっと悪い。これ以上風が強くならないことを祈りつつ自転車を組み立てた。
自転車を組み立て、あとはスタートするばかり。でも、まだ昼ごはんを食べてなかったので空港内にとって返し、昼飯を探す。あるのはお土産屋が2、3軒と「J」という名前のファミレスのみ。Jは、東京辺りでは見かけない店だが、四国へ行った時には何度かお世話になった。だが、Jの食事はお世辞にも上手いとは言えない。
「Jって不味いんだよな」と私が言うと、T村も「うん、せっかく奄美に来て、いきなりJはないだろう。何が別のものを探そう」と言う。結局見つかった食べ物は、お土産屋の売れ残りのおにぎりだけだった。しかし、東京あたりのコンビニのおにぎりと違って、どこかのおばさんが手で握った風の素朴なおにぎりだ。おかずには卵焼きとウインナソーセージがついている。我々はこれを空港ロビーに座って4つずつ食べた。味もなかなかであった。

4.晴れのち雨のち曇りのち雨のち晴れ
さて出発だ。時計を見ると午後一時、これから50キロ走らなくてはいけない。我々の速度では、50キロは3時間半ないしは、状況にや風向きによっては4時間だ。だとすると宿に着くのは午後五時、いくら南国でも今は冬で日が短いから、五時にはもう暗くなる。うかうかはしてられない。「これから50キロ、真面目に走ろうぜ」とT村が言う。我々は風の中を走り出した。
雲がだんだん増えてきた。我々の向かっている西から天気が崩れてくる。右側の丘の上に雨雲が見え、そちらから風が吹きおろしてくる。やばい状況だ。
案の定、走り出してものの十分、「雨が降ってきそうだな」と私が呟くのと同時に、バラバラっと礫のような雨が降ってきた。「やばい、雨具を着なくちゃダメだ!」とT村も叫んだ。我々は、北斎の俄雨の絵に出てくる人のように、道端の大きな病院の軒先に飛び込み、素早く雨具を上下とも着込んだ。
空港を出てからまだ3キロも走ってないのに、雨は激しくなり、当分止みそうもない。ここで雨宿りをしているわけにはいかないのだ。私たちは雨の中を走り出した。
雨のサイクリングというのは久しぶりだ。昨年6月、五日間で350キロ走った最上川下りでは、雨に降られたのはたった十五分間だけだった。その前に走った二泊三日の大井川と安倍川下りでもほとんど全く降られなかった。3年前と4年前、私が合計で4週間かけて一周した四国でも、雨に降られたのは二日くらいだった。それくらい私たちは、好天に恵まれてきた。
ところが、ここ奄美では、雨はのっけから容赦なく降りだした。私の雨具ズボンが安物で、しばらく走っていると前の縫い目から雨が漏れてきた。まるでお漏らしをしたように不快だが、幸い気温が高いので濡れても寒くはない。その上、雨のおかげで写真を撮る余裕もない。私は愛用のカメラに新しく奮発した望遠ズームレンズを装着してきたのにその出番もない。
さて、とりあえず最初の目的地は30キロ先の奄美随一の町、名瀬だ。私たちは雨の中をひた走り、赤尾木、浦上といった集落を走り抜けた。景色を楽しむ余裕もない。普段はトンネルは嫌いだが、今日ばかりは天の助け、和光トンネルという2キロ以上もあるトンネルも何のその。そこを抜けたら名瀬の町だった。時刻は三時過ぎだった。
私の場合、名瀬という都市名は、天気予報で聞いたことがあるだけだった。だから名瀬と聞くと台風を連想する。台風のニュースで見る名瀬は、大しけの港で漁船がコルクのように揺れ、倒れた椰子の木が道路に散乱するような最果ての地だった。ところが今眼前にある名瀬は、雨にしょぼ濡れた、どこにでもあるような静かで寂しげな港町だった。低層の雑居ビルが立ち並び、安宿やカラオケスナック、寂れた商店がひしめく港町だ。自分の持っていたイメージと、実際の名瀬のギャップにちょっとだけ驚いた。でも、これが旅の面白いところだ。
安物の雨具でズボンがぐしょぐしょになったので、私は大きなドラッグストアに入り、使い捨て雨具ズボンを買って履き替えた。それからコンビニに入り、T村と私は100円コーヒーを貪るように飲んだ。こんなに美味いコーヒーは久しぶりだ。奄美大島にも、大きな町にはコンビニもあるようだ。ただ、大きな町というのが2つか3つしかないのだが。それから、ひなびたスーパーに入り、日持ちのしそうなパンをいくつか買った。これは明日の走行に備えるための食料だ。明日走る海岸線には、ほとんどどこにも商店がないとT村は言う。私は念の為に、パン以外にも羊羹やチョコレートも買った。こうした食べ物は、食べ物と言うよりも、自転車を漕ぐ燃料だ。
雨と風というのはサイクリングには大敵だ。初日が雨というのは全く予想外であった。しかし、2、3時間雨に濡れていると、こうした気候をも楽しむ余裕が出てくるから不思議だ。私が尊敬する、ある冒険サイクリストが、オーストラリア大陸を横断した時の手記の中で「向かい風だって良いことがある」と書いていたが、それは本当だ。例えば、このコーヒーがそうだ。100円コーヒーを、ここまで美味いと思えることが幸せでなくて、何であろう。私は、コンビニで震えながらコーヒーを飲みながら、心の中では快哉を叫んでいた。
「いやあ、ひどい天気だが、奄美に来たっていう気分がするよ。何か、昔みたいだよなあ!」と、T村も嬉しそうだった。「そうだ、そうだ、雨だって降られているうちに、だんだん慣れてきて、どうってことなくなるから不思議だよな。そう言えば、北海道や長野でも、時々こんな雨に濡れたっけ」と私。T村と私は、14、5歳の頃から一緒に自転車で走っている相棒同士だから、すぐにピンとくる思い出がいくらもある。今回の雨なんて、カエルの面に小便くらいのものだ。
「さてと、いよいよこれから東シナ海の海岸線を走るんだぞ。気合を入れていこう」とT村。今夜の宿がある大和村のある思勝湾まで、まだ20キロある。およそ1時間半の走行だ。時刻はもうすぐ4時だから、うかうかしていると暗くなってしまう。急がなくてはならない。
雨は小降りになったが、海岸線に出ると、海の飛沫なのか雨なのか分からない水滴がバラバラと降ってくる。だから雨具は脱げない。奄美は海岸線が入り組んでいて、小さな入江が無数にある。景色は良いのだが、自転車乗りには辛い。なぜなら海岸線の道路は平坦だが、入江が終わって半島を通り抜けるときは必ず山道が待っている。また今日のように、風が強いときは、入江の突端を抜けるときは猛烈な風が向こうから吹き付けることがある。
私たちは、素晴らしい景色を楽しみつつも、次の瞬間には突風に吹き付けられるという苦しみに耐えつつ、大和村を目指した。だんだん海の果ての雲がオレンジ色に染まってきた。

根瀬部トンネルを出たところに、太平洋に突き出た小さな岬があった。そこから吹き付けてくる風は猛烈だった。「あの突端を過ぎたら、すぐに大和村だぞう!」と、風の中からT村の叫ぶ声が聞こえる。二人は、風の中をヨロヨロしながら走り、時速四キロの低速で突端を通り抜けた。一瞬だけだが、まるで台風みたいだった。
その先にはもうひとつトンネルがあり、そこを出ると大和村だった。さっきの暴風は嘘のような静かな湾内に大和村があった。

「やれやれ、やっとついたぞ」と言いながら、T村は大和村の集落に向かう路地を曲がった。海岸沿いに数軒の家があり、私たちの泊まるSという民宿がその中にあった。宿には電気がついて、私たちのやってくるのを待っていてくれた。
二人ともずぶ濡れで、自転車もドロドロだった。でも宿の灯りは優しく、私たちはこの上なく満ち足りた気分だった。サイクリングをしていて最高の気分なのは、目的地に着いて自転車を降りる時だろう。
「ごめんくださーい、お世話になりまーす!」T村は、愛想の良い営業マンの声で、宿の引き戸を開けて中に入った。
この日の走行距離は49キロだった。

(奄美サイクリング1日目の巻終わり。)




Comments