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練馬の古刹M福寺まで、お茶のお点前をいただきに行ったこと

Updated: Feb 1, 2025

2024/10/06


日本に帰国している間は、私だって伊東にずっといるわけではない。用事もあるし、友人もいるからたまには外に出て行く。 


この間は、自転車友達で、幼馴染のT村が、もう何年も研鑽を積んでいる裏千家のお茶会に呼んでいただいた。お茶とは聞こえが良いが、T村がお茶をやっていると言うのは動機が怪しいからから、チェックをいれなくてはならない。



そもそもT村が、なぜお茶を習い始めたかというと、それは仕事上の必然からだったという。前にも書いたが、T村はキッチンのセールスをしている。キャッチセールではない、キッチンセールスだ。それも、かなり高級な台所キャビネットを、ハイソなご家庭に売りこんでいる。(やはりキャッチセールかもしれない。)とにかく、そういうレベルの顧客には、お茶をたしなんだり、自宅に茶室があるような粋人も珍しくないらしい。「そういうお客さんに勧められて、練馬の古刹でやっているお教室をのぞいてみたのよ。やっぱ、お茶のことくらい知っておかないとこんな仕事もできないしね。そしたら完全にハマちゃったわけ!」とT村は語る。


実に怪しい。私は、それだけが理由ではないと疑っている。仮に、仕事上の必要があったのだとしても、それだけで何年も続くわけがない。そこで、T村の化けの皮を剥ぐために、わざわざ伊東くんだりから出てきた。


「俺は、着物を着るけど、お前は普通の服でいいよ。ただし、足袋の代わりに白い靴下を履いてちょうだいね」とT村が数日前に言ったので、私は向ヶ丘遊園駅前のCanDoに足を運び、白靴下を買い備えた。その朝、私が滞在していた川崎の友人宅まで、T村は愛車ミニで迎えにきてくれた。こういう車は美しい女性が運転してこそと思うのだが、T村には意外な少女趣味みたいなところがある。ともかく、運転席のT村を見ると、普通の格好をしているではないか。千利休みたいな格好でくるのかと思っていたので拍子抜けだ。その点を問いただすと、「だって運転は普通の服じゃないとできないだろ」とか言う。しかし、私は着物を着て車を運転している人を何度もみたことがある。京都のお坊さんたちは、着物を着てレクサスとかベンツを運転しているではないか。いつぞや、うちの法事にきた和尚さんは、法衣でバイクだった。修行が足りないぞ、T村。



我々はさっそく練馬に向かった。道中、また考えた。神奈川の奥地に住んでいるT村が、一体どうして練馬までお茶を習いに行くのか?いささか遠すぎじゃないか?裏千家というくらいで、これには絶対「裏」があるはずだ。


我々は、いよいよ練馬のM福寺についた。それは、それは、立派なお寺だった。私は、実は練馬区の大学を卒業しているので、練馬区近隣については一定のイメージを持っている。そして、そのイメージは、あまり洗練されたものではない。私の大学がかなりレベルの低い大学であったことも関係しているが、練馬近隣といえば、大根、キャベツ、西武線、池袋、養老の滝本店、闇市、江古田、木賃アパート、豊島園、所沢、西武ライオンズなどが思い浮かぶ。志村けんは東村山だったかもしれないが、同じ感じだ。そういった一連のイメージは、垢抜けた感じではない。(へぇー、練馬区に大学なんかあったっけ?という人もあるかもしれないが、あるにはあるのだ)。


ところが、そんな私の練馬観は、M福寺に一歩足を踏み入れた途端、見事に上書きされ、リセットされた。そこは、風雅と豪壮が交差した場所であり、粋であり、侘び寂びであり、まさに「古刹」の決定版という感じだった。しかし、そう言っておきながら、私は「古刹」とか「名刹」という言葉の意味を知らなかったことに気がついた。そこでT村に尋ねた。「ねえ、古刹とか名刹とかって、どういう意味?「刹」って寺のこと?」T村は、K大学歴史学科卒だから、こういうことを知らないはずはない。さっきも車の中で、何度も「古刹」という言葉を口に出している。ところが呆れたことに、T村は「さあねえ?俺も知らねえな。古刹ってなんだろうねぇ?」と答えた。私は、思わず「やんぬるかな」と、うめいてしまった。友達とはいえ、こういうレベルの低い言葉の使い方に直面すると、私は日本語の行末に関して、非常に悲観的にならざるを得ない。


とにかく、我々は、古刹M福寺の大座敷に足を踏み入れた。すると、そこにいたのは四人の女性であった。みんな、今日私が来るというので、わざわざ和服を着用してきてくださったという。何という暁光、眼福だろう。その四人とは、裏千家T内先生、お弟子さんで歯科医のM本さん、同じく弁護士A澤さん、それから別のお寺の女将であるM野さんであった。その着物姿の女性たちは、T内先生を囲んでキャーキャーと楽しそうに話しているのだった。伊東の陋屋に独居している私が「キャーキャー」を耳にするのは久しぶりのことであり、それは実に涼しく耳に響いた。



私は、すぐにその女性たちに紹介された。この四人の立ち振舞いは、多少ご高齢の先生も含めて、なんと表現したらいいのだろう、上品な意味で、とても麗しいのだった。やはり、お茶をやっている女性は違う。もちろん、私が海外に暮らしていて、和服の女性を見慣れていないせいもあるだろう。また現在、伊東で永井荷風みたいな一人暮らしをしているせいもあるだろう。とにかく、この4名の女性の着物姿は、まさに「目に青葉」という風であった(まるで季節を間違っていますが)。T村が、横浜の片隅から練馬まで、何年もの間、遠路車を飛ばしてお教室に通ってきたその理由がここにあった。彼が、スピードの出るミニに乗っている理由も明らかになった。



私が、そうか、そうだったのか、お前はやっぱりそういう奴だったよな、と一人納得している間に、T村は和服に着替えて登場した。今度こそ利休かと思っていたら、ちょっと違っていて、上半身には作務衣のような紺色の和服、下には細い格子の袴を履いている。還暦も過ぎ、お腹も少しは出ているから貫禄がなくもない。T村の着物姿を初めてみたのだが、どうも、こういう人を最近どこかで、たくさんみたことがある気がする。すぐに気がついたが、それは、伊東の駅前にたくさんいる旅館の客引きの番頭さんなのであった。私は、その印象を、すぐさま包み隠さずに女性たちに開陳した。するとみんなキャーキャー喜び、「本当よ、本当!T村さん、ハトヤの番頭さんにそっくりー!」と大騒ぎになった。


堂々たるT村の和服姿
堂々たるT村の和服姿

かくしてお茶の会は始まり、まず私はT村のお点前を頂戴した。飲み終えた後は、「結構なお点前でした」と、どんなお点前であっても、とりあえず感心してみせるものだとT内先生に教わった。その次に、M野さんからもお点前をいただいた。私のいただいたのは「お薄」と呼ばれるお茶だったらしいが、T村が作ってくれた方は、正直言うと「まあ、こんなものか」という感じであった。一方、M野さんの方は、皆さんが、「M野さんは手首のスナップがすごいから、泡立ちが良くて美味しいわよ」とほめただけあって、T村のに比べると格段に上等なお点前だった。やはり、ハトヤの番頭のような人が作ったのと、着物の美女が作ってくれたのでは大違いだ。


少し遅れて、M福寺の御前様も登場した。英国スーツの似合う渋い紳士である。和菓子の食べ方も、こういう人はパクパクっと美味しそうに上手に食べる。なかなかできる技ではない。私などは竹のフォークの使い方が下手で、アンコのクズをあちこちにボロボロ散らしてオロオロする。物の食べた方には、品位が出る。(言うには及ばないと思うので、あえてT村の食べ方には言及しない。)



T内先生の指導も素晴らしかった。茶筅やお茶碗の置き方など、ちょっとでもおかしいと、寸暇をおかずに、「もうちょっと右!」とか、「少し手前!」と、厳しい言葉が飛ぶのだった。T内先生は、昨日ご家族にご不幸があったばかりで大変お疲れの様子だったから、弟子たちは早めに会を終了したのだが、先生はそれがたいそうご不満のようであった。先生のご健康を心からお祈りする次第である。



会が終わり、私とT村は帰路についた。「お前が、どうしてこのお茶会に遠くから何年も通っているか分かったよ」と私が言うと、T村は「うふふ、そうなんだよ、うふふふふ。お茶は奥が深いからねぇ」と言う。私は、別段そういうことを言ったつもりはなかったのだが、T村の名誉のために、そういうことにしておいた。


わたし的にも、大変有意義なひとときでした。改めて御礼申し上げます。お招きいただき、どうもありがとうございました!

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