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Life about Melbourne and Ito
Tetsuta's Blog
メルボルン暮らし、伊東暮らし
豪メルボルン在住の筆者渡辺鉄太がメルボルンと静岡県伊東市の二股くらしについて書きます


バンコクで、国際児童図書評議会アジア会議に出席の記
2017年5月22日 5月初旬、初冬のメルボルンから晩夏のバンコクに飛んだ。IBBY国際児童図書評議会アジア会議に出席するためだ。大会は三日間、その間アジア諸国や他の国からやって来た児童書関係者による研究発表、事例発表、ワークショップなどが行われる。私も、オーストラリアで過去17年間主宰してきた、日本語児童文庫の軌跡について話すべく、原稿を携えてやって来た。 出た時は雨のメルボルン 空港から出て電車に乗り、バンコク中心街の駅で降りた。駅からホテルまで2キロほど、スーツケースを引っ張って歩いた。初めてのバンコクだが、「懐かしい」光景が満ち溢れている。夜の10時というのに、狭い歩道に溢れるたくさんの人たち。裸電球の灯る小さなお店。その奥でミシンを踏む女性。路上の屋台。荷物をたくさん積んだ自転車を引く男。たくさんのオートバイ。60年代の日本のどこかの街中を歩いているような錯覚がする。インドネシア、マレーシア、インドでも、そんな既視感に襲われたことがある。 バンコクの街には、貧富の差も数多見受けられた。路地裏のゴミの間に蠢く人影。夜遅いのにそこらを走り回
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秋の味
2017年4月20日 クカバラ(ワライカケス)は、バーベキューのソーセージを盗む名人 秋の味と言うと、僕はいやしくも秋刀魚を一番に思い浮かべるが、オーストラリアでは秋刀魚は獲れない。が、輸入の冷凍物なら売っている。でも、高いから買わない。その貴重な冷凍秋刀魚を釣り仲間のK松さんが「到来物ですが」と、一袋くれた。だから、この週末あたり、家族が揃ったら景気良く炭火でじゅうじゅう焼いて食べようと思っている。 先週までは、復活祭イースターの秋休みだった。オーストラリア、メルボルンのこの辺りでは、イースターが来れば、夏が終わった、そろそろ秋だという季節だ。秋休みは、いつも僕がやっている子ども文庫のキャンプで、「どんぐり山」とみんなが呼んでいるUpper Yarra Reservoir Parkというところへ、二泊三日で出かける。もう10年くらい続けているキャンプで、始めた頃は息子がまだ3歳だった。息子は、このキャンプでは朝から晩まで焚き火で合法的に火遊びができ、キャンプ場のすぐ脇には綺麗な小川が流れていて、いつでも好きなだけ水遊びができたから、鼻血が出
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ドイツからオーストラリア、シーカヤック2万3000キロの旅
2017年3月27日 土曜日の夜、冒険カヤッカーのサンディ・ロブソンの講演に行ってきた。サンディ・ロブソンと言っても知らない人がほとんどだろうが、シーカヤックを漕いで、ドイツからオーストラリアまでの2万3千キロを5年半かけて旅した冒険家だ。オーストラリア、パース出身、48歳の小柄な女性である。 http://www.sandy-robson.com/Home_Page.html 僕が所属するビクトリア・シーカヤック・クラブでの講演会だったが、冒険について、じっくり話を聞くことができた。 サンディ・ロブソン ドイツからオーストラリアまで漕ぐということ自体脅威的な冒険だが、この旅はサンディ・ロブソンが初ではない。実はオスカー・スペックというドイツ人カヤッカーが1930年代に行っている。オスカー・スペックは、もっと長い5万キロを、7年かけて漕いでいる。おまけに、オーストラリアに着いた途端に第二次世界対戦が勃発し、敵国人として逮捕され、戦後までオーストラリアの捕虜収容所で過ごし、そのままオーストアリアに帰化したというおまけがつく。...
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あるジャズミュージシャンの死
ラリー・コリエルというジャズギタリストが73歳で亡くなったと、インターネット版朝日新聞「おくやみ」欄にあった。僕は、新聞の「おくやみ」欄には、どうしてから分からないが必ず目を通す。おかしな癖だ。 ラリーコエリル(若い頃) その癖、僕は直接知らない人の死には、それほど心を動かされないのだけど、ラリー・コリエルが死んだニュースにはちょっと動揺した。彼の音楽を若い時からちょくちょく聞いていたからに間違いないけど、動揺して、改めて彼の音楽に、昔どれほど心を動かされたことか久しぶりに 思い出した。 ジャズは好きじゃないし、よく分からん、というオーストラリア人にたまに会う。この間、駅で車を止めて学校から帰ってくる息子を待っていたら、同じように子供を待っている息子の同級生のお母さんが、「あら、ジャズを聴いているの?日本人ってジャズが好きなのよね。東京の喫茶店とかお店は、いつもジャズが流れているじゃないの?」と、褒められているのか何なのか分からないことを言われた。僕は、たまたま 車のオーディオで、ジム・ホール(ギター)とロン・カーター(ベース)のデュエットアルバ
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一人暮らしの夏休み
2017年 1月13日記 11月から12月の頭は、ここビクトリア州では大雨が降って、あちこち洪水になったり、大木がうちの裏庭に倒れたりして、本当に夏が来るんだろうかと思った。ところが、12月半ばからは、打って変わったような晴天続き、しかも気温はそれほど高くない、いわば理想の状態が続いている。 そんな陽気の12月20日、女房のチャコと息子の鈴吾郎を早朝空港に送って行った。二人は日本に一ヶ月里帰り帰国だ。朝8時過ぎの飛行機だから、4時半起床、 5時出発、空港6時時着。やれやれだ。カナダに留学中だった娘の鼓子も、明後日にはバンクーバーから東京入りし、我が家は僕以外、クリスマス、暮れ、正月と日本だ。僕は、帰国しようかどうしようかグズグズしていたら、年末になって飛行機の運賃も上がってしまい、メルボルンで猫タマと留守番になってしまった。 だから一ヶ月、1月20日まで一人暮らしの身になった。空港から帰る車の中では、喜びと寂しさが入り混じった不思議な感傷に襲われたが、すぐに喜びの方が大きくなった。 空港から戻ると、近所のRさん宅へ行く。Rさんには、小学生の息子が
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四国サイクリング旅行(その4) 12月1日 サイクリング5日
12月1日 サイクリング5日目: なぜ、私は足摺岬に向かったか? 四万十市中村から足摺岬、その西の竜串(たつくし)まで: 走行距離78キロ、 足摺岬でセルフィーする僕 朝5時半に、目覚まし時計の音で目覚めた。起きた瞬間、どこにいるのか分からなくて慌てるが、すぐ四万十市中村のビジネスホテルであることが判明して安堵する。毎日移動していると、こういうことがある。 目覚めたが、体が重たい。疲れがとれていない。昨日から痛くなってきたお尻も痛いし、太ももの筋肉もまだ腫れている。昨日上機嫌で四万十川沿いに100キロも走ってしまった報いだ。出発前メルボルンで走り込んできたから、自分が1日で走れる距離が100キロ程度というのは分かっていたが、毎日走り続けると、どれくらい疲れるかまでは分かっていなかった。 実は、出発前に主治医のマイケルにサイクリング旅行のことを相談した。自分もサイクリストであるマイケルは、「だーいじょうぶ、全然だいじょうぶ、100キロくらいは楽勝!」と僕の健康には太鼓判を押してくれた。彼はアスリート的な体格で、 日曜日に200キロ走っても、月曜日は
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メルボルン、シドニー往復2000キロのドライブ
2016年10月20日 春休み、メルボルンの自宅からシドニーの北側ナラビーンという町まで、片道930キロのドライブ旅行に行ってきた。これまで一日で走った最長距離は、南オーストラリアのモーガンからメルボルンまでの830キロなので、今回が自己最長記録となった。 シドニーへ行った訳は、息子の鈴吾郎(りんごろう、13歳)がサッカーのビクトリア州代表チームに入ったので、その観戦だ。こう書くとまるで「甲子園」に出たみたいだが、それほどではなくて、あくまで彼が所属している「教会リーグ」という地域リーグの中でのことで、オーストラリア中学生サッカーの最高峰ということではない。トーナメントは、全部で5日間の総当たり戦。ひとチーム毎日2、3試合を行う。今回出場は、南オーストラリア、ニューサウスウェールズ、クイーンズランド、そしてニュージーランドの各代表だ。 でも、一応州代表だから鈴吾郎の鼻息は荒い。そして、その鈴吾郎のサッカーを支えてきた母親チャコの鼻息も同じくらい荒くなった。だから、ちょっと遠いけどシドニーまで行ってみますか、ということになった。...
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オークランド、調布、そして宇都宮まで
2016年9月20日 オークランドの唐揚げ弁当 7月にインドでカレーやピザを食べ、クアラルンプールで北海道ラーメンを堪能した私は、8月の半ばには、ニュージーランド、オークランド中心街のフードコートで、トリ唐揚げ弁当などを食べているのだった。 ここではIBBY国際児童図書評議会という、絵本の世界会議に出席した。唐揚げ弁当を食べたのは、ある日の昼、急いでホテルに戻って自分の発表するポスターの仕上げをする必要があり、昼飯を食い損ねそうになって急いで近くのスタンドで買い求めたのだった。 世界的な学会に登場、壁新聞同様の私のポスター でも、これがなかなか当たりで、ご飯も暖かくておいしく(ごま塩がかかっていた)、唐揚げも揚げたて、その上ちゃんとみそ汁付き。今どきの日本の弁当屋よりも気が利いているかもしれない。難を言えば、唐揚げの下に敷いてあったレタスの量が恐ろしく多く、マヨネーズもなくて、食べるに往生したことだ。 ニュージーランドで、他に美味しかったのはビールだった。 IBBY大会に出席していた日本人で、元国会図書館に勤めていたM山さんというおじさんは、「て
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インド、マレーシアへ (インド、その2)
2016年9月12日 この七月から旅行づいているのか、インドにも行ったし、その途中でマレーシアのクアラルンプールにも寄った。その後メルボルンに戻って、二ヶ月たたないうちにニュージーランドのオークランドへ行き、その足で8月の日本に帰国した。日本ではM城さんという友人の好意で、彼の調布のマンションに滞在させてもらい、その間に宇都宮に行った。 (この項では、インドとマレーシアについて書く)。 インドのピザ インドで行ったのは、南部ケララ州のコーチンという港町だが、そこは香辛料の輸出で有名な場所で、今でも胡椒やターメリックや生姜や、あらゆる香辛料の問屋が港の通り沿いに軒を並べている。港には大きな船が出入りしている異国情緒あふれる場所だ。そんな所だから、オランダ、ポルトガル、イギリス風の町並みがまだ残っていて、ユダヤ人街まであるのだった。 コーチンには、二週間ばかりいたが、ほとんど一歩も町から出なかった。それでもちっとも退屈しなかった。僕は、13歳の息子リンゴロウと二人で、町のあっちに行って博物館を見たり、こっちへ行って場末の食堂で、旨いのかまずいのか分か
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インドで書いた俳句
2016年7月16日 先週まで10日間ほどインドに行ってきた。インドは初めてだ。行くさきは、南西部のケララ州コーチンという港町。ポルトガル、オランダの植民地色がまだ色濃く残る、香辛料の出荷地である。 なぜこんなところに行ったかと言うと、妻がオーストラリア人芸術家達8名程と、この地で制作を行うことになったからだ。それにくっついて行ったのである。こういう企画をArtist in residenceと言い、日本でもどこでも盛んになってきている。昨年は、これで南仏に行ったが、今年はインドである。 13歳の息子鈴吾郎(りんごろう)も一緒に旅した。13歳の男の子がインドにどんな反応を示すか興味があったのだが、鈴吾郎はインドの状況(貧困、人口密集、非衛生などなど)をいとも簡単に受け入れ、「ここは面白いところだね」と人や風物に興味を持ち、文句などひとこもと言わなかった。僕は感心する一方で、やや拍子抜けしたくらいだ。 さて、我々は、時にはオーストラリア人芸術家達と行動をともにしたり、時には、自分達だけでコーチンの町を歩いたりした。トゥクトゥクというオート三輪や自転
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スタマティスいわく、「タスター、人生は短いんだよ」
2016年6月15日 スタマティスが、またメルボルンへ来た 残り物のカレーの昼飯をパソコンの前で食べていたら、「ポン!」とメールが届いた。パソコンの前で昼飯を食べるなんて最低だが、家にいる僕とても、だらだら仕事の区切りがつかない時など、たまにこういうはめになる。 海は、いつも僕の心にある メールにはこうあった。「タスター(てつた=僕のこと)、おれだ、スタマティスだ。ルカに会いにメルボルンに来ているからこの番号に電話しろ。パムの家だ。」 スタマティスは、難読症(ディスレキシア)の持ち主で、そのせいか僕の名前の綴りがいくらTetsutaだと伝えても、Tasterと書いてくる。でも、確かにTasterと綴った方が日本語の「てつた」の発音に近いから、こちらに改めようかと思わなくもない。 そのスタマティスのことは前にもちょっと書いたが、もとはダンデノン山の住民で、ヨット乗りで、ものぐさで、女好きのギリシャ人である。ルカは今年20歳になる息子で、パムはルカの母親、別れた奥さんだ。ルカとパムは、メルボルンに住んでいるから、スタマティスは1年か2年に一度、ルカに
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パジャマの問題
2016年5月18日 ある女性からパジャマを頂いた。その女性は美しい人妻である。 「私があげたパジャマ、着てくれた?」 マケイラは、いくらか頬を赤らめながらそう僕に言った。彼女が着た薄紫のブラウスの裾が、風をはらんではためいた。場所は、モンバルク村のサッカークラブの練習場である。目前では、男の子たちが広い人工芝のフィールドを走り回っている。うちの息子の鈴吾郎やマケイラの息子たちも走っている。明るい光の射す、土曜日の朝だ。 モンバルクのサッカー場 「え? 君のくれたパジャマ?」僕は、一瞬何のことか分からず、うろたえた。そして、二秒後に思い出した。一昨日、僕の妻のチャコが、ややくたびれた、少し紫色がかった濃灰色のパジャマの上下を持ち帰ったのだ。 「これ、マケイラから預かってきたんだけど、君にだって」と、笑いを噛み殺しながら僕に手渡した。 「なんじゃこりゃ?」と僕。マケイラは息子の級友であるベンのお母さんである。どうして、マケイラが僕にお古のパジャマをくれるのか、まったく理由が分からない。 「どうして、マケイラが僕にパジャマなんかくれるの?」...
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