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Life about Melbourne and Ito
Tetsuta's Blog
メルボルン暮らし、伊東暮らし
豪メルボルン在住の筆者渡辺鉄太がメルボルンと静岡県伊東市の二股くらしについて書きます


メルボルン、シドニー往復2000キロのドライブ
2016年10月20日 春休み、メルボルンの自宅からシドニーの北側ナラビーンという町まで、片道930キロのドライブ旅行に行ってきた。これまで一日で走った最長距離は、南オーストラリアのモーガンからメルボルンまでの830キロなので、今回が自己最長記録となった。 シドニーへ行った訳は、息子の鈴吾郎(りんごろう、13歳)がサッカーのビクトリア州代表チームに入ったので、その観戦だ。こう書くとまるで「甲子園」に出たみたいだが、それほどではなくて、あくまで彼が所属している「教会リーグ」という地域リーグの中でのことで、オーストラリア中学生サッカーの最高峰ということではない。トーナメントは、全部で5日間の総当たり戦。ひとチーム毎日2、3試合を行う。今回出場は、南オーストラリア、ニューサウスウェールズ、クイーンズランド、そしてニュージーランドの各代表だ。 でも、一応州代表だから鈴吾郎の鼻息は荒い。そして、その鈴吾郎のサッカーを支えてきた母親チャコの鼻息も同じくらい荒くなった。だから、ちょっと遠いけどシドニーまで行ってみますか、ということになった。...
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オークランド、調布、そして宇都宮まで
2016年9月20日 オークランドの唐揚げ弁当 7月にインドでカレーやピザを食べ、クアラルンプールで北海道ラーメンを堪能した私は、8月の半ばには、ニュージーランド、オークランド中心街のフードコートで、トリ唐揚げ弁当などを食べているのだった。 ここではIBBY国際児童図書評議会という、絵本の世界会議に出席した。唐揚げ弁当を食べたのは、ある日の昼、急いでホテルに戻って自分の発表するポスターの仕上げをする必要があり、昼飯を食い損ねそうになって急いで近くのスタンドで買い求めたのだった。 世界的な学会に登場、壁新聞同様の私のポスター でも、これがなかなか当たりで、ご飯も暖かくておいしく(ごま塩がかかっていた)、唐揚げも揚げたて、その上ちゃんとみそ汁付き。今どきの日本の弁当屋よりも気が利いているかもしれない。難を言えば、唐揚げの下に敷いてあったレタスの量が恐ろしく多く、マヨネーズもなくて、食べるに往生したことだ。 ニュージーランドで、他に美味しかったのはビールだった。 IBBY大会に出席していた日本人で、元国会図書館に勤めていたM山さんというおじさんは、「て
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インド、マレーシアへ (インド、その2)
2016年9月12日 この七月から旅行づいているのか、インドにも行ったし、その途中でマレーシアのクアラルンプールにも寄った。その後メルボルンに戻って、二ヶ月たたないうちにニュージーランドのオークランドへ行き、その足で8月の日本に帰国した。日本ではM城さんという友人の好意で、彼の調布のマンションに滞在させてもらい、その間に宇都宮に行った。 (この項では、インドとマレーシアについて書く)。 インドのピザ インドで行ったのは、南部ケララ州のコーチンという港町だが、そこは香辛料の輸出で有名な場所で、今でも胡椒やターメリックや生姜や、あらゆる香辛料の問屋が港の通り沿いに軒を並べている。港には大きな船が出入りしている異国情緒あふれる場所だ。そんな所だから、オランダ、ポルトガル、イギリス風の町並みがまだ残っていて、ユダヤ人街まであるのだった。 コーチンには、二週間ばかりいたが、ほとんど一歩も町から出なかった。それでもちっとも退屈しなかった。僕は、13歳の息子リンゴロウと二人で、町のあっちに行って博物館を見たり、こっちへ行って場末の食堂で、旨いのかまずいのか分か
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インドで書いた俳句
2016年7月16日 先週まで10日間ほどインドに行ってきた。インドは初めてだ。行くさきは、南西部のケララ州コーチンという港町。ポルトガル、オランダの植民地色がまだ色濃く残る、香辛料の出荷地である。 なぜこんなところに行ったかと言うと、妻がオーストラリア人芸術家達8名程と、この地で制作を行うことになったからだ。それにくっついて行ったのである。こういう企画をArtist in residenceと言い、日本でもどこでも盛んになってきている。昨年は、これで南仏に行ったが、今年はインドである。 13歳の息子鈴吾郎(りんごろう)も一緒に旅した。13歳の男の子がインドにどんな反応を示すか興味があったのだが、鈴吾郎はインドの状況(貧困、人口密集、非衛生などなど)をいとも簡単に受け入れ、「ここは面白いところだね」と人や風物に興味を持ち、文句などひとこもと言わなかった。僕は感心する一方で、やや拍子抜けしたくらいだ。 さて、我々は、時にはオーストラリア人芸術家達と行動をともにしたり、時には、自分達だけでコーチンの町を歩いたりした。トゥクトゥクというオート三輪や自転
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スタマティスいわく、「タスター、人生は短いんだよ」
2016年6月15日 スタマティスが、またメルボルンへ来た 残り物のカレーの昼飯をパソコンの前で食べていたら、「ポン!」とメールが届いた。パソコンの前で昼飯を食べるなんて最低だが、家にいる僕とても、だらだら仕事の区切りがつかない時など、たまにこういうはめになる。 海は、いつも僕の心にある メールにはこうあった。「タスター(てつた=僕のこと)、おれだ、スタマティスだ。ルカに会いにメルボルンに来ているからこの番号に電話しろ。パムの家だ。」 スタマティスは、難読症(ディスレキシア)の持ち主で、そのせいか僕の名前の綴りがいくらTetsutaだと伝えても、Tasterと書いてくる。でも、確かにTasterと綴った方が日本語の「てつた」の発音に近いから、こちらに改めようかと思わなくもない。 そのスタマティスのことは前にもちょっと書いたが、もとはダンデノン山の住民で、ヨット乗りで、ものぐさで、女好きのギリシャ人である。ルカは今年20歳になる息子で、パムはルカの母親、別れた奥さんだ。ルカとパムは、メルボルンに住んでいるから、スタマティスは1年か2年に一度、ルカに
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パジャマの問題
2016年5月18日 ある女性からパジャマを頂いた。その女性は美しい人妻である。 「私があげたパジャマ、着てくれた?」 マケイラは、いくらか頬を赤らめながらそう僕に言った。彼女が着た薄紫のブラウスの裾が、風をはらんではためいた。場所は、モンバルク村のサッカークラブの練習場である。目前では、男の子たちが広い人工芝のフィールドを走り回っている。うちの息子の鈴吾郎やマケイラの息子たちも走っている。明るい光の射す、土曜日の朝だ。 モンバルクのサッカー場 「え? 君のくれたパジャマ?」僕は、一瞬何のことか分からず、うろたえた。そして、二秒後に思い出した。一昨日、僕の妻のチャコが、ややくたびれた、少し紫色がかった濃灰色のパジャマの上下を持ち帰ったのだ。 「これ、マケイラから預かってきたんだけど、君にだって」と、笑いを噛み殺しながら僕に手渡した。 「なんじゃこりゃ?」と僕。マケイラは息子の級友であるベンのお母さんである。どうして、マケイラが僕にお古のパジャマをくれるのか、まったく理由が分からない。 「どうして、マケイラが僕にパジャマなんかくれるの?」...
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モンバルクの栗拾いと、バルークのキウイもぎ
2016年4月29日 過日、栗拾いに行った。モンバルクの友人宅である。ここへは毎年寄らせてもらっているが、住民であるララと夫のサージは年配で、悪い事に、ララは今年になってから膝も痛めている。だから、もう栗拾いをしないので、「いくらでもとってね」と言う。全く贅沢な話だ。 ララとサージの家の敷地は5エーカーはあるだろうか。モンバルク村を見下ろす山の斜面にあり、ウォーバートンの山を遠くに眺める日当りの良い斜面に果樹がたくさん植わっている。キウイ、レモン、フィジョア、リンゴ、梨、日本のミカンや柿の木もある。 この家の栗の木は、戦後に移ってきたイタリア系移民が植えたそうだから、もう樹齢50年以上だろうか、見上げるような大木だ。だが、イタリア移民の一世の多くはもうこの世を去り、生きていてももう高齢だから、栗拾いはできない。二世や三世は栗なんか食べない。だから、こうやって日本人の僕たちが21世紀になって、拾って食べているわけだ。 バケツ一杯の栗 今年は、日本からメルボルン駐在でやってきているご家族と、うちの近所のもう一家族を誘って、三家族で拾った。それでも採り
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自転車でどこへ行こうか?
2016年4月18日 僕の古い自転車ブリジストン・ダイヤモンド号を直したから、そのことをFacebookに載せた。そうしたら、中学校時代の旧友F君が、ずっと所蔵していた、これも同じくブリジストン・ダイヤモンド号を昨年レストアしたと言って写真をアップして見せてくれた。F君のダイヤモンド号もピカピカだったが、似た様なことを考えるもんだと、全く驚いた。この間書いた、輪友トノムラ君もコメントをくれたが、彼のダイヤモンド号はずっと昔にお釈迦になったそうだ。当然だよな、40年も前の自転車だもの。でも、そのうちまた一緒にサイクリングしようということになったので、Facebookも効用があるのだと嬉しくなった。 サイクリングロードにて さて、直した自転車でどこへ行こうかと考えつつ、同時に、この間から自転車に関する本をいろいろと読んでいる。今読んでいるのは、米国のDon Pettersonの書いたThe Old Man on Bicycleという本だ。彼は、元外交官なのだが、定年退職後の72歳のとき、突然思い立って、北米大陸の東海岸ニューハンプシャーから西海岸サン
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古い自転車のレストア整備
2016年3月26日 今年初頭、Luigi’s Freedom Rideという自転車がテーマの小説を読んでうれしくなり、高校生のときから乗っている古い自転車をレストアすることにした。そのことは、この間書いたが、いっときは、もうこんな古い自転車なんか直すのよそうと思った。でも、この小説の主人公の自転車に対する愛情に感動してモチベーションがぐんと上がり、「古いものは大事にしよう!」と思い直した。 きれいになった古い自転車 それから一ヶ月以上、暇さえあれば自転車の整備。一番苦労したのは、錆び落としかもしれない。錆を落とすには、コンパウンドと呼ばれる研磨剤が最も強力である。これを付けたスチールウールでこする。これに勝るものは無い。レモン汁や酢につける、コカコーラに浸けるとかの方法もある(コカコーラは、もう一生飲まないことに決めた)。だが、それでも落ちない錆もある。そういうのは、もうトタン屋根の補修に使う銀色の塗料を塗ってしまった。 コロンブスの卵である。そうすると、一寸見ただけでは新品に見えてしまうくらいきれいになった。(やや誇張気味。) 塗ってしまった
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1月26日オーストラリアデイは「ギョーザの日」
2016年1月31日 オーストラリアでは、1月26日は「オーストラリアデイ」という祝日、建国記念日のような日である。これが1月最後の週末なので、振替休日がくっついてロングウィークエンドになったり、飛び石連休になったりする。この日が終われば、子ども達の夏休みも終わりで、翌日辺りから学校がはじまる。だからこの週末は、「最後だから、うんと楽しもうぜ」という雰囲気だ。 夏なのに、雨が多くて寒い。 オーストラリアデイの起源は、そもそも1788年1月26日に、イギリスからアーサー・フィリップ総督を乗せた船がシドニー湾に到着し、その旗を立てた日ということである。これが、現在のオーストラリアという国家の始まりということになっている。 もちろん、こういう日をこの国の起源にすることに異議がある人は山ほどいる。大体オーストラリアは、イギリスの流刑地としての植民地で始まった訳であるから、アメリカみたいに、イギリスと袂を分かった人たちが、理想の土地を求めてやってきて住み始めたのとは訳が違う。大体、流刑地だったなんて、かっこう悪過ぎる。 それに、オーストラリアに元々住んでい
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Where are we now? 今どこにいるのだっけ?
2016年1月15日 暮れと正月に日本に行っていた。ほとんどは東京武蔵野市の妻の実家に居たのだが、クリスマス前に2泊3日で息子と伊豆大島に行った。 大島は二人とも初めてだった。 13歳の息子鈴吾郎は、オーストラリアから日本に来ると、朝から晩までテレビを見ているか、吉祥寺などの盛り場で小遣いを全部使ってしまうかなので、少しでもそういう環境から引き離すために大島に行ったわけだ。 ただ、それは建前で、僕が東京にあまりいたくなかったから、三日間だけでもどこかへ行こうと考えた。息子は、ちょうど良い口実だった。僕は、せっかく東京に帰ってきても、東京にはあまりいたくない。用事が終わると、どこかへ行くか、メルボルンへ帰って来たくなる。東京がそんなに嫌いな訳でもないのだが、長くはいられないのだ。 テレビや買物が好きな鈴吾郎も、父親と釣り旅行に行くのは嫌ではない。だから、武蔵野の家をリュックサックを背負って出た二人の足取りは軽かった。 中央線を神田で降り、釣具屋で新しい磯釣り竿を奮発する。僕たちは、二人連れの浦島太郎のように意気揚々と竹芝桟橋に向かった。...
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神様がくれた「38平方メートル」
2015年12月 暦を一枚めくって、2015年も12月になった。師走。 さて、前回のブログにベランダを作る為、土台を埋める穴を掘っていることを書いた。そのベランダが完成した。土台の穴を掘り始めてから二ヶ月。本職の大工なら二週間くらいで仕上げる仕事だろうから、その何倍も時間がかかったことになる。 作る上で、どこが一番大変だったかと聞かれても分からない。穴掘りだったかもしれないし、合計410メートル長のデッキ板に、等間隔に穴を開け、そこに5センチのネジを埋め込んでいく作業だったかもしれない。ネジは合計で1300本埋め込んだ。 実はもっとゆっくり仕上げたかったのだが、11月中旬、娘の鼓子(ここ)に期限を付けられた。「パパ、私の二十一歳の誕生パーティーに間に合わせてね。」鼓子は12月18日に二十一歳になる。二十一歳になると、オーストラリアでは成人になったとことを祝う習慣がある。そのときは、友達や親類を呼んで大いに賑やかにやる。(現在、法的な成人は18歳であるが)。 僕は絶句した。「えっ! そんな、間に合わないかもよ」。すると鼓子が言った。「間に合わないな
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