オジサン二人のとびしま海道&しまなみ海道サイクリング紀行
- 鉄太 渡辺
- 12 minutes ago
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旅行というのは本質的には空気を吸い込むことだと僕はそのとき思った。
村上春樹『雨天炎天―ギリシャ・トルコ紀行』より

第一回: 1日目、呉から大崎下島の御手洗まで50キロ
「にわかハルキスト」としてのサイクリストT村
私ことT太と、輪友T村の今回のサイクリング旅行は、広島と愛媛の間に連なる瀬戸内の安芸とびしま海道(以下とびしま海道)と、しまなみ海道を一挙に三泊四日で走り抜こうという目論見だ。
しまなみ海道は、私は7年前の四国半周サイクリングの時に一人で走っている。しまなみ海道は四国の今治と本州の尾道の間の九つの島々を十の橋で連結した観光道路であり、橋には自転車と歩行者用の側道が整備されている(新尾道大橋だけは自動車専用)。「サイクリストの聖地」などと喧伝され、ここを訪れる人は多い。確かに、青い海にいくつもの島が浮かび、その間を美しい橋が連なる景色は素晴らしいのだが、安易に聖地などという言葉を使うのは、私には空々しい気がする。どうして、行政というのは、こういう安っぽい形容詞を使いたがるのか。
一方、隣のとびしま海道であるが、こちらは広島県の呉の先から、七つの島を七つの橋で連結した道路だ。こちらの方は岡村島からは橋が途切れており、その先の大崎上島や大三島へは船でないと渡れない。やや地味なコースであり、自転車用の側道もそれほどには整備されていなく、しまなみ海道に比べれば訪れる人は少ない。しかし、年季の入った我々のようなサイクリストには、人通りの少ない方が得てして面白く感じられるものだ。詩人ロバート・フロストも言っているように、「私は、人があまり通らない方の道を選んだ。そのことで、大きな違いが生じたのだった。」
だから、私としてはとびしま海道だけを走っても良かったのだが、T村はしまなみ海道を走ったことがなかったから、「じゃあ、しまなみ海道も一緒に走っちゃおう」となった。
そして、12月の二週目のある日、我々は翌朝6時台の飛行機で広島に飛ぶために、羽田近く、蒲田のビジホに前泊した。T村と落ち合うのは、今年2025年7月初旬に奥出雲を走って以来だ。夜7時半、仕事を終えたT村が愛車のミニで新宿の職場から駆けつけた。早速ホテル近くの中華屋で晩飯を食べながら予定の確認を行った。
食後、小瓶一本のビールに酔ったT村が最近の関心事について話し始めた。
「自転車はさておき、実はオレ、最近村上春樹に凝っちゃってさぁ、いろいろ読んでいるわけよ。お前が推薦してくれた『騎士団長殺し』が案外面白くてね、それでハマっちゃったわけなの!『走ることについて語るときに僕の語ること』なんかも読みまして、他にも短編集なんかを読みまくってるのよ。村上春樹の小説のフィーリングって、すごくオレにぴったりな気がするのよねぇ。だから、オレのこと『にわかハルキスト』って呼んでちょうだい、ガハハハ」とT村は豪語した。

それにしてもマイブームの多い男だ。T村が柄にもなく茶道をたしなんでいることは前にも書いたが、クラシック音楽、建築、歴史、古墳や遺跡、絵画など、多岐に渡ってこの男は広く浅い知識を有している。そして今度は、ハルキストと言うから恐れ入る。
だが、村上春樹を推薦したのは私だから、責任の一端は私にある。私は滅多に人に本を勧めないが、『騎士団長殺し』だけは2、3の友人に推薦した。物語の舞台が小田原と伊豆高原で、私はこれらの場所に深い思い入れがある。そんなで、小田原や伊豆に縁のありそうな知人には、『騎士団長殺し』を勧めたのだった。
実は私、自慢じゃないが村上作品はほとんど全部読んでいる。だからと言って、ハルキストと名乗るほど傾倒している訳でもないし、それほど作品に詳しくもない。誰かの小説を読み始めると、手当たり次第読み漁る癖があるだけだ。かたや、本当のハルキストというのは全ての作品に精通し、その思想に傾倒し、それでも足りなければマラソンを走ってTシャツを収集したりして、村上氏のライフスタイルまで真似るような人のことだろう。私はそんなタイプではない。ところがT村は、2、3冊読んだだけで自称「にわかハルキスト」なのだから、本ちゃんのハルキストが聞いたら笑い飛ばされるだろう。全く怖いもの知らずである。
呉から、とびしま海道の岡村島まで
さて、にわかハルキストのT村と私T太は、眠い目をこすりつつも6時45分発広島行きJAL便に乗り、予定通り8時20分には広島空港にタッチダウンした。そのままバスでJ R呉駅まで行き、駅前で自転車を組み立て、10時半には走り出した。天気は快晴だ。
私は、初めて訪れた呉市の国道を走りながら、村上春樹の文学について思いを馳せていた。氏の作品の特徴を一つ取り上げるならば、物事というのは、自然と、なるべく方向へと流れていくことを描いていることかもしれない。生きていると思いもよらぬ出来事に遭遇することがある。しかし、後でその状況を分析してみると、どんな出来事にも必然の流れがあったことが分かるものだ。例えば、自転車で走っていて、小石を踏んづけて転びそうになることがある。これは決して偶然ではない。スローモーションで再生すれば、そこには何かの流れがあって私は小石を踏んづけているのだ。村上は、そういう人生に起こりうる出来事を、色々な比喩を使って描いている。井戸の奥底で不思議な鈴の音が聞こえたり、絵に描かれた人物が人を殺したり、地下に棲む巨大なカエルくんがミミズのお化けと戦って東京都を救ったりなど荒唐無稽な出来事が起きるが、不思議とそれがリアルに描かれている。そこが村上文学の面白いところで、私たち読者の日常にもそんな不思議なことが起きそうだと信じこませてしまい、読者はその世界に引き込まれていくのだ。

私とT村の旅でも思いもよらぬことが時たま起きる。しかし、村上文学と同様、後から考えれば、それは起こるべくして起きるのだ。T村の背中を見ながら呉の国道を走りつつ、今回もきっと何かが起こるであろうという予感がした。
昼飯は、農協でカップラーメンを食べたこと
そして、それはやはり起きた。その先で、予定では昼飯を食べるはずだった食堂がやっていなくて、農協でカップラーメンを食べる羽目になったのだ。T村と一緒にいると、一度は必ずそういう目に遭う。なぜか営業しているはずの食堂やカフェがその日に限ってやっていない。わざわざ何キロも回り道して訪れた美術館や文学館が休業していることもあった。これは決して偶然ではない。むしろ、T村の「うっかり力」が作用しているとしか私には思えない。
この日の状況を説明しよう。私たちは、呉からトラックやバスや自動車に脅かされつつも国道を15キロほど走り、とびしま海道に至る安芸灘大橋を渡った。それは堂々たる大きな長い吊り橋だった。私たちは写真を撮ったり、橋桁を見上げたりして、幼子のように興奮した。

その安芸灘大橋を渡ると、そこは下蒲刈島(しもかまがりじま)だ。渡った途端に交通量は激減し、まさにここがサイクリストの聖地である気がしてきた。少し走ると三之瀬の集落だ。言うまでもないが瀬戸内の島々はミカンの産地である。しかも12月はとり入れの時期だ。私たちは、大量のミカンが無人販売所で売られているのに遭遇した。しかも安い。こういう光景に出会ったら、誰だってミカンを食べたくなるだろう。そこで私は200円の袋を買った。中くらいのミカンが5、6個入っている。ミカンは重いが、これくらいすぐに食べてしまうだろう。

私とT村は、そのみずみずしいミカンを海を見ながら一つずつ食べた。皮をむくと、強烈な甘酸っぱい香りがたちこめた。私は、ああ瀬戸内に来たんだなあ、という感慨で胸がいっぱいになった。
先へ進む。山肌のそこら中がミカン畑だ。ミカンを売っているスタンドも五百メートルおきくらいにあり、コーラの自動販売機よりもたくさんある。ミカン、ミカン、ミカンだ。

さて、もう昼だからお腹が空いてきた。「昼はどこで食べる?腹減ったぞ」と私はT村に言った。昼飯を食べる場所を探すとか、そういう渉外的な役目はT村の仕事になっている。
「はいはい、ちゃーんとその点は考えてありまーす。この先に、ハナミズキっていうステキな和食の店があるから、そこで食べましょう!」と、観光ガイドT村は張り切って答えた。
そこで私たちは、空腹を抱えながらも粛々と数キロ走った。途中に「であいの館」という道の駅があった。そこではたくさんの地元民が美味しそうなものを食べていた。ここは崖上にあって景色も絶景だ。私は空腹に耐えかねて、「ねえ、ここで食べてもいいんじゃないの?」と言った。だがT村は、「いいえ、ハナミズキの和食の方が良さそうだから、そっちにしましょう」と無慈悲に答えた。
そこでさらに1、2キロ行くと、確かにハナミズキはあった。ところが「本日休業日」という札がかかっていた。
「なんだ、休みだぜ。運が悪いなあ」と、私は耐え難きを耐えつつ平静心を装った。でも実は、「ほら、また休業だ、奄美大島や五島列島で何度この憂き目にあったか覚えてないのか?」と怒鳴りそうになったが、懸命にも黙っていた。
T村も、「ガーン!おかしいなあ、休みのはずがないのに。ほら、Googleマップには開いているって書いてあるよ」とショックを隠せない。
「じゃあ、どうするよ?さっきの道の駅に戻ろうか?」と私。
「いや、先に進もう。きっとこの先に食堂の一つや二つはあるよ」とT村は言う。T村は、いつだって戻るのが嫌いなのだ。前生はカンガルーかトンボだったのだろう。
そこからしばらく走ったが、その先に店はもうなかった。いや、あるにはあったが、どこも開いていなかった。こういうところでは、店はあっても開いていないことが多い。大浦という集落にたどり着くと、開いていたのは農協のスーパーだけだった。私たちは、もはや食べられるものであれば何でもいいという気持ちになっていたから、迷わずここに入った。
そこには割烹着を着たおばさんと農協のユニフォームを着たおじさんがいた。おじさんは、私たちの顔を見るとすぐさま言った。
「ごめんねえ、今日はもうお弁当とかサンドイッチは全部売り切れちゃったんだよ。」
「うへー、困ったなあ。じゃあ、このあんドーナッツでも食べるか?」と、T村は泣き声をあげた。
「うん、仕方がない。あんドーナッツとカップ麺だ」と私は言った。
「すみませんけど、お湯もらえます?」とT村が尋ねたが、ここは農協だから、コンビニみたいに店先にお湯のポットはないのだった。でも、割烹着のおばさんは、「すぐに奥で沸かせるから大丈夫よ」と言い、おじさんを奥に走らせた。お湯はすぐに沸いた。この人たちはとても親切なのだ。
私たちは外に出ると、道端であんドーナッツとカップ麺をむさぼるように食べた。お腹が空いていたから、そんな物でも美味しかった。
私たちが満足して、あたりの写真などを撮っていると、さっきとは別の農協のおじさんが現れた。何か重そうなビニール袋を手に持っている。
「あんたらは、どこからきちゃったん?」
私は、「きちゃったん?」とはケッタイな疑問文だと思ったが、ここが広島県であることをとっさに思い出して答えた。
「えーっと、横浜と静岡です」と私は答えた。
「じゃあ、このミカンを持って行きんさい。これは売り物にならないじゃけ、気にせず食べてくんさい」と、おじさんはミカンが20個くらい入ったビニール袋を私に手渡した。私は「さっきミカンを買ったばかりなので…」と言いかけたが、島民のせっかくの厚意を無駄にしていはいけないと、ありがたくその重たい袋をもらった。
そんなで、私は先に買ったミカンと、さらに農協でもらったミカンを自転車にくくりつけて坂を登る羽目になった。でもその重みは島民の厚意の重みなのだから、不平は言うまいと心に決めた。

御手洗の喫茶店で、T村がおばさんをおだてて、またミカンをもらったこと
私たちは大浦を出て、橋をもういくつか渡り、島々や遠くにけぶる四国山地を眺めがなら海岸線を走った。自動車もたまにしか来ないし、こんなに快適なサイクリングがあろうかというばかりだ。豊島を走り抜け、大崎下島に入った頃には、冬の陽は落ちて薄暗くなってきた。
やがて本日の宿泊地である御手洗(みたらい)に到達した。ここは歴史的建物の保存地域で、建築好きのT村としては、じっくり見たい場所だ。私たちは狭い路地を出たり入ったりして、木造の和風の建築物や長屋や、昭和初期の洋風家屋などを仔細に見学した。
美しい街並みではあるが、薄暗い町は急激に冷えてくる。私は、「暖かいコーヒーを飲みたいよ」と訴えた。見れば、海に面した古い長屋の一軒がカフェだ。中をのぞいていると、年配の女性が出てきた。「まだ開いてますかね?」とT村が尋ねると、「もうじき閉めるみたいだけど、あたしが聞いてあげるよ」と、その女性は中に尋ねてくれた。「まだコーヒーはできるってさ。どうぞ」と言うと、彼女は私たちと一緒にまた店に入ってきた。
その女性は暇だったようで、カウンターの私たちの隣に腰を下ろした。かなりのお年だが、可愛いい赤いセーターを着ている。ここでT村は、毎度のことだが、言わなくてもいいことを言った。「ひょっとしてあなたは、元ミス御手洗では?」
「あんたー、そんげなこと言ってぇ嫌じゃけん。恥ずかしいから、やっぱもう帰るわ」と、元ミス御手洗は、恥ずかしそうに顔をしかめて店を出て行った。
「何か、悪いこと言っちゃったかな?」と、T村。
「大丈夫ですよ、私の幼な馴染で毎日来るんです」と店の女性が言う。この人はどこか上品な感じの人だ。店は渋い古民家でレコードプレーヤーからはローリングストーンズが流れる。とても居心地が良い。
私たちはカウンター越しにこの人と話した。
「私たちは、とびしま海道としまなみ海道を自転車で走りに来たんです。今日はその初日です」とT村。
「ここは、たくさんサイクリストの人が来るんですけどね、とびしまは、広島弁で言うと『いたし』くて、向こうの、しまなみ海道は『みやすい』んです。いたしいは大変という意味で、みやすいは楽っていう意味なんです」と彼女。
「どうして、とびしま海道がいたしいんですか?」とT村。
「とびしまは、自転車専用の道もないし、坂も急だし、標識だって分かりにくいでしょ。一方、しまなみの方は、自転車専用の道があるじゃないですか。だから道にも迷わないし、坂だって急じゃないし」と店の女性。
「私は、とびしまみたいな方が面白いと思うんだけどな」と私。
「まあ、どっちが好きかは、お好み次第ですよね」と女性。

それから私は、さっきから気になっていたことを尋ねた。どうもこの集落を映画の中で見た気がしていたのだ。
「ひょっとして、ここは『ドライブマイカー』っていう映画の撮影場所じゃないですか?村上春樹原作の?」
すると、「そうなんですよ、実はこの長屋が舞台なんです。この二軒隣が、主人公が宿泊する宿屋なんです」と彼女は答えた。T村はこのやりとりを聞いて絶句した。にわかハルキスの彼は、そうとは知らずに村上春樹原作の映画の舞台に来ていたのだから。
「うっそー、これってすごくない?偶然にしては出来過ぎだよ」とT村。
「本当だよな。にわかハルキストにはぜいたくな体験だよ。お前『ドライブマイカー』って観たことあるか?原作は『女のいない男たち』っていう短編集に入っているぜ」と私。
「いや、まだ観てないんだ。帰ったらすぐに観るぞ」とハルキストT村は大張り切りだ。
そう話していたら、さっきの元ミス御手洗がカフェに戻ってきた。何か重そうなビニール袋を下げている。私は嫌な予感がした。
彼女は、その袋をT村に渡しながら言った。「あんたに、ミス御手洗って言われて、ぶちうれしかったじゃけん、これあげるわ」思った通り、その袋にはミカンがたくさん入っていた。
「ヒョエー、あ、ありがとうございます!」とT村は受け取った。私たちは、またもや開いた口が閉まらなかった。一日に二度も、見知らぬ人から大量のミカンをもらうとは!
もちろんこれは好意なのだから、受け取らないわけにはいかない。でも、私から見れば、T村がうっかり口を滑らしたことに対するリベンジとも取れる。言ってみれば自業自得だ。もしかしたらこの島の人たち、余剰のミカンをどうにかして処分しようと鵜の目鷹の目で機会を伺っているんじゃないか。あれだけミカン畑があって、あれだけの無人販売所があるのだから、余剰ミカンの量は半端じゃないはずだ。だから、私たちのようなカモを見つけると、すぐさまミカンを手渡すのだ。その証拠に、後で気がついたがこの辺りの人たちは、男も女も老いも若きも出かける時はみんなミカンの入った袋を下げて歩いているのだ。そして、会う人会う人に、「ミカンいらない?」と聞いてまわっている。もちろん賢い地元人は滅多なことでは、ミカンを受け取らない。言ってみれば、これは「ミカン渡し」と言うゲームだ。御手洗の公民館の前には、「みかんメッセージ館」と看板があったが、きっとこの中で、盛大な「みかんゲーム」の戦いが繰り広げられているのだ。もし、レヴィ・ストロースのような人類学者が今ここにいたら、「瀬戸内におけるミカンの『やりもらい』に関する一考察」という論文を書いただろう。

私とT村は大量のミカンを抱え、今夜の宿に向かった。こともあろうに我々の泊まる民宿は「オレンジハウス」という名前だった。またもや出来すぎだと思ったが、これも至極当然の流れであり、偶然などではない。だって、ここはミカンの島なのだから。
さて、大量のミカンを我々がどのように処分したか、それはまた次回に書く。
(二日目に続く)




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