三匹のおじさん、五島列島、長崎、天草を走る: T太、T村、ギャリさんのサイクリング旅行 (その3、三日目と四日目)
- 鉄太 渡辺
- Nov 9, 2024
- 12 min read
2024/11/09
追つかけて追い付いた風の中
尾崎放哉
しぐれて人が海を見てゐる
種田山頭火

若松島から奈留島、福江島へアイランドホッピング
五島列島に上陸した二日目、天気も上々だが、本日の走行距離は20キロそこそこの予定だ。若松島をちょこっと10数キロ周り、中通島に戻って奈良尾という集落の港まで走るのが10キロ。そこからフェリーに乗って奈留島を経て福江島に行き、そこのホテルにチェックインという予定だ。
中年おじさん三人組の旅といえども、これはいささか楽勝すぎる距離だ。しかし、これには理由がある。ひとつは午後のフェリーに乗り遅れたら大変だから午前中の予定を最小限にしたという理由と、もう一つは、我々よりも10歳年上で日本の道路を初めて走るギャリさんに無理をさせたくないという配慮だ。
そんなことなので、我々は橋口旅館の伝統的日本の朝ごはん(ご飯、納豆、アジの干物、もずく、生卵、味噌汁など)をゆっくりと食べてから、のんびりと旅支度をした。出発準備ができると旅館の前で記念撮影。ちょっと恥ずかしがり屋な宿のおかみさんも玄関口に出てきて、お別れの挨拶をしつつおしゃべりをするが、こういうおしゃべりがT村は大好きなのだ。

「今日はお天気も良いし、仲良し三人でサイクリング旅行なんて素敵ですね!」と橋口旅館の女将。
「そうなんすよ。こいつ(T太のことを指差す)とは中学時代から一緒に走っているので、もう50年になりますわ。ガハハハ」
「わぁー、ステキ!幼馴染なんですね。」
「こいつとは腐れ縁というか、いろいろあるんですが、まあ、親友といっていいでしょうなあ。ワハハ、ワハハ。それはそうと、女将さんは五島のご出身ですか?」
「はい、生まれも育ちも五島です。主人も五島で、私はここに嫁入りしたんですけど、私たちで三代目なんです。」
「ほー、三代目とは!(T村、大げさに驚いてみせる)それは、さぞ由緒ある旅館なんでしょうなあ。」
「いえいえ、由緒なんてちっとも。でも、主人は横浜で割烹の修行をしたので、料理だけは自慢なんです。だから私も、横浜では主人と一緒に暮らしていたんです。」
「えっ、横浜?実は、私も横浜なんですよ!横浜の一体どこで修行をなさったのかな?」
「港北区です。」
「え、港北区?(また大げさに驚いてみせるT村)私は、その隣の緑区なんですよ。いやあ、こいつは奇遇だ、こんな奇遇なことは滅多にありませんな。ワハハ、ワハハ」
とまあ、こんな会話をT村は15分ほど続けたが、営業マンとは恐るべき人種である。このようなほとんど内容のない会話を延々と続けられるのだからすごい。私ならば5分で終わってしまう。

私たちは、この可愛らしい女将さんの作ってくれたおにぎりを持って、若松を出発した。おにぎりを作ってもらったのは、この島にはあまり食事をする場所がないからだ。だが、行先はこのごく近所である。車もほとんど来ない海岸沿いの道を口笛吹きながら私たちは、のんびり走る。入り組んだ入江の間を、道路はうねうねと走って行き、曲がるたびに小さな集落があり、カトリック教会の尖塔が見え隠れする。私は、旅の直前に遠藤周作著『沈黙』を読んでちゃんと予習してきたので、「ああ、こんなところにも昔は隠れキリシタンの人たちがいたんだな。心の深いところに信仰を抱えながら、踏み絵を踏まされたりして弾圧に耐えながらも生き延びてきたんだな」と深い感慨に浸ることができた。

と私が、そんな深い思考に浸りながら走っていると、突然ギャリさんが急停車した。そこには、どこにでもあるようなコーラの自動販売機がポツンと立っている。そこでギャリさん曰く、
「この前で記念撮影をしたい。」
「なんで?」
「自動販売機が珍しいからだ。オーストラリアにはこんな場所にポツンと自動販売機が置かれていることはまずない。こんな人里離れたところにあったら、すぐに破壊されて、中身を盗まれるだろう。」
「日本じゃ、そういうことをする人は、あまりいないなあ」
「どうして、日本では誰も自動販売機を壊さないのか?」
「さあ、どうしてだろうねえ?よく分からないけど、誰も壊したりしないなあ。だって、これを壊すのは大変そうだよ。丈夫にできているから。」
こんな会話を私たちはひとしきり道端で取り交わし、コーラの販売機の撮影をした。外国人と一緒に旅すると、普段は見慣れた光景でも、新たな視点で眺められて面白い。

奈良尾からフェリーに乗って福江島へ
私たちは10キロの道のりをすいすい飛ばし、すぐに奈良尾に着いた。フェリーに乗り遅れるどころか、2時間ほど福江行きフェリーを待たなければならない。とりあえず橋口旅館の女将さんが作ってくれたお握りを食べたが、食べてしまうともうすることもなくなった。おじさんたちはコーヒーを飲みたくなって奈良尾の町まで戻ってあちこち探したが、コンビニはおろか、喫茶店も何もなかった。開いている店自体がほとんど見当たらず、人っこ一人いない。仕方がないのでフェリーのターミナルに戻ったが、ギャリさんはすることがないので、椅子の上でゴロリと横になって寝息をたて始めた。T村は愛用のiPadを取り出し、今後の予定をいろいろ検討し始めた。私は、どうしてもコーヒーが飲みたいので、売店で仕方なく缶コーヒーを買った。そういえば、2年前に奄美大島を走った時も、何もない大和村というところで民宿で握ってもらったおむすびを食べた日があったのだが、その日もコーヒーを飲める場所がなくて、缶コーヒーを飲んだことを思い出した。この時私の中で、「旅館で握ってもらったおにぎりを食べると、その日は缶コーヒーを飲むことになる」というジンクスが生まれた。
ギャリさんは寝ているし、T村はiPadで何かをしているし、缶コーヒーを飲んでいる私は退屈なので、売店の女性に話しかけてみた。40歳くらいの、元ヤンキー風の茶髪女性である。時には私だって、T村のように女性にちょっかいを出すことがあるのだ。しかし、それは私が余程退屈しているからであって、T村のように、滅多やたらに声がけをするのではない。私は、年増の茶髪ヤンキーにこう話しかけた。
「この海を見ながら、淹れたてのコーヒーを飲めたら、最高なんだけどなあ。」(T村はおバカだから、「君と二人で」などと言ったかもしれないが、私は絶対にそんなことは言わない。)
すると、この茶髪元ヤンキーは、
「私たちだって、本当はここでコーヒーを出したり、そういうことをしてみたいんですよ。でも、なかなかそうはいかなくて…」と、憂いを含んだ声で答えた。
「そうですか…。今度来るときは、ぜひここで美味しいコーヒーを飲んでみたいものですねぇ…」と、私は遠くの海を見ながら答えた。そして、いくばくかの余韻を残してその場を去った。きっとT村なら、「今度来るときは、あなたが淹れた美味しいコーヒーを飲みたいなぁ、うふふ」などとニヤニヤ笑いながら、さらにもう15分くらい中身のない話を続けたかもしれない。しかし、私はそういう下品なことはしないのだ。

さて、フェリーもきたので、私たちは乗船して福江に向かったが、フェリーが福江に着く頃は、空はどんよりと曇り、天気はさらに雨模様に向かっていった。
福江島で雨が降り始めた
福江までの1時間ちょっとのフェリーの旅は、とても静かで穏やかな旅だった。福江に着いて、港から5分ほどのところにあるホテルにチェックインした頃には、雨がポツポツ降り始めた。
「明日は多分自転車は無理だなあ」と、T村が敗北宣言のような口調で言う。「まあ、様子を見るしかないね」と言うことになり、夜になると、我々は福江で一番美味しいという郷土料理屋へ繰り出した。
準備の良いT村は、その料理屋に電話をし、あらかじめ舟盛の刺身を注文しておいてくれた。味も良かったが、その量が三人前とは思えないほど多かった。おかげで我々は、キビナゴとかタコとかサバとかカツオとかの刺身でお腹がいっぱいになってしまった。ギャリさんは、「こんなにたくさんの種類の刺身なんて、今まで食べたことなどない」と目を丸くしていた。彼は、とりわけヒラマサの煮魚がお気に召したようで、一人でパクパク食べてしまった。甘辛い味は外国の人に受ける味付けのようだ。T村は、「オレはカツオの刺身が食べられないんだよ」と言うので、私はほぼ三人前のカツオの刺身を平らげ、本当にお腹いっぱいだった。自転車であまり走れなくとも、これで五島列島に来た甲斐があったというものだ。

サイクリングはあきらめて、福江島をドライブ
翌朝起きると、案の定かなり激しい雨だった。いかにも熱帯低気圧という言葉が似合う感じで、びしょ濡れになりそうな濃い雨で、その上蒸し暑くて霧もたちこめている。もう10月も半ばというのに、まるで夏のようだ。27年もオーストラリアに住んでいる私は、こういう湿った天気はあまり得意ではない。ギャリさんも、この天気にはいささか意気消沈しているみたいだ。
朝食時、「今日は、レンタカーで島巡りをしましょう!」とT村は発案し、満場一致で採択された。一周80キロの福江島を車でぐるっとまわるのだ。だから、今日の自転車の走行距離はゼロになった。自転車旅行も四日目だというのに、我々の積算走行距離はまだ2桁、50キロにも満たない。いくら初心者のギャリさんを連れているとは言え、これは前代未聞だ。しかし、雨なんだから仕方がない。
T村は尼さんとおしゃべり
私たちは、レンタカーで島を逆時計回りに回った。島を回る時は、時計周りと逆時計回りとどちらが良いかと言うと、時計回りだ。なぜなら、日本は左側通行だから、時計回りだと常に海側を走れることになる。逆時計回りだと、内陸側の車線を走ることになる。ちょっとの違いですが。なのに私たちは、逆時計回りに回ったのは、単なる見物の順番の都合でそうなったと言うだけの話。
福江を出てすぐに浦頭教会だったかでちょっと見物していたら、年配の尼さんが現れた。すると、T村はその尼さんをとっ捕まえて、またすぐに世間話を始めた。カトリックの尼さんなんかにそう気安く話しかけても良いものなのか分からないが、T村はそんなことお構いなしだ。
「いやあ、ここらは素晴らしいところですな。海の近くに暮らすと寿命が伸びるらしいですが、私もちょっと来ただけで、もうそんな気がしておりますです、ワハハワハハ」
「私は毎日畑をやっておりまして、体だけは丈夫ですけんねえ。でも寿命だけは、神様のご意志じゃけん、自分では決められませんもの。」
「そうです、そうです、その通り。神様のご意志とは、ごもっとも、ごもっと。毎日畑、結構じゃないですか。どんなものを育てておられるのかな?」
「トマトとかピーマンとかナスとかね。自分で食べるものが主ですが、たくさんできますからな、余ったのは信者さんとかにお分したりするんです。」
「ほー、けっこうなことですなあ。素晴らしい生活です。私のような俗な人間には、とてもできないことです。ウハハハハ。本当にお仕事中に、お邪魔して申し訳ない。どうか、いつまでもお元気で、たくさん畑を作ってください。」
「私も、神に使える身ですから、あまり普段は人と話さないんですよ。だから、今日は久しぶりに人とお話ができて、本当に楽しかったですよ。ホホホホホ」

尼さんは、T村と話して、実に楽しそうに笑うのであった。私は、二人の会話を側で聞いていたが、本当にT村というのは人に警戒心を抱かせない男だ。一体どこからこの気安さが湧いてくるのか分からないが、実に不思議な男だ。現在もウクライナとロシア、イランとイスラエルなど世界各地で戦争が行われているが、こういう種類の男を世界中からたくさん集めて平和交渉をさせたら、一挙に紛争も解決するかもしれない。
ギャリさんは肉なしハンバーガーを食べる
私たちはそこから車であちこち、寄り道をしながら島を巡った。五島列島でも福江島は大きくて人口も多く、比較的開けている島だが、それでも福江の町を離れると人里離れた風景が広がり、ここが最果ての地であることを感じさせる。私たちは純白のビーチを歩いたり、遠くに見える久賀島を眺めたりしながら車を走らせた。雨は降ったり止んだり、時には青空が見えてきたりもするが、すぐに驟雨が降ってきたりもするから、やはり今日は自転車では走れなかっただろう。
ひとしきりドライブすると、我々のお腹がグーっとなり始めた。「さて、どこでお昼をたべましょうかねぇ…」とT村は車を路肩に停めて、携帯の地図を眺める。が、どこにも食堂は見当たらない。唯一あったのは、ひどく山奥の方にある「夢の駅」という食堂だった。
いくがいくがいくと、山奥にその夢の駅はあったが、それは古びた廃校だった。「え、こんなとこ?」と思わず言ったが、ギャリさんは目ざとく、「あそこにウェルカムと書いてあるよ」と英語の看板を見つけた。
そこで我々は、廃校に入ってみた。すると、そこは確かに食堂なのだが、どちらかというと古道具屋のような感じで、山のような古着や家具や電気製品やおもちゃなどが積み上げてある。「なんじゃ、ここは?」とT村も丸い目をさらに丸くしていたが、奥を見るとちゃんと食券を売っているカウンターがある。「お昼が食べられそうじゃないの!」と言いながら、我々はカウンターに並んだが(結構たくさんの人が並んでいる)、できますものは、ジビエ肉(鹿と猪)の牛丼、ジビエ肉の焼き肉丼、ジビエ肉のハンバーガーなのだった。他は何もなし。我々は、「????」と顔を見合わせたが、仕方がない、ジビエを食べようじゃないと腹をくくった。

ところが困ったのはギャリさんだ。ギャリさんは、魚は食べるが、肉は食べないベジタリアンだ。猪や鹿の焼き肉丼は食べられない。「どうしよう、ギャリさん、何も食べるものがないよ」とT村さんは気の毒そうな顔をする。ギャリさんは諦め顔で、「しょうがないから、俺はケーキとコーヒーでしのぐよ」と言う。「でもさあ、それじゃあお腹がいっぱいにならないよ。そうだ、ハンバーガーを肉なしで作ってもらったらどうなの?」とT村が迷案を提案した。そして、いつもの調子で、食券を売っているおばちゃんにかけあった。
「あのさあ、この人オーストラリア人で、ベジタリアンなわけよ。だからぁ、ジビエは食べられないんだけど、このハンバーガーを肉なしで作るってわけにはいかないの?肉以外は、何がパンにはさまっているわけ?」
「肉なしのハンバーガー?そんなの聞いたことないけど、肉以外は、レタスにトマトにチーズにマヨネーズだわな」
「それそれ、それでいいよ。肉なしのハンバーガー、一つね」
かくして、五島列島に名物が一つ登場した。肉なしハンバーガー。
考えてみると、肉なしハンバーガーはどこか、我々の本日の行程を象徴するかのようだった。つまり、自転車に乗らないサイクリング旅行の一日。我々の福江での一日、そして五島列島での最終日は、そのように終わったが、まあ、それはそれで、楽しい一日だったから、良しとしよう。ちなみに、肉なしハンバーガーで貧乏くじを引いたギャリさんを慰めるべく、我々はその晩は、島で一番美味しいと言われる(T村はそう主張した)お好み焼き屋へ繰り出した。ギャリさんも、お好み焼きは好きだったみたいで、今度こそお腹いっぱい食べたし、ビールも飲んだし、酎ハイもん飲んで、ご機嫌だった。
めでたし、めでたし。
三匹のおじさん、五島列島、長崎、天草を走る(その4「長崎編」に続く)




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