やっぱり会って話すのがいい
- 鉄太 渡辺
- Dec 9, 2021
- 4 min read
2021年12月9日
10月の終わりに長かったロックダウンが明けてから、(ワクチン接種をした人には)メルボルンには、ほぼ日常と言える日々が戻ってきた。僕のような家で静かに仕事をしている人間にも少しは交友関係があるので、人と会って話す機会がまた増えた。

昔からの友達で、詩人のマーティンには半年ぶりくらいで会っただろうか。僕が書いた童話の英語訳を添削してもらったので、ある日の午前、そのことで彼の家に行った。どれだけ長く英語に接していても、所詮は僕にとっては第二言語、いつまで経っても日本語と同じように使えるようにはならない。だから詩人の彼などに英語を直してもらうのだが、マーティンにかかると、まあまあだと自分では思っていた英語訳も真っ赤に添削される。

その童話には人と星とが登場するのだが、星を人格のある存在とするか否かで、関係代名詞のthatを使うのかwhichを使うのか違ってくると言われた。言われればそうかとも思うが、そんなこと全然考えていなかった。いい加減な気持ちで文章を書いていたことを彼に思い知らされる。 別のある日、メルボルンの大学で日本語を教えていたときの同僚だった日本人Mさん宅へ行った。彼女は大学を定年退職する時、作家になると宣言した。そんなことを言っちゃって大丈夫だろうかと思ったが、彼女はバリバリと本を書き始め、あれよあれよと言う間にノンフィクションの著書を2、3冊、続いて短編小説集を二冊出してしまった。どれもベストセラーとは行かなかったようだが、ノンフィクションの本などは、オーストラリアと日本の交流史の中では貴重と思われる事柄を取り扱っていて、よく調べ上げて本にしたもんだと、彼女のバイタリティーには驚いてしまった。そのMさんに会いに行った理由だが、彼女がネットの日系新聞に連載している記事のために、僕をインタビューしたいと言うことだった。彼女のうちの居間で2時間ほどインタビューされ、その後、近所の日本レストランで美味しいお昼をご馳走になった。

ある晩、「明日の午前中、ちょっと寄っていいかい?」と電話してきたのは、カヌー仲間のブライアンだ。彼のカヌーチーム、プッシュン・ウッドに僕が参加したのはもう10年以上前になるだろうか。ブライアンのおかげで、僕は何度も長距離のカヌーのマラソン・レースに出場することになり、自分だけではちょっと行けないようなオーストラリアの僻地を旅行することもできた。ブライアンは元工務店の現場監督で、ちょっと貫禄のあるおじさんだが、実は人情家で涙もろい親切なオヤジさんだ。久しぶりにコーヒーを飲みながらおしゃべりした。彼が我が家へやってきた理由は、今度、手作りカヌーのワークショップを始めると言う計画についてだ。しかも、オーストラリアの先住民、アボリジナルのティーンエージャーを集めてそんなことをすると言う。アボリジナルの若者たちは低所得の家庭出身者が多く、高校中退率や犯罪率も高い。そんな若者たちを集めて、カヌーを一緒に作り、自作したカヌーで湖や川を漕いで楽しもうとブライアンは言う。すでに、別の州で同様の活動をしている人たちとも連絡を取って話を聞いたとも言う。ブライアンはもう何隻もカヌーを作ったビルダーだ。この僕も二隻ばかり、カヌーとカヤックを作ったことがある。だから、もし良ければ活動に参加して欲しいと言う話だ。もちろん快諾した。
さて、先週日曜日は紙芝居仲間のダニーの家に呼ばれた。メルボルンには紙芝居をやっている人たちが結構たくさんいて、その人たちが中心になって「オーストラリア紙芝居協会」と言う会を数年前に立ち上げた。僕もそのメンバーで、コロナの前は公共図書館や文学フェアなどあちこちで紙芝居の公演をしていた。日本人は僕ともう一人の女性だけだが、多言語多文化の会なので、オーストラリアをはじめとし、ベトナム、オーストリア、インド、イタリア、フィリピン、タイなど色々な言語文化出身のメンバーがいる。日本人の友達から紙芝居を知った人もあれば、全然違うルートで紙芝居を知った人もいる。今や「Kamishibai」は世界共通のメディアとなりつつある。10月からメルボルンのロックダウンも開けたので、そろそろ活動を再開しようという相談だ。来年はどんなところで紙芝居を展開しようかと、そんな話で盛り上がり、同時に、コロナの間にそれぞれが作った紙芝居を披露したりして、とても楽しかった。
やはり、人とは実際に会って話すのが一番いいものだ。色々な話ができるし、話が脱線しても、無理に戻す必要もない。電話やズームだとそんなわけには行かないだろう。




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